彩の国在住★徒歩鉄の挫折と栄光?の撮影記

2017年4月23日よりブログ管理人名を「てぇーも1119」から「徒歩鉄_試1119M」に変更しました。今後も宜しくお願いします

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↑ 下今市付近を行く「きぬ」




(前回からの続き)
鬼怒川温泉駅で浅草から乗車した6000系快速を下車し、徒歩で名の知られていないホテルに向かう。
駅から北に向かって10分程歩いた場所に目指すホテルがあったが、あれからXX年が経過した現在も営業しているだろうか…?

其のホテルで1泊して翌日の午前に鬼怒川温泉を出る特急「きぬ」で帰途に就く。
この当時の浅草と日光、鬼怒川を結ぶ東武特急は日光方面への乗客は日帰りの旅行者が多い反面、鬼怒川方面への乗客は現地で1泊する旅行客が多い事から下りに関しては浅草を午前中に出る列車が日光行の「けごん」、午後に出る列車が鬼怒川方面行の「きぬ」(夜出発の列車は日光行もしくは北春日部の車庫への入庫を兼ねた春日部行の「けごん」が設定されていた)となっていて、上りに関しては午前の列車が「きぬ」で午後の列車が「けごん」となっていた。

ホテルを出て鬼怒川温泉駅に向かい、改札口を抜けてホームに向かうと当時は1720系デラックスロマンスカー(DRC)を使用していた「きぬ」が既に入線していて我々『貧乏家族』が乗車するのを待っていた。
当時「けごん」や「きぬ」に使用されていた東武1720系DRCは、国際観光地「日光」に向かう外国人観光客の利用が多かった事から、車内は国鉄グリーン車並みのリクライニングシートやビュフェ、またサロン室(後に撤去されて座席車となった)等が装備されていた。

車内に入り座席に落ち着くと、やがて「きぬ」は鬼怒川温泉駅を発車した。
10分程東武鬼怒川線を走り、日光方面への分岐駅である下今市に到着する。
ふと進行方向の左側の留置線がある方を見ると、古めかしい車両が停まっているのが見えた。

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↑ 上の画像と同一地点を行く5700系




当時は臨時の快速急行「だいや」等に使われていた5700系だった。
東武鉄道の列車種別の順位は、現在では『急行』よりも『快速』が「格上」だというJR沿線居住者から見れば訳の分からない状況になっているが、この当時も常識的に見れば『急行』よりも『快速急行』の方が格上だと思われるものの、特急列車のような冷房完備の車両を使用する急行「りょうもう」よりも古めかしい非冷房の車両を使用する『快速急行』の方が格下の順位に甘んじていた。

その5700系の車両の内部が、今乗車している1720系デラックスロマンスカー「きぬ」の車内からも観察出来たが、転換クロスシートが並ぶレトロな感じの車内を見ていると、リクライニングシートが並ぶ豪華な車内のDRCよりもレトロな内装の5700系の方に魅力を感じて、いつかは5700系に乗って見たいと思うようになった。

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↑ 東武日光線を行く古豪5700系  下今市付近にて




(前回記事の続き)
東武浅草駅に入線してきた6000系快速列車の車内に入る。
前回記事で「国鉄の急行列車のようだ」と評した東武6000系であるが、車内に入ると国鉄の急行型電車と同様に4人掛けのクロスシート(両端の戸袋窓部分はロングシートとなっている)が並んでいるものの、あくまでも「快速列車用車両」という理由からか、クロスシートの座席の上部にはモケットが貼られていなく「板張り」になっていて、座席のモケットの貼られている部分は通勤電車のロングシートと同様に腰の高さの分しか無かった。
(考えてみればJRのE231系やE233系の4人掛けクロスシートもデザインで誤魔化しているものの東武6000系と同様の座席上部が「板張り」の構造になっているが…)

無事座席を確保すると、やがて6000系快速は東武浅草駅を発車。
現在と同様に駅を出てすぐに90度のカーブを曲がり、隅田川に掛かる鉄橋を渡る。
この当時、東武線と言えば地元を走る野田線の大宮〜大宮公園間しか乗った事が無くて、座席の上部が「板張り」になっているとはいえ4人掛けクロスシートに座りながら眺める伊勢崎、日光線沿線の車窓は新鮮のように感じられた。

浅草を出て約2時間かけて日光と鬼怒川への分岐点となっている下今市に到着。
実は我々家族は此の時重大なミスを犯していて、目的地が鬼怒川であるのに「日光行」の車両の方に乗車していたので、ここ下今市で「鬼怒川」方面行の車両への移動を余儀なくされた。

此の時乗車した快速列車は、6両編成中4両が「日光行」で「鬼怒川」方面に向かうのはたったの2両…?!
折角浅草から座席を確保出来ていたのに、下今市から鬼怒川温泉への最終コースはギュウギュウ詰めの混雑した車内での立席を余儀なくされた。

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↑ 1990年代まで浅草〜日光、鬼怒川間で活躍していた東武特急デラックスロマンスカー(DRC)




昭和50年代前半、自身が小学校2年の時に行った鬼怒川温泉への家族旅行。
浦和の自宅を出て京浜東北線(この当時の東北・高崎線普通列車は朝・夕の通勤時間帯以外は浦和駅には停車しなかった)で上野に出て東武浅草駅に向かう。

私が高校生になってから東武の快速で何度か日光、鬼怒川、南会津方面への「単独旅行」に行った際は上野から浅草への交通手段は地下鉄銀座線が一般的だったが、此の時の家族旅行の時は両親が地下鉄の存在を知らなかったのかどうかは解らないが、上野駅からタクシーに乗り東武浅草駅に向かった。

この当時も現在と同様に松屋デパートと同居する駅舎と2階にホームのある独特な特徴を持つ東武浅草駅に降り立つ。
タクシーを降りて駅舎に入り、エスカレーターで2階に上がって改札口を抜けてホームに向かう

この頃の私の私鉄列車の知識と言えば、東武のデラックスロマンスカー(DRC)と西武のレッドアロー、小田急のロマンスカーや近鉄の2階建てビスタカーと言った私鉄各社の看板特急位しか知らなくて、父に向かって「DRCに乗って鬼怒川に行くのか?」と問うと、「それは帰りに乗るが、行きは快速列車に乗って鬼怒川に向かう」と聞かされて、此の時点では浅草〜日光、鬼怒川間の快速列車に6000系電車を使用している事すら知らなかったので、大宮駅で見かける東武野田線のクリーム色(当時)の通勤電車のような車両に乗って鬼怒川に向かうのかと思い多少不安になった。

現在と同じ浅草駅の日光、鬼怒川方面の快速電車が発着するト屮曄璽爐撚速列車の入線を待つが、
やがてト崟には見たことの無い真っ赤な列車が入線してきた。

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↑ この当時は急行「りょうもう」として活躍していた東武1800系
  (画像は東武野田線でのイベント列車運用時 2011年12月撮影)




当時は1800系を使用していた急行「りょうもう」だった。
国鉄線沿線に住んでいた私にとって急行列車といえば、どうしても165系や455系、またはキハ58系の様な『車両の両端に乗降ドアのある4人掛けの向い合わせクロスシート車』を連想してしまうのだが、急行「りょうもう」の特急列車のような固定窓の並ぶ外観と2人掛け回転クロスシートが並ぶ車内をホームから眺めながら「東武鉄道は急行でも『特急列車』のような車両を使っているのか…?!」と驚いた。

やがてホームに停車していた急行「りょうもう」が発車して行き、暫くすると今度は国鉄の急行列車の様な車両が入線してきた。
何と此の車両がこれから乗車する日光、鬼怒川行の快速列車で、『快速』といえば国電の中央線の快速もしくは特別快速のようなオールロングシート車だと思っていただけに「東武鉄道は快速でも『急行列車』のような車両を使っているのか…?!」と再び驚いた。

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本日から当ブログ管理人名を従来の「てぇーも1119」から「徒歩鉄_試1119M」に変更しました。
今後も当ブログ共々宜しくお願いします。

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2017年4月21日(金)に実施された東武鉄道のダイヤ改正で、長年旅行者に親しまれてきた浅草〜日光、鬼怒川、会津田島を結んでいた直通快速が全廃されて南栗橋〜日光、鬼怒川、南会津方面への列車として新たに再スタートを切りました。

今連載記事では自身の浅草〜日光、鬼怒川、南会津方面直通快速列車の乗車体験や撮影などの思い出を語りたいと思います。

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↑ 東武日光線下今市付近を行く6050系




私が浅草〜日光、鬼怒川間直通快速に初めて乗車したのは、昭和50年代前半の小学校2年の時に鬼怒川温泉への家族旅行に行った時だった。
此の時点での浅草〜日光、鬼怒川間直通快速(当時は野岩鉄道線が未開通で南会津方面への直通運転は出来なかった)は、現在の使用車両である東武6050系(野岩、会津両鉄道も同一車両を保有)が車両更新を実施する前の種車である6000系を使用していた。

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↑ (上)かつての東武の主力通勤型車両だった8000系
  (下)1990年代前半まで浅草〜日光、鬼怒川間の臨時快速急行で活躍していた古豪5700系




当時の6000系の画像が全く無いので上の2枚の画像で解説するが、6000系は前面部分は上の8000系と酷似(多少違う部分もあるが)しているものの、側面は旧国鉄急行型電車の165系や455系と同様の2ドア車両で、外観塗装は上の画像の5700系と同様の塗装を纏い、車内は車端の戸袋部分がロングシートである他は4人掛けのクロスシートが並んでいた。

東武6000系はデビューしたのが昭和44年で老朽化が進行していたのと、車内冷房が設置されていなかった為、昭和61年10月の野岩鉄道開通に備えて昭和60年から車体の更新工事が実施されることになり、現在の6050系に至っている。

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↑  青森に向けて田園地帯を駆け抜ける583系「はくつる」 東北本線(当時)小湊〜西平内にて





昭和42年10月ダイヤ改正での「衝撃のデビュー」以来、50年近くの長きに渡って活躍を続けてきた581,583系。

国鉄時代は「次世代の特急型車両」として期待が寄せられたものの、昭和47年以降のオイルショックによる景気の低迷や新幹線の新規開業や延伸、更には他の高速交通機関との競争や国鉄運賃、料金の相次ぐ値上げによるによる長距離客の減少、また車内設備の面で優位に立つ485系の増備や「ニューブルトレ」14系や24系の登場などの理由によりデビューから5年も経たないうちに早くも「活躍の場」が狭められて、昭和50年代後半には運用削減による余剰車や廃車が発生した。

昭和62年4月の国鉄分割民営化の際には、200両程度の581,583系がJR各社に継承されたが、「3段式寝台」や「リクライニングしない向い合せの座席」といった車内設備が他の特急型車両と比べて劣る事や、車齢が此の時点で15年以上に達していた為、恐らくJR化後10年程度で引退すると思われていたものの、『JR誕生から30周年』を迎えた2017年まで活躍するとは誰も予想しなかったであろう。

583系が国鉄分割民営化時から30年間活躍できた理由は、「ニューブルトレ」の14系や24系よりも車内設備の面では劣るものの、「電車」であったが故に機関車牽引の客車では対応出来なくなっていた今日のJRの過密ダイヤにも対応出来た事や、多くの鉄道ファンの人気に支えられた事実や583系を支える現場の方々の手厚いメンテナンス等の理由もあるが、デビュー以降数々の「試練」を乗り越えてきた581,583系の『執念』が昭和42年から50年に渡る『奇跡的な活躍』を呼んだに違いないと思う。

また2017年5月にはJR東日本のTRAIN SUITE「四季島」、6月にはJR西日本のTWILIGHT EXPRESS「瑞風」といった動力分散式の豪華クルージング寝台列車が相次いで運行を開始するが、これらの列車も『動力分散式寝台車』のパイオニアである581,583系の登場が無かったら恐らく「構想」すら出なかったのではないかと思われる。

国鉄時代は「不遇の名車」とすら呼ばれた581,583系。
しかし同車の国鉄末期〜JR時代にかけての活躍は多くの人々が認める所でもあるし、その後に登場した新型車両に多大な影響を与えたのも否定は出来ないであろう。

改めて581,583系に『夢と感動をありがとう』と長年の活躍を労いたいと思う。


【583系 夢と感動をありがとう! 完】 

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