私の過去

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子供の頃の話

私の病気に大きく関わっている私の子供の頃について
少し書いておこうと思う

私は12歳で発症した
はじめはてんかんと言われスグに精神疾患が見つかった

私は普通の家庭に生まれた
4歳くらいまでは建て売り住宅地で普通に育った
でもその生活は長くなく親父1が麻雀で大きな借金を作り
母の地元に帰ることになる

小学1年の時、両親が離婚
その後、母も私と妹を祖母の家に置いて行方不明になってしまう
半年後帰ってきた時は後に親父2となる男と一緒だった
(実は親父2が連れ戻しに行ったらしい)

この親父2と私は上手くいかず家庭内で私一人浮いていく一方で
水商売を始めた母の手伝いで家事のほとんどをやるようになり
夜は妹と二人。妹を寝かしつけるまでが私の仕事だった

このころから親父2は家にしょっちゅういるようになる
こいつが実はくせ者でヤクザと関係があり
ヤクザの寄り合いなどに私達を連れて行くようになる

病院の先生によると私の考え方に大きな影響を与えた時期だという
死んでも良いとか排他的な考えはこれに大きく起因する・・らしい

ヤクザだからもちろんシャブ中もいるし
指ない人いっぱいだしw喧嘩も半端じゃないし

でも組長の娘とは仲良かったので私は結構楽しかった

中学に上がると私は家出を繰り返した
家の中で浮いているのがいやで祖父母の所へ家出した
学校は校区内だったので何も問題なく親も心配しなかった
このころから夜の遊びを覚えていく

中二の秋、初めて彼氏が出来た
そして妊娠、中絶、二股発覚
この男はその後10年地元に帰れなかった・・( ̄▽+ ̄)キラーン♪
(その後再会。お互い大人になり普通に話せるようになる)

中学のクラブ(手芸部)はヤンキーな先輩のたまり場で可愛がってもらう
(私のいとこの兄貴が超有名なヤンキーなのでw)
この先輩達は私が結婚するくらいまでつき合いが続いた

高校に入っても家出は続いたが
地元進学校に入ったため親は何も言わなかった

そういえば高校受験の時、小学校の時親友だった奴に
「何しに来たん」といわれ超むかついたっけw
なぜかヤンキーとしても有名だったらしい
でも私はヤンキーじゃなかったぞ〜〜

高校にはいると今度は生徒会に入り、民青同盟にも入らされる
政治とボランティアと反戦運動にどっぷりつかった4年間だった
(事故で1年留年した)

このころになると親父2とも仲良くなり
二人で学校さぼって大阪までビリヤードしに行ったり
音楽や映画など遊びはセンスあったので
親というより友達感覚だった
母親とも親子ではなく女同士みたいな感覚になる

しかし、弟が生まれたものの早産だったため亡くなり
その後いつの間にか離婚していた
私は全然知らない間のことだった

で、いつの間にか店の常連さんと一緒に住んでるし
(コレが今の母の旦那。私は祖父母の養女になる)
同じ頃、妹(16)が妊娠し駆け落ち。
親を説得してなんとか産ませてやることが出来た
私のように一人で悲しむことにさせたくなかったから
(妹夫婦は今や4人の子供を持つ)

私も京都の専門学校に進学し、病状も安定

しかし、結婚、離婚、結婚・・そして家を建てる
無理があった
ダメだと分かっていながらなぜ親と同居などしてしまったんだろう
一気に病状は悪化し今に至る

まっ 簡単に書くとこんな感じですw
あえてこうちゃんとアツのコトには触れていません
=病気の原因にしたくないから

今、6月14日。1:01。
もうすぐコウちゃんの死んだ時間

22年間・・この日に酒を飲まなかったことはなかった
今年、初めてお酒は供えるだけにした
(今のところ;この後はわからないw)

グラスにはジンと氷、灰皿に火のついたラーク
モニターの前においてblogを書いている

後悔は消えない
喧嘩好きだったコウちゃんを
あの日止めなかった自責の念・・
コウちゃんがいなくなることなんて考えずに
コウちゃんの気持ちなんて知らずに
バカばかりやってた私

あの頃から私はどれだけ変われただろう

去年の私は酒におぼれて無茶苦茶になっていた
(おかげで彼氏にかなり心配かけた;)
この一年で少しは心が落ち着いたと思う
彼は「飲んでもイイよ」と言ってくれた
でもまた自暴自棄になりたくないから・・
今、異常に冷静に自分の状態を分析しているコトが
私にブレーキをかけさせている

ホントはブレーキかけたくないんだ
反動が激しく来るのがわかってるから。。
それでも今日は飲まずにすごそうと思う
明日は彼氏とデートだから
もしかしたら乗り切れるかもしれない・・

。。。まぁ無理だろうけど;

でもさ、やることやってダメならいいや
何にもしないで流されてしまうことのほうがイヤだから
コウちゃんだってアツだって、きっとその方がイイって言うよね?
ダメでも怒らないでねw がんばるからさ

大切な言葉

なんでか今日ふと思い出した言葉がある

「大切なことはあなたの心で決めなさい」

まだ高校生の時だったか・・そう、高校に入ってすぐだった
思い通りにならない体、
私は「何で自分だけこんな苦労ばかりしなきゃならないのか」と人生に疲れていた
ちょうどこの頃、高校の生徒会活動を始めるとともに民青同盟に参加していた
友人が家から民青にはいるように強要され、私を道連れにしたためだった(笑)
私にとってそこは単なる政治について勉強出来る場であり、政党色濃い中で私の考え方は浮いていた
なぜなら生徒会活動で様々な人たちと交流し討論を重ね、民青で政治について学び私は自分の姿勢を持つようになっていた
民青同盟で地区代表評議員として討論の場にたつことも多かったが政党色に染められた人たちとの討論は私を孤立させていった

そんな時出会ったのが代議士の息子T君だった
彼も脊椎損傷で思うようにならない体に苛つき、私と同じように光点滅発作を持っていた
蛍光灯の点滅すらわかってしまう程、過敏だった
私が初めて出会った男性発症者だった
当時22才だったと思う
最初は彼がバンドをやっていたので仲良くなった
パティスミスやドアーズなどは彼の影響で聞き始めた音楽だ
仲良くなるにしたがい私はイロイロと相談するようになっていった
私にとって彼は良き先生だった
民青という枠を超えて私達は色んな事を話し合った
「自分の考え方は間違っているのか」
そう彼に問いかけたとき返ってきた答えが
「大切なことは自分の心で決めなさい」だった
人にあわせることは悪いことではない。しかし大切なことを決めるときは後悔しないように自分の心で決めるべきだと彼は言った

彼からは英語や音楽そして心の持ち方を教えて貰った
彼は私よりも多くの悩みを抱えていたがいつも柔らかい心で受け止め強い意志を持っていた
私にとって彼は憧れだった。彼のように生きたいと思った

彼の絵が一枚だけ我が家にある
寝室に飾られたそれはネコに触られないようにとドンドン高いところに飾られ
見ようと思って見上げないと目に入らない場所になってしまった
今日ふと目に入ったから思い出したのだろうか
彼は今何をしているのだろう・・
私が引っ越す前は、病院の労働組合の仕事をしていた
今もあの頃のように柔らかい心で強い意志を持って生きているのだろうか

私は今 改めて彼のように生きたいと思う

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