グレイハウンドバス&ヒッチハイク

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グレイハウンドバス&ヒッチハイク

バスのキャビンの下に荷物を入れ 
前のドアから乗り込みドライバーにチケットを渡しセンター通路から席につきます。

キャビンの中は前の席には白人 後ろの席には黒人の人が多く座っているように思えました。
どこに座ればと思っているとボブがここだと呼んでくれ、助かりました。

バスが走り始めると、ボブは故郷のこと、ベトナムでのこと、
アメリカと言う国について、熱っぽく語ってくれました。
彼は一人でアメリカを旅するのなら甘く考えるな、
襲われそうになったら逃げづに先にやれ、政治の話は軽く流せ、
話す時は相手の目を見て話せ、歩くときは車道側を歩け、
すべてボブが教えてくれたことで今でも忘れずにいます。

サンフランシスコは、
当時芸術を愛する人やヒッピーと呼ばれる人が多く生活していたと思います。
初夏の町には花が咲きみだれとてもフレンドリーで美しいところでした。
白人と黒人のカップルも多くあらゆる人種の人々が
すれちがうと笑顔でハーイ!と声をかけてきます。

町には ジェファーソンエアプレーン、キャロルキング、サンタナ、ジョンデンバー、、、、
など美しいミュージックが流れて、歩きながらつい口ずさんでしまいます。

バスターミナルはマーケットSTと7TH,STのクロスしたあたりに位置していたとおもいます。

マーケットSTは、シスコのメーンストリートで
東の貿易センターから丘を登って西のトゥインピークまで
まっすぐに続く太い道路です。

ターミナルから右へ曲がりマーケットを東へ下ると、
右側にケーブルカーの回転する所があります。

その近くにカプランズと言うサープラスがありました。

そのお店が大好きでいつも通るたびに立ち寄りました。

つづく、

see you!

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グレイハウンドバス&ヒッチハイク

ロスアンジェルスのダウンタウンはカーボウイハットをかぶった人 
M−65を着て大きなバッグを持った人 ヒッピー風の人 
白人 黒人 アジア系 ヒスパニック系 あらゆる人々であふれていました。

ベトナムから帰った若者達も故郷へ帰るためバスターミナルに集まってきています。
当時旅をするのはグレイハウンドバスやグレイラインと言った
全米をネットしていたバスを使うのがふつうでした。

とにかくサンフランシスコまでのグレイハウンドチケットを買い、身支度をととのえます。
アーミーネイビーショップでそろえた物は
LEEの200−0041ジーンズ、サンタローザの8インチワークブーツ、
LEEのシャンブレイシャツ、GERRYのダッフルバッグ、
スリーピングバッグ、などでした。

バスは夜遅い時間に出発するため、近くを少し歩き、
始めて50年代のダイナーのようなレストランへ入って食事をとりました。

ウエイトレスは笑顔で迎えてくれます、こちらも負けずに笑顔をかえします、
こんなにフレンドリーな応対は日本でもハワイでも感じたことがありませんでした。
メニューについて尋ねてもとても親切に答えてくれコーヒーはどんどんついでくれます。

今夜のスペシャルを注文して周りを見渡すと、
カウンター席には5,6人の一人で来ている男性がすわっています。
ボックス席にはカップルと2,3人で来ている人達が座っていました。
テレビではベースボールの中継がながれていますが
地元ドジャースのゲームではないらしく見ている人はいません。

ゆっくり食事をとりチップを置いて店を出るともう暗くなって 
昼間とはまったく違う様子に変わっていました。

このとき旅に出て初めて危険を感じたのです。

当時アメリカ社会は混沌としていました。
あらゆるドラッグが氾濫しベトナム戦争が及ぼした若者達への影響は
あまりにも大きなものでした。

ヒッピー文化もそんな社会環境から生まれたのです。

ターミナルでバスを待っていると、となりに座っていた白人の若者が話しかけてきました。
ロバートと言う名前でボブと言うようにとのこと、
髪は短くがっしりとした体、軍を除隊して故郷へ帰るとのこと
年はあまり変わらないと思う、おたがいのことについて話をし 

英語があまりよく分らないと言うと、彼はなんでも聞いてくれと言うのです。

この先いろいろな人に会うのですが同じように言われ こたえようがなくてこまりました。

この出発がイーストコーストへ向けて今後半年以上の旅になるとは思ってもみませんでした。

つづく、、、

see you!

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グレイハウンドバス&ヒッチハイク、

当時のハワイは日本からの新婚旅行で訪れる人が多く 
ワイキキビーチは新婚さんばかりでした。

ビーチで知り合った友人に誘われルームメイトとしてワイキキビーチ裏の
アラワイブルーバードに面したアパートに落ち着き
アメリカでの生活がはじまりました。

まずは仕事を探さなければ とは言うものの簡単には仕事はありません、
まして観光ビザではなかなか雇ってはもらえません。
仕事探しをなかばあきらめかけて 
天気もいいしここは楽園ハワイじゃないかと自分に言い聞かせ
一日ビーチでのんびりと過ごすことにしました。

ジャックインザボックスでハンバーガーを買いすぐ前のビーチで寝転んでいると
なんと高校時代の友人にバッタリ会ったのです。
本当に驚き尋ねると新婚旅行でハワイに来ているとのこと、
奥さんを紹介されその日は思い出話や今後のことなどを話逢いました。

ラッキーだったのは彼らが暇でしょうがない、
観光はバスでみんなで回るのがいやだと言うこと、
そして時間があるならお金を払うからレンタカーでオアフ島を一周したい 
そしてガイド料を払うと言ってくれたのです。

さっそく商談成立こうして仕事を得ることになったのです。

この仕事は好きなことをしてお金を得ることが出来るのでとても楽しかった。
順調に口コミでお客さんも来てくれ結構お金もたまりました。
しかしずっとこれを続ける気にはなりませんでした。

貯めたお金でホノルルからロサンジェルス行きの
ワンウエイチケットを買い、パンアメリカン航空でハワイを飛び立ちました。
目指すはいよいよメーンランドです。

LAXは今のように大きな空港ではなくもっとこじんまりした空港だったと記憶しています。
ダウンタウン行きのバスに乗りダウンタウンバスターミナルに着くと
そこには日本人はまったくいない別世界でした。

ターミナルは記憶では 7THストリートとメインストリートの
クロスしたあたりに位置していたと思います。

外へ出ると7THストリートに面してアーミーネイビーショップが目に飛び込んできました。
店内には軍放出の靴 服 バッグ ナイフ その他あらゆる物があふれていました。
考えてみたらハワイから来た私はメーンランドを旅する支度が出来ていません、
そろえなくてはとても旅など出来ません。

グレイハウンドバス&ヒッチハイクへ続く、

see you!

グレイハウンドバス&ヒッチハイク、

すべては 1971年初夏の旅から始まった。

学園紛争が吹き荒れ騒然とした社会、その中に身を投じるには自分の考え方、
生き方をしっかりと持っている必要があると思いました。

どうしたら自分の考え方 生き方をしっかりと持つ事が出来るのだろうか? 

いろいろ考え その結果旅に出ることを決意 ノースウエスト航空の片道切符を買い 
なにも考えず 羽田空港を旅立ちました。

当事ベトナムから帰国する 若いアメリカ兵(自分と同じ年ぐらい)で機内はあふれていました。

ハワイ州ホノルル空港に着陸 そのときイミグレーションから(軍へ入ろう)と言う
パンフレットを渡されました。

(ちょっと心が動く。)とにかくアメリカでの生活がスタートしました。

お金も少ししかなく右も左もわからない、
とりあえずワイキキビーチへバスで行き美しいビーチ
(今ほど人であふれていなかった)を楽しみました。

see you!

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