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Eテレで坂本龍一を観る。
教授のようなコトは大同小異、誰もやっているし、誰でもやろうとしている。
しかし、教授のようなビッグネームになると、我々では出来ないコトが出来るようになる。
例えるなら、
川上と言うか上流にいる教授は1つ石を動かすコトでソレより川下の流れを変えるコトが出来る。
かなり河口にいる我々は流れを変えようとするなら石1つどころの努力ではない。
石を置くコトがソレゾレの役目だとすると川上だろうと川下だろうと貴賤は無く、
ソレゾレにはソレゾレの使命がある。
ソレが社会活動であれ、芸術活動であれ。
先日のブラタモでタモリが花鳥風月を愛でるようになったら男としておしまいだと言っていた。
正に今の教授はそんな感じ。
土に還る時が近づくとその周りが気になるンだろう、
コレから寝るベッドがちゃんとしているかどうかくらいに。
気持ち良く寝たいならそれなりの努力は必要だ。
そんな感じ。
教授の社会活動は置いといて、今回の芸術活動しては、何だそりゃって感じ。
自然に溢れるモノをエンコードするのは今に始ったワケじゃない。
むしろ芸術の一端はソレにある。
しかし、ソレをデコードするのにノイズを入れちゃだめだ。
今回の教授はまるで日テレの24時間テレビのように不純物ごっそりでした。
こんなんで川上で石を動かそうとするならただの労害だ。
って言うか、細野が四半世紀前に同じようなコトを既にやっているが、
今の教授よりノイズはズっと少なかったゾ。
ただ、テクノロジーは四半世紀分向上しているから、
出来上がったモノはよりコード化に成功している。
でも、ノイズが多いンだよ。
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