|
安倍総理が本会議の代表質問と衆議院の予算委員会を乗り切りました。一言でいえば「無難」に乗り切ったといえるでしょう。安倍総理にとって最大のネックだったのは、これまでのやや「過激」な言動と総理としての答弁をどのように整合させるかという課題だったわけですが、この辺は、安倍総理は柔軟性を発揮したといえそうです。 とりわけ、集団的自衛権については、だいぶトーンダウンさせたという印象を受けます。予算委員会で日米同盟の双務性強化について問われた安倍総理は、 「集団的自衛権を直ちに行使できるようにしろということではない」
(中日新聞HP)と答弁しているようであり、公明党の太田代表が、 「(集団的自衛権の行使について具体例を研究する考えを表明したことについて)首相は“右寄り”と言われていたが、かなり慎重な発言をしているとの印象を持った。集団的自衛権の行使を(直ちに)認められるようにするのではなくて、具体的な例に即して、研究するところにとどめている。十分に話し合いができると思ったし、(自公の)連立関係が大事だという意欲を感じた。」
(公明新聞HP)と述べているのとトーンを合わせてきている感じがします。 集団的自衛権以上にトーンダウンさせているのは、歴史認識の問題でしょう。朝日新聞HPなどによれば、安倍総理は予算委員会において、村山・河野談話を個人としても受け入れることを表明したとのことです。 もちろん、こうした「トーンダウン」に対しては、賛否が真っ向から分かれると思われます。特に、歴史認識の問題でここまでトーンダウンするとは、正直、個人的には驚きですし、ここまで早々に自らの「信念」を降ろしてしまったことは少々残念な気もします。 しかし、こうした安倍総理の変貌にもっとも衝撃を受けているのは、もしかすると、安倍ブレーンと言われている人達なのかもしれません。 安倍政権の大きな目玉である「教育再生会議」の座長にノーベル賞学者の野依良治氏の就任が決まったことについて、早速、安倍総理のブレーンの1人と言われてきた高崎経済大学の八木秀次教授が異論を唱えているようです。 「一方、安倍首相のブレーンの一人で「新しい歴史教科書をつくる会」会長を務めた八木秀次・高崎経済大教授は4日午後、東京都内で記者会見し、野依氏が文科相の諮問機関である中央教育審議会の委員であることを挙げ、「不安が残る」と述べた。「文科省主導による教育政策を一度壊すぐらいの提言をするべきだが、それができる陣容になるか、若干おとなしめの人が集まるのかなと見ている」とも語った。」
(朝日新聞HP) これから安倍総理を担いで自らの信念を実現していこうとする人達がこうした苦言を呈するということからして、安倍総理がブレーンからの距離を置き始めたことは容易に推測できるでしょう。 以前の記事においては、私は以下のように述べさせていただきました。 「安倍総理は、官邸機能強化を打ち出しており、これから官邸の様々なチームに、外部の有識者が多く登用されていくのだと思いますが、私が気になるのは、安倍総理の人脈の極端な「偏り」です。つまり、安倍総理の人脈は、保守派の論壇を占める人たちに極度に偏っていることです。 私は個人的にこうした保守派の人たちの見解に同調できない部分がないわけではありませんし、国家を強く意識する姿勢に対してはむしろ共感する部分も多々あるわけですが、ただ、安倍総理の言っていることがあまりにもこうした人たちの言っていることと近似している点が気になります。安倍総理は保守派の人たちの主張を果たして自分の中で消化し、その上で自らの思想信条を形成されているのだろうか、という疑問を抱かざるを得ません。」http://blogs.yahoo.co.jp/theodor_w2006/41845807.html しかし、安倍政権発足後の安倍総理の柔軟性を見てみると、少なくとも、上記の懸念はやや払拭されつつあるといえるかもしれません。 安倍総理がいかにこれまでブレーンの強い影響を受けてきたかは、ブレーンといわれる人達のこれまでの発言内容を見てみればよく分かります。例えば、安倍総理の安全保障のブレーンとされる岡崎久彦氏、東京大学の田中明彦教授、大阪大学の坂元一哉教授らの集団的自衛権に関する見解を見てみると、以下のとおり、極めて類似していることが分かります。 「内閣にはまだまだ期待したい事はある。もうこうまで来た以上、米国から信頼される同盟国となるためには、集団的自衛権の行使が必要なことは、識者の間では反対する人も居なくなっている。」(岡崎久彦氏)
産経新聞「正論」2003年3月25日掲載「日本は集団的自衛権を持っている。憲法が制定されて以来、条約遵守義務を規定する憲法の下に厳格な憲法手続きにしたがって結ばれた平和条約、安保条約、国連憲章はすべてこの権利を認めている。権利があってそれを行使する権利がないなどという。いやしくも法律のカケラでも知っている人間が愧死すべきような答弁を今後やめれば良いだけの話である。法的に正しい唯一の答えは次の通りである。
読売新聞「地球を読む」2001年2月26日掲載「日本は集団的自衛権を有する。しかし平和主義の憲法の精神にしたがって、その行使にあたっては、慎重の上にも慎重を期する所存である」」(岡崎久彦氏) 「そもそも、政府解釈が集団的自衛権の行使は禁止されているとしているため、日本ではあたかも集団的自衛権が悪いものであるかのような認識がある。実際のところ、戦後の国際社会の流れは、どちらかといえば、個別的自衛権による国際紛争対処より集団的措置をとるという方向で動いてきている。集団的自衛権を行使するという形で軍事力整備をする方が、各国が保持する軍事力は少なくすむ可能性が大きいからである。現実に、日米同盟があったおかげで、日本独自の軍事力はかなり小さいものですんできたのである。」(田中明彦教授)
朝日新聞2000年5月2日掲載「原理だけで言えば、憲法解釈を首相の判断で変えることはできる」(田中明彦教授)
(日本経済新聞2006年9月5日)「日本が集団的自衛権の行使ができるようになって何か悪いことがある、私は余り思い付きません。・・・集団的自衛権はアメリカ追随だという議論がありますが、私は逆だと思います。集団的自衛権が行使できるようになり、きちんとした形で日本がアメリカに協力できる幅が広がれば、アメリカに対する発言権も当然増すでしょう。アメリカとの協議におけるイエスとノー、これも今より歯切れよくすることができると思います。また、沖縄を始め国内の基地問題も解決への道がより明るくなると考えます。・・・これまでのところ、私の考える集団的自衛権の限定的な行使についてポイントをまとめますと、・・・一つ、憲法は集団的自衛権の行使を禁じていないという憲法解釈、二つ、日本の領域、公海及びその上空で集団的自衛権の行使を可能にする法律、三つ、実際の武力行使は法律の範囲内で極めて慎重に行うという政策の三点になろうかと思います。」(坂元一哉教授)
(第159回参議院憲法調査会における発言) いずれの論者も、日米同盟強化のために集団的自衛権を認めるべきということ、憲法解釈の変更によって集団的自衛権を認めるべきことを主張しており、当初の安倍総理の集団的自衛権の考え方と全く同じであることが分かります。 しかし、安倍総理は、上で引用したように、政権発足早々にして「集団的自衛権を直ちに行使できるようにしろということではない」と述べるに至っています。この点に関して、ブレーンたちとの距離を取りつつあることは明らかでしょう(読売新聞HPによれば、唯一、未だに解釈改憲の余地が残っているかのような発言をしているのが塩崎官房長官ですが、この方はきちんと空気が読めているのでしょうか??少々心配です。)。 こうした「トーンダウン」は、安倍総理の支持層を一部離反させることになることは否めませんし、歴史認識について妥協することは、安倍総理の政治理念に対する信頼を揺るがすことにもつながる面もあるかもしれません。 他方、安倍総理の政権基盤の安定化につながるものと思われます。ある意味、安倍総理にとってもっともアキレス腱だった部分、つまり過去の言動との整合性をどう図っていくかという課題を封印することにもなったわけで、今後の国会審議を無難に切り抜けることにもつながるでしょう。 こうした安倍総理の意外な柔軟性にかんがみれば、案外、安倍政権は長続きするのではないかという気もしてきました。
|

- >
- 政治
- >
- 政界と政治活動
- >
- その他政界と政治活動



安倍晋三首相は11日午前の参院予算委員会で、集団的自衛権の行使について「(個別事例の)研究を行った結果、それはわが国が禁止する集団的自衛権の行使ではないという解釈を政府として出すということも十分あり得る」と述べ、行使を禁じた政府の憲法解釈を変更することで、部分的な行使容認もあり得るとの考えを明らかにした。自民党の舛添要一参院政審会長が「旧来の解釈変更はあり得るか」とただしたのに答えた。[時事通信社]]
2006/10/12(木) 午前 7:00
これは実際的には、集団的自衛権と個別的自衛権を法的に区別することは不可能、つまり自衛権が発動される様な緊急の場面では、国家はあらゆる手段を<固有の権利たる自衛権>の名の下に行使できる、よって論理的にその区別は溶解することになるということなのでしょうか。
2006/10/12(木) 午前 7:00
>ルルーさん この安倍総理の発言は、集団的自衛権(=違憲)と個別的自衛権(=合憲)という区別を維持した上で、今まで集団的自衛権だと考えていたものの中には、個別的自衛権だと説明できるものもあるかもしれないという趣旨なのではないかと推測されます。だとすれば「行使を禁じた政府の憲法解釈を変更することで、部分的な行使容認もあり得るとの考えを明らかにした」という時事通信のコメントは不正確なのではないかという気がします。
2006/10/14(土) 午前 7:58 [ the*d*r_w*00* ]
「制憲議会における政府の見解は自衛権を放棄していた」という根拠で、現行憲法下では自衛権すら放棄していると認識する方もいらっしゃるようですが、私は集団的自衛権は「国際法上保有」しかし「憲法上行使不可」の二分法論的立場であろうと認識しているのです。憲法解釈が拡大されている事は理解できますし、よって解釈にも様々な主義主張があることも理解できます。しかし、こんな玉虫色の解釈の出来る現行憲法って、便利なのか不便なのか、私にはわからなくなります。
2006/10/18(水) 午前 5:16
>ルルーさん 憲法解釈を変えてはならないとうわけでは当然なく、時代情勢が変化する中でそれに見合う形を探りつつ今日に至ったと一応はいえるのではないかと思います。しかしながら、誰が見ても過去の解釈と矛盾するような解釈を政府が恣意的にすれば、当然憲法に対する信頼が失われてしまい、立憲主義は崩壊してしまいます。まぁ、日本国憲法は曲がりなりにもまだ人々の信頼は崩れるところまでは至っていないような気がします。
2006/10/20(金) 午前 4:58 [ the*d*r_w*00* ]