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私の父は画廊を経営しておりまして、昔から側には絵がありました。 絵=(イコール)父ですし、実家には多くの絵が飾ってあります。 田舎ですし、絵はそうそう売れるものではありませんが、父は絵がすべてで、絵を中心に生きています。 私の東京の部屋にも父がくれたユトリロの絵があります。 小学校の時に、ユトリロの絵に一目ぼれして以来大好きなので、父がくれました。 そんなユトリロと同じくらい大好きなムンク。ムンクの一生を描いたドキュメンタリーDVDを観ました。 エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch/1863〜1944) 母国ノルウェーでは1,000ノルウェー・クローネの紙幣に肖像画が描かれている国民的な画家。1863年12月12日、ノルウェーのローテン村に生まれ、その後すぐにクリスチャニア(後のオスロ)に移住した。5歳のときに母が結核で死去、姉と弟も若くして死んでしまう。ムンク自身も体が弱かったことで、生涯“死”の影がつきまとう人生を送ることになる。1881年、芸術学校に入学して絵を描き始める。1889年よりパリへ留学し、ゴッホやゴーギャンの影響を強く受ける。パリについてすぐに、長い間確執のあった父が死去、ムンクの人生にさらに暗い影を落とすこととなる。1890年代に描かれた、後に代表作と評価される『叫び』『接吻』『マドンナ』などの作品は総称して“生命のフリーズ(frieze of life)”と呼ばれ、ムンクの芸術性を凝縮する作品群となっている。ムンクの作品のテーマとなる“愛”“死”“不安”が1枚に収められた『生命のダンス』はその中心となる作品。人生で何度か大きな恋愛を経験するが、度重なる家族の死により、家庭を持つことに対して過剰な不安を感じていた。1902年に起こった恋人とのトラブルで、左手中指を失う発砲事件が起こる。この頃から精神が不安定となり、デンマークで療養生活を送る。1909年にノルウェーに戻り絵を描き続けるが、1944年1月23日に80歳の孤独な生涯を閉じた。膨大な絵画・版画・日記などは、彼の遺言に基づいてオスロ市に寄贈され、生誕100年となる1963年にムンク美術館が誕生した。ムンクの作品群はムンク美術館やオスロ国立美術館など、その大部分が母国ノルウェーに所蔵されている。goo NOWONから抜粋 一番有名な作品はこの「叫び」ですかね。1893年 「カール・ヨハン通りの夕べ」1892年 「マドンナ」1894-5年 「吸血鬼」1893-94年 「森へ」1915年 「接吻」1897年 沢山の作品と共に、ムンクの人生や想いが描かれていました。 あっという間に終わってしまいました。とても見ごたえありました。 ムンクが好きな方には、是非オススメのDVDです。
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