彩の国在住★徒歩鉄の挫折と栄光?の撮影記

2017年4月23日よりブログ管理人名を「てぇーも1119」から「徒歩鉄_試1119M」に変更しました。今後も宜しくお願いします

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今から30年前の昭和62年11月の大井川鉄道の有名撮影地「笹間渡鉄橋」での撮影。
前回記事では、今となっては既に引退している元北陸鉄道のアルミ車6010系「しらさぎ」や元西武・岳南両鉄道の車両の画像を掲載したが、自身がまだ小学生の頃の昭和50年代にローカル私鉄を扱った書籍や写真集に掲載されていた大井川鉄道の「各地の私鉄で活躍していた旧型車両たち」が続々とやって来た。

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↑ 元北陸鉄道6000系「あかいし」+元名鉄旧型車+元西武旧型車混結編成 1987年11月撮影





上の画像の6000系「あかいし」は、前回記事に掲載した6010系「しらさぎ」とは車体構造は違うものの同系同スタイルの車両で、以前の活躍していた北陸鉄道と大井川鉄道とでは架線の電圧が異なる事から「電車」としてでは無く「付随車(客車)」としての扱いとなり3両目の元名鉄の旧型車両に牽引される運転形態(以前の6010系「しらさぎ」も同様の運転形態だったが、後に自走出来るよう改造された)となった。

イメージ 2

↑ 元名鉄の旧型車両(先頭車の窓から顔を出しているヤツは俺の撮影の邪魔をしていたのか…?!) <撮影データ同じ>




こちらも昭和50年代に、ローカル私鉄を扱った書籍や写真集で何度も見かけた車両。
これらの昭和50〜60年代に大井川鉄道で活躍していた旧型車両たちは、平成時代に入ると車両老朽化により現在活躍している元近鉄の特急型車両(大井川鉄道では普通・急行列車として運用)や元南海電鉄のズームカーに次々と置き換えられて姿を消した、

かつて日本各地の私鉄で活躍していた車両たちが次々とやって来る中で、珍しい列車が私が立っている後方…すなわち千頭方面からやって来た。

イメージ 3

↑ E10牽引の貨物列車  <撮影データ同じ>




これまで幾度と撮影してきた旧型電車群とは明らかに違う機器音を後方から轟かせてやって来たのは、E10牽引の貨物列車だった。
今まで撮影してきた「笹間渡鉄橋」の後方の笹間渡駅側…すなわち千頭方面から来る列車も此の立ち位置から撮影は出来た(次回記事にて其の画像を掲載予定)のだが、あまりにも「不意打ち」でやって来たので撮影に対応できず、「ケツ追い」で鉄橋を渡るのを撮影するのが精一杯だった。

大井川鉄道の貨レは昭和58〜59年頃に国鉄の貨物合理化の煽りを受けて廃止された…との話を聞いてはいたものの、此の頃は大井川の上流で井川線のアプト式の新線が設置される契機になったダムの建設工事が行われていて、ダム工事の資材運搬等の為に一時的に貨物列車の運転が復活したとの情報は入手してはいたが、平日のみの運転と勝手に思い込み週末とか連休に運転されるとは思ってもみなかった。

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現在連載中の『2017年11月 再び大井川鐡道撮影行』まだ未発表の連載記事が残ってはいますが、此処で自身がまだ学生時代を送っていた頃の1987(昭和62)年11月に同鉄道(この当時は「大井川鉄道」だったが…)への遠征での過去画像を何回かに分けて発表したいと思います。

自身がまだ小学生だった1970年後期から1980年代、この時代は旧国鉄の電車特急の「絵入りヘッドマーク」の採用やTVでの「ブルートレイン」追跡番組の影響で少年鉄道ファンがカメラを持って昼行・夜行特急の撮影の為に駅に殺到するなど、昭和40年代の「SLブーム」に次ぐ2度目の「鉄道ブーム」に沸いていた。

其の「鉄道ブーム」に便乗するかのように国鉄昼行・夜行特急を始め、私鉄特急や此の頃から廃線への論議が始まった国鉄赤字ローカル線やローカル私鉄を扱った多数の書籍や写真集などが書店に並び、自身も何度か「立ち読み」(まだ小学生だったので書籍を多数購入できる資金を持っていなかった)をしに複数の本屋(同一書店ばかりに行っていると「立ち読み」目的の常連として店から追い払われる可能性がある為、時折書店を変えて「立ち読み」していた)に足を運んだが、其のローカル私鉄を扱った書籍や写真集の中で「旧国鉄のSL+旧型客車」や「各私鉄で活躍していた旧型電車」そして「秘境を往くミニDL+小型客車」(井川線)などの写真が掲載された大井川鉄道の各列車や鉄道情景に一際関心を持ち、いつしか同鉄道に訪問してみたい…という気持ちを強く持つようになった。

しかし当時、自身はまだ自前のカメラを持っておらず、更に小中学生時代の少ない小遣いでは自身の住む埼玉から大井川鉄道が走っている静岡までの遠征など夢また夢の話であって、同鉄道への訪問が実現できたのは高校に入り自前のカメラを手にするようになった昭和62年の秋であった。

其の昭和62年11月の連休、早朝の京浜東北線と東海道線を乗り継ぎ大井川鉄道の始発駅である金谷を目指した。
恐らく此の当時と現在とでは雰囲気が変わっていないと思われる大井川鉄道金谷駅のホームに停まっていたのは、1970年代〜1980年代に本屋で何度も「立ち読み」した際に写真で見たアルミボディが特徴の6010系「しらさぎ」だった。

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↑ 笹間渡(現、川根温泉笹間渡)駅を発車する「しらさぎ」 昭和62年11月撮影




「しらさぎ」は北陸鉄道の一部路線の廃止に伴い大井川鉄道にやって来た車両で、昭和50〜60年代から平成初期にかけて大井川鉄道の「看板車両」として活躍したが、其の後は車両の老朽化により廃車となり、現在は北陸に里帰りして山中温泉の道の駅にて静態保存されている。

その6010系「しらさぎ」に乗車し、此の当時からSLの『有名撮影地』だった「笹間渡鉄橋」最寄りの笹間渡駅に向かった。

イメージ 2

↑ 笹間渡鉄橋を渡る元岳南鉄道のステンレス車と元西武の車両の混結編成 〈撮影日同じ〉




現在では笹間渡鉄橋の近くに川根温泉の施設が建ち、駅名も以前の「笹間渡」から「川根温泉笹間渡」と変わってしまったが、此の当時は温泉施設など全く無かったものの、上の画像を見ると鉄橋周辺の風景は昨年(2017年)11月訪問した時と殆ど変っていないように感じた。

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川根路の山里に晩秋の斜光が差し込む中での大井川鐡道のSL「かわね路2号」の撮影。
前回記事では最後部の旧型ELのE10と旧客の「後追い」撮影の画像を掲載したが、当初撮影する予定は無かったものの「雰囲気が良かったから…」という事で思わずシャッターを切ってしまった「SL(C11 190)
+旧客」のバックショットも掲載したいと思う。

イメージ 1

↑ 晩秋の山里を駆けるC11+旧客「かわね路2号」 抜里〜家山にて 2017年11月25日撮影




此れにて今回の遠征の撮影を全て終了し、機材を片付けて抜里の駅に戻る。
此の後は普通列車で金谷に向かい、JR東海道線に乗り換えて帰途に就く予定なのだが、大井川鐡道では数年前に「沿線人口と利用者の減少」を理由に普通列車の大幅削減が実施され、抜里の駅の時刻表を見ると15時半過ぎに通過した「かわね路2号」の後、17:27の普通列車まで2時間近く待たなければならない。

イメージ 2

↑ 抜里の駅舎内にあった駅周辺の地図





次の普通列車が来るまでの2時間近くをどう時間を潰そうか…と考えながら駅舎の中を見回してみると抜里の駅周辺の地図があって、其れを見ると家山の駅までの道順が掲載されており、何もない抜里の駅に居るよりは家山の駅まで歩いて行った方が時間つぶしにもなる…と思い、徒歩で家山に向かう事にした。

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大井川鐡道抜里〜家山間の茶畑を入れて撮れる撮影地。
お座敷客車を連結したC10 8牽引の「かわね路12号」が通過した後に更に2本のSL列車がやって来るので殆どの方が此の場所に留まって撮影するようだが、私としては其の後やって来る「かわね路14号」が『トーマス列車仕様』のオレンジ色の旧客の編成であるので撮影する気は無く、また「かわね路2号」の方は牽引機のC11 190に『SL乗車850万人達成』記念ヘッドマークが取り付けられているので先頭のC11の方からの撮影ではなく後ろの後補機E10(現在101と102の2両が在籍しているが、下の画像がどちらのカマなのかは不明)からケツ追い撮影する事とし、機材を片付け此の撮影地を後にすることにした。

抜里〜家山間の撮影地から徒歩で移動を開始し、抜里駅の前を素通りしての記事で撮影した場所に向かう。
此処では往路のC11 190牽引の「かわね路1号」が築堤の急勾配を駆け上がるのを撮影しており、今度は帰路の「かわね路2号」が勾配を駆け下りる所を後方の旧型電機のE10の方から「後追い」で撮影する予定だったのだが、「かわね路1号」の撮影の際は青空が広がっていたものの、今現在では空一面に雲が広がり「灰色の空」をバックに列車を撮影するのも嫌になってきたので他の撮影地を探す事にする。

ところが他の撮影地を探すも、なかなかいい場所が見つからない。
撮影場所を求めて抜里駅周辺を歩き回っている内に隣の笹間渡駅(14:47発)を発車した「かわね路14号」が通過してしまった。

撮影予定の「かわね路2号」が来るまであまり時間が無い中、抜里駅周辺を必死に探し回ったが結局撮影地が見つからず、仕方なく「かわね路2号」の前に来る抜里15:09発の普通列車で抜里〜新金谷間の別の撮影地に移動しようか…と駅に向かったら、偶然にも駅前に先程C10 8牽引の「かわね路12号」を撮影した茶畑のカーブを後ろから撮れる場所を見つけることが出来、此処で撮影する事にした。

イメージ 1

↑ 晩秋の山里を往くE10(後補機)+旧客編成の「かわね路2号」 抜里〜家山にて 2017年11月25日撮影




晩秋の斜光を受けた旧型車両独特のメカニカルな車体が輝きを魅せる。
21世紀に入って16年が経過した『平成29年11月』の撮影であるが、まさに20世紀中期の『昭和20〜30年代の鉄道』の光景を目の当たりにした様な気がした。

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大井川鐡道抜里〜家山間の緩やかなカーブを描きながら茶畑の中を走る列車が撮れる撮影地。
私が此の場所に着いた時点では既に5人ほどの同業者の方がいたが、此の日は紅葉シーズン真っ只中でSL列車が3本運転される事もあって、其の後も同業者の方が次々とやって来て最終的には10〜15人程に膨れ上がったと思う。

前回記事で画像を掲載した元南海ズームカー普通列車を撮影した時点では、車両の前面にしか太陽の光が当たらない「半逆光」の状態だったが、其の後太陽が西の空に移動したことで「順光」の状態にはなったものの、午前中は雲一つない青空だったのが此の時間になって空に雲が湧いてきて時折太陽を隠すようになって来た。

午前中の抜里〜笹間渡間の笹間渡鉄橋での撮影では完全な「逆光」の状態になるので、列車通過時には「曇り空」になる事を望んでいたのに結果的には『其の状況』にならなかったのに対して、此の「順光」状態で撮れる状況の時に雲が湧き出てくる…というのはどういう事なのか…?!

14時20分を過ぎた頃、遠方からSLの汽笛や走行音が聞こえて来た。
上りSL列車の1番手となるお座敷客車連結でC10 8が牽引する「かわね路12号」のようだ。

「かわね路12号」は隣にある川根温泉笹間渡駅に停車する為、一旦はSLの走行音がピタリと止まったが、やがて周りの山間に汽笛の音が鳴り響いた。

川根温泉笹間渡〜抜里間にある鉄橋を「かわね路12号」が渡る音が聞こえてくる。
迫り来る「かわね路12号」の走行音を聞きながらも、私は後方の太陽の位置と雲の動きを気にしていた。
今の時点で太陽の姿は見えてはいるものの、其のすぐ下に雲があったので「かわね路12号」通過時には太陽が雲に遮られてしまうだろう…と予測して、カメラの露出を「曇り空」用の数値に変えることにする。

其の後、鉄橋を渡り終えた「かわね路12号」が抜里駅を通過し、我々のいる撮影地の茶畑のカーブに差し掛かって来た。

ファインダーを覗きながら茶畑のカーブを往く「かわね路12号」を目で追い続ける。
私の予測通り一旦は後方の太陽が雲に遮られて周囲は暗くはなったものの、まだ「かわね路12号」が予定していたシャッター位置に差し掛かっていない…というのに再び太陽が雲の隙間から出て来たのか急に周囲が明るくなり、またファインダー内の露出の数値も急に上昇してきた。

此のままでは「露出オーバー」の画像になるので、急遽露出の数値を再び変える。
予期せぬ事態と、急な露出値の変更で若干シャッターを押すのが遅くなってしまい、機関車C10 8の前の部分が後ろの木の架線柱に「裏被り」(本来なら架線柱の手前でシャッターを押す予定だった)してしまった。

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↑ 「かわね路12号」 大井川鐡道本線 抜里〜家山にて 2017年11月25日撮影




往路のC10 8+お座敷客車混結編成の「かわね路11号」の撮影では、雲らならければ完全な「逆光」状態になってしまう「11号」よりも復路の此の地点での「12号」の撮影が本命だったのだが、『架線柱の裏被り』といい、またC10 8の煙突からあまり「煙」が出ていない事もあり、何となく不満の残る撮影となってしまった。

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