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x264プリセット Slow
FPS50
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ふたことみこと
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最近気になったこと、疑問に思ったこと、どうでもいいことだけど書いておきたいなぁと思ったこと。なんかをちまちまネチネチ書きます
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ふたことみこと
昨日は似たような事件がふたつもおこった 意外とニュースになってなかった なんか悔しい 死亡事故って一年で約4,000件起こってる。 もしくは、もっと つまりのところ、1日10件以上起こってる ニュースを見てると、本当に稀に感じる死亡事故 意外と身近 自分たちは幸せだ。 一億人の集団のなかで、命を起こすことなく、さほど恐れることなく暮らしてる 幸せだ。 仮に60歳まで生き延びたとすると、 365×60×4,000×2÷100億 =0.01752 5,000/1 なぜ4,000×2なのかと言うと被害者プラス加害者、つまり二人と仮定しているからです 実際はもっと多くの人がなくなってるといわれます 死ぬことだけが不幸せじゃない。 自分への不幸が自分だけの不幸とは限らない また逆も 交通事故だけが不幸の原因とは限らない 実際のところ、凄くシビアな確率のなかで僕らは生きてる それをどうとらえるかはそれぞれだと思う もし神がいるなら、まるで競馬のように何かを賭して賽子を振ってるだけかもしれない とても賤しい考えだ。神を信じるかたが読んでいらっしゃったら、不快に思われるかもしれない しかし神は生き方と言うものをあなたたちに教えている、しかし何故に教えて下さっているのか なぜ畏れ多いのか、なぜ預言者しか会話がでないのか。 神がゲームをしてるんじゃないかな。 俺らが苦しむ姿を見たいとか、賭けに勝ちたいとか。 まるで狂人、でかい鳴き声。 なんとなく、つまり、自分らは意志を持った、非常に扱い憎いが、見返りはでかい、ハイリスクハイリターンのキャラクターで、たまたま神は先鋭パーティに選択した。 で、扱いずらいから賽子で適当に間引きをいれとく。 喜怒哀楽 喜びは人を停止させる 怒りは人を感情的にする 哀さは人を抑えつける 楽みは人を促す 全てを不均一に高低差もつけて、激しく動かすと、とても面白いことが起こると神が知って、適当な間引きをして遺族や加害者たちに深い悲しみを落とす ただ、今回は賽子の目が本当に悪かった。 まだ、未来の知れぬ小学生やまだ生まれ得ぬ命を早々と冥土に送ってしまったのはとても悔しい 悲しい でも彼女らの命を受け継いで、様々な浮き彫りなる問題を解決し、より一層の文化の発展への原動力にして欲しい。 加害者のほうもそうである。 償いとはとても曖昧なものだけど、一回り二回り強く生きて欲しい。 全ての人は本当に強くなれる為の力は備えている。 爆発させるのには様々な強弱の力が必要なだけ。 神はそれを知っている。 だから賽子を振るう。 まるで不幸を正当化しているようだが、不幸はなくてはならないものだから 不幸あっての幸せだから。 不幸は歓迎されるものじゃないけど大事な資産だ。 そうかんがえると、本当に僕らは幸せだ。 もう全てが幸せ。 誰かが命を削って作ったスマートホンを何も知らずにぬくぬくと使って、何日もかけてプログラムされたアプリで文字をうち、誰かが夜を徹して書いた本を片手に、非常に安全な場所で無防備に寝転がる。 幸せ極まりない。 代わりに人の多大な苦労を消費してる。 苦労を不幸とは一概に言えないけど、不幸という資産があつて、それを僕らは消費する。 それを幸せとするか、はたまた不幸とするか。 絶対幸せだと思う。 最後に、事故を受けた方々にお悔やみ申し上げます。 誤解を生んでしまう文章かもしれないですが、もうこれ以上、こんな悲惨な事故が起きないよう願っています。 文章を書くことに関して非常に初心者なので、いろいろ悪い表現になってるところがあるかもしれません どうか、ご容赦下さい。 ありがとうございました。 本当にすみません |
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受験終わってほっとするという感覚が無い。
逆に胃が痛いくらい
何がストレスなのかもよく分からない。
早く4月ならんかな。
家にずっといるからなのかと思えば、自動車教習ほぼ毎日行ってるしな。
実際、運転してると結構楽しい。
でもこう、たまに胃がギューっていうか絞るように痛くなる。
それに気分も晴れない
なんていうか、人生の無駄食ってるなぁ。
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ちょうど一年経ちましたね。
昨日の14時47分はちょうど烏丸のRight-Onにいて、時刻きっかりに一分間黙祷しました。
去年のこの一瞬が、何年にもわたる深い傷をあたえたのだと思うと、胸が苦しくなります。
当日見た、津波の生中継。
あの日以来まったく見ることがないです。
実際に車が流されたり、人が流されたり、猫が流されたり、家屋が一瞬で破壊され飲み込まれ・・・
すごくショックだったのを覚えています。
それ以来の激震の日本。
メディアの批判、中傷もよりいっそう強くなったと思います。
国会も話がまとまらなかったりして大変そうです。
あの一瞬が、大きな力で日本すべてをそして世界を激震させた。
誰もがみんな一つになった思いがしたはずです。
でも、焦りや恐怖も感じたはずです。
買いだめ等、そういった行動にも現れてると思います。
でも、そういった行動は、本能行動ですしある意味仕方ない。
でも他人に迷惑をかけたりしてました。
でもどちらかが悪いとも自分はいえないと思いました。
だって、怖いんですもの。かってる人たちは。後から後悔するとか分からないから、怖くて買ってるんだと思います。
そうしなかった人たちは、頭のよかった人たち。
沢山あっても、実際震災が起こってみると、本当に持ちがいいものしか使えないし、電気もガスも通らないからインスタント系も使い物にならないとか。
言い方悪いですが、頭のいい人悪い人がいるんです。
言うのも憚れますが、どうしようともなく事実です。
でも、頭のいい人たちの津堂報道系の方々は、報道整理によって、買いだめした人を悪者にしてしまったり。
報道を学ぶものとしては、それがそれで仕方ないことではあります。
でも報道の方々は、私腹を肥やさなければならない一方で、最高峰の扇動力を持つマスコミメディアを操作するという責任もとわれます。
その均衡を保てているとは自分は思えません。
でもこの震災から、何か新しいことをするたび、メディアは敵に回し弾劾。
でも世論調査は逆の結果。
それに動揺する国会は決議できない。
そこをマスコミが非難。
世論調査の国会支持率は低下。
行く末は国会解散支持者を使ってメディアが扇動。
世論調査のグラフはもうガクンガクン。ニュースは面白い!視聴率いいぞ!
そしてもう耐え切れなくなった国会は早期解散。
また編纂。期待をこめた祝福。
しかし敵政党なり議員なりがふるいをかけスキャンダルを暴き、それを報道。
何度もかなさねていくうちに、支持率は落ちる落ちる。
国会ニュースは面白くつくられているんだと思います。
今回みたいな野田総理は、ふるいをかけてもなにも出ず、いまいち大それたこともしないのでメディアはいらいら。
とりあえずコメンテーターには「なにもしてないじゃないか」と批判する人たちを選任。
終に世論調査で「支持するかどうかわからない」という回答が多いところからDK国会となずけて批判する口実を作りました。
批判ならいいです。
野田総理内閣は、メディアがもうイライラウズウズするような、がんばっても批判までしかいかないような、今の時代にちょうどいいと思います。
今みたいな難しい時期。国民がいきり立ち、恐怖に焦る人たちをクールダウンさせて欲しい。
とりあえず冷静になれメディアよ。
この3.11.
さまざまな方面での変化を体験しました。
みなさんはあのときのことを思い出して胸が苦しくなったことでしょう。そしてブログに書き込んでいらっしゃいます。
皆さんが自分よりも上手に的確に文章にしていらっしゃいます。
しかし、このような惨事の日でありながら私はメディアの批判を書かせていただきました。
拙い文章で申し訳ないです。
まだ評論の練習などまったくしていませんし、なんせ、メディアの勉強も簡単な新書を読んだくらいですから、知れたものです。
ですが、いままでニュースを見てきていざこういう大惨事をどう伝えるのか。
そして感じたことをかかせていただきました。
細かいところはまだ沢山ありますが、もっとも皆さんに関係がありそうなことを書いて見ました。
それでは。
追伸
今年は阪神淡路大震災の日のことを忘れていませんでしたか?
自分はその日が終わってから気づいたので、もしかしたら皆さんも忘れていたかも知れないと思いました。
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初めて携帯を手にしたのが高校1年の5月。
だいたいその時から、写真を撮るのが好きで、迷惑がられながらも結構な数を撮ってきました。 たまにそれらをみることがありますが… その写真らを見ると、その時なにを思ってたかとか、こんな事話てたとか、思い出せるんですね。 ふだん何も気にせず生きてて、3年前なんてほとんど覚えてないとかよく友人と話ますが、じつは記憶の奥底に眠っていて、写真を鍵にして、沸き上がってくるんですね。 自分だけの歴史探訪です。 人の為に撮る写真。 例えば、証拠写真、集合写真、映画、絶景を写した写真。 なにか他人でもわかる意味を持ってますよね。 自分でも、ブログに貼るための写真をよく撮ります。 そうじゃなくて、自分の為の写真。 ぼやけて見えづらいとか、意味のない変哲もない風景。 自分だけがそれらの意味を知っている。 まさにselfish-picturism ここに自分は魅せられるのです。 自分だけ写真家ってなんかかっこいいよね 大学に入って、沢山写真を撮って、いつでもそのアルバムを見て、4年の大学生活を何度でも見返せるようにしたいです。 カメラ欲しいなぁ 近い内に買いたいね。 でも、自我撮りでもしない限り、自分のことがほとんど残らないだよね。 |


