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 最近とみに思うのは、結局、小泉構造改革というのは、単なる「権力闘争」だったのではないか、ということです。

 小泉総理の敵は「抵抗勢力」ですが、それは「旧橋本派」(=旧経世会)であることは明白ですし、近年、権力の中枢に竹中平蔵氏と密接な人びとが入り込んでいる現状を見るにつけ、そうした印象を強く抱かされてしまいます。

 そして、昨年の衆議院総選挙は、その最たるものでしょう。自らのポリシーである郵政民営化を阻もうとする者に「抵抗勢力」のレッテルを貼り、そうした動きを「倒閣運動」と位置づけて徹底的につぶした執念も、権力闘争の証と言えるでしょう。小泉総理が織田信長を引っ張って、今日の権力闘争はまだまだだといった趣旨の発言をしているのも、自ら権力闘争の中に身を置いているという認識があるからでしょう。小泉チルドレンたちが「83会」という名の政治集団を形成したり、森派が最大派閥になったりしたのも、小泉改革が権力闘争であることの表れでしょう。

 「改革」というと、何か社会が良い方向に向かうかのような錯覚を人びとに与えることになるのですが、よく考えれば、「改革」は「従来のシステムを変える」ということだとすれば、おそらくあらゆる「改革」は旧勢力と新勢力との間の争いであることが本質にあると言えるのかもしれません。

 もちろん、社会というのは、長年同じシステムが継続すれば硬直化し、何らかの既得権益が生じるわけであり、そういう意味で、必要最低限の社会システムの「改革」は必要となるでしょう。しかし、それが行き過ぎれば、「改革」という言葉の影に隠れていた「権力闘争」という本質が頭をもたげてくるのだと思います。

 1つ面白いのは、竹中氏が総務大臣に転出してから、経済財政諮問会議の運営スタイルが大きく変容している点です。竹中氏が経済財政担当大臣であったときは、民間議員と呼ばれる人たちは竹中氏よりであったのが、与謝野氏が経済財政担当大臣になると、今度は民間議員の多くはむしろ与謝野氏よりになり、竹中氏から離れていっているようです。ここにも、微妙な権力闘争の要素が働いているような気がします。構造改革が何か政策の本質を表すものであるならば、構造改革論者を自認する竹中氏が総務大臣に転出したからといって、経済財政諮問会議の勢力図が一変することはあり得ないでしょう。勢力図ががらっと変わるということは、経済財政諮問会議の中に権力闘争の要素が忍び込んでいるためと言えるのではないでしょうか。

 これから、ポスト小泉の争いが本格化していきます。候補として名が挙がっている人たちの間で、様々なさや当てが繰り広げられるでしょうけれども、我々はそうした動きの中から、何が政策論で、何が権力闘争なのかを見抜いていかなければならないのでしょう。

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その通りです。今の大阪市長選も権力闘争の
一環です。

2014/3/27(木) 午前 4:19 [ きいち ]


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