nonsense of wonder

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見逃していた日曜美術館の野田弘志(超写実主義の作家)の特集(再放送)を見た。

写実主義と超が付くソレとの違いは解らないが、
もっと解らないのが、その題材が今目の前にあるモノだった場合、
描かれた作品は写真とどう違うのか?ってっコトだ。
ましてや、野田弘志はその写真を見て描いている。
そんな命題が加速する番組だった。

結局は画家の気持ち次第で、その気持ち次第の次第コソが芸術たるか否かなのかと
ワタシなりに少し残念な結論に達したトコロで「!」になった。

野田弘志が友人の葬儀に行き、その顔を写真に撮る。
その際にNHKのカメラはその友人の顔を映さない。
しかし、野田弘志が撮ったその友人の写真のプリントやソレを見て描くその絵は映った。
もちろん、まだ制作途中の絵で、完成された芸術作品ではない。

そして、番組の最後、肖像画のモデルとして裸の妊婦を写真に撮る野田弘志が映る。
妊婦になると裸婦が持つ卑猥なイメージが払拭されるので、テレビでも意外と見られる。
しかし、ソレは上半身まで。
でも、NHKはその陰毛まで映した。

テレビ最大の禁忌である死に顔と陰毛が映ったのだ。
と言うより放映された。
すげぇ。

何がすげぇって、芸術家の表現への対象物なら、ソレもまた芸術だってコトで、
大衆が抱く一般的なイメージなんてチンケなモノだと言わんばかり。
もちろん、野田弘志の考えで構成された番組では無いと思う。
NHKの独自の構成だ。
って言うか、NHKの目もまた芸術家なのだと誇示された感じを受け、
見る側もソウに違いないと言う押しつけを感じる。

芸術家が見たモノは芸術。
その芸術家やその表現対象物を映すNHKもまた芸術家でその番組も芸術。
ンで、ソレを見る視聴者も芸術家。
写実と写真の違いを考えるコトすら無意味だと言わんばかりの芸術ガイアだ。

ガイアと宣うとデイジーワールドを以て反論したくなくるし、
ワタシの持論である「ホログラフィック・パラダイム的芸術のあり方」も言いたくなる。

と、話が長くなるので、もっと短絡的にまとめましょう。
NHKの日曜美術館は意外と陰毛を放映する。

イヤ、絶対に来ないね

坂本龍一がテレビで演奏している。

久しく教授を聴いていなかったが、
頭の中にあると教授と比べて、すっごいダメになっている。
もちろん、頭の中のソレは絶対に美化されているだろう。
しかし、そんなモノを差し引いてもダメだ。

老いか?

それと何だあの演出は?
いつの間にかパンデミックしたウワベだけカッコ良ければイイってヤツだ。

ン?大竹伸朗が出てきたゾ。
相変わらず、テキトーだ。

教授とコラボ?
うひゃー、テキトーだ。

・・・だけど、
詫び、寂び、カワイイ、の次はもしかしてテキトーかもしれないゾとも思えるゾ。
何か感じるゾ、その何かは解らないが。

もしかして、来るのか、テキトー。

白州次郎が2,3年前からジワジワと流行り始めている。
やっぱり政治不信の所為だね、と勝手に決めつけてみる。

ワタシ的にはズっと前から、次郎ではなく、正子の方に興味がある。
たぶん、自分では作品をもう作らないと決めた時からだろう。
正子の美とか芸とかへの接し方を手本に、
治り切らない「はしか」への付き合い方を見いださそうとしているのかもしれない。

美とか芸とかの作品とは、作者が表現したいモノと作者が表現したモノ、
そして、ソレを観る第三者の3つがちゃんと揃って初めて成立するモノだと思っている。

例えば、ダリやピカソのように、時代とピッタリだった場合もあるし、
ゴッホやマーラーのように、時代とズレてしまった場合もある。
時代イコール我々で、その作品を観る側の精神だ。

別段新しいモノを探したいと言うワケではなく、
ちゃんとしたモノをちゃんと理解したいと言うコトだ。
せめて、腕が無いなら、目を肥やし、心を清らかにしたいと思っている。

なんて、思っていても、色眼鏡越しにしか観ていないのだ。
利休好みとか、正子好みとか、そんなモノがあるなら、
その色眼鏡だってアリだろうって、理屈を捏ねてみるが、
理屈を捏ねるコト自体がもう、てんでダメなのも実のところ理解もしている。

はしかだけならまだしも、実を言うとまるで免疫不全のように全て罹患したりする。
そんなワタシの看護師の一人が正子なのだ。

そんな正子が選んだ夫が次郎なのである。
今度NHKで次郎のドラマをやる。
たぶん、スゴいヒーロー像として表現されるだろう。
そして、尊敬される人物ランキングの常連にもなるだろう、

そんなコトはどうでも良いのだが、
無相荘が騒がしくなるのはちょっと勘弁して欲しいです。

NHKのETV特集でフィギュアを扱っている。

なんと、3ヶ月でその流行は変わると言うのだ。
フィギュアの流行とはたぶんそのモトになるであろうマンガやゲームだ。

・・・

違いが解らない。
ミンナ同じモノにしか見えない。

村上隆も出てきた。
オタク文化をアートに引き上げたヒトだ。
と言われるけど、ワタシ的にはクラフトじゃないの?って感じだ。

フィギュアと言うけど、乱暴に言えば人形だ。
人形と言えば、日本にだって、ヨーロッパにだって有名なモノはあるし、
ソレを創作する職人や作家もいる。

例えば、雛祭り。
伝統に裏付けされた文化であり工芸だが、フィギュアとどう違うのか?
難しい。

もちろん、ワタシは否定しない。
だって、ウチにもエイリアンのフィギュアが6体もある。
ネットで見かけたマカロニほうれん荘のフィギュアも欲しい。

フィギュアじゃないけど、宇宙戦艦ヤマトのアンドロメダと
キャプテンハーロックのアルカディア号のプラモも飾ってある。
ガンプラだと、ハイゴックがテレビの上に鎮座している。

街角にはクリスマスのオーナメントやサンタのソレが溢れているし、
お正月になれば、干支や七福神、招き猫が増殖する。

ディズニーリゾートに行けば、アキバと変わらぬ質と量でソレがあるし、
地方自体はキャラクターを作って盛り上げようとする。

コレはもう、偶像崇拝だ。
って言っても、その崇拝の対象が宗教でも畏怖する存在でもない。

そういや、湾岸戦争って、リアルじゃなくてリアリティな印象を受けた。
今起きているのは確かだけど、ナンカ、現実じゃない感じ。

フィギュアもそうだ。
リアルじゃなくてリアリティなんだ。

ンー、マグリットの「これはパイプではない」を思い出す。
ってコトで、この答えをフーコーのソレに見いだそう。
ンー、あの本の山のドコの地層に埋没しているンだろう。
探すのは面倒だ・・・

障害のある人が描いた絵を有料で貸したり、商品として販売したり。
こんな活動を企業やNPOが後押しし、作者が収入を得られるようにする試みが広がっている。

なんてニュースを読んだ。

一応、そんな業界の末端にいるワタシから言わされてもらえれば、
芸術や美術に健常者も障害者もありません。
ただその作品が、美術的、芸術的に価値があるかどうかです。

障害者が創作してもカスはカスです。
言うまでもなく健常者が創作してもカスはカスです。

また、高額で取引されるモノだけが美術でも芸術でもありません。
市場の価値でとかく判断されるモノですが、
なんでも鑑定団を観れば解る通り、そんな価値なんて理解しているヒトは意外といません。
贋作を高く買ったり、真作を貰って物置にしまいっぱなしだったり。

今回のニュースのように、障害者の作品を買うコトだって、
買う側にしてみれば、障害者を・・って言う偽善者気取りだってあるだろうし、
売る側だって、同じ感覚だろう。

良いモノ、悪いモノではなく、良いコト、悪いコトに置き換えて、
美術や芸術の本来の価値を歪ませている。
これは、美術や芸術に対する冒涜である。

子供の絵は純粋であるとか、民芸品は素朴で暖かい、なんて言うヤツがいるから、
こんな商売も成り立つンだろう。
そっか、そんなヤツらが売って、そんなヤツらが買うンだから、コレも経済だ。
経済なら、ソレはソレで良いです。

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