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 11月12日の朝日新聞の広告ページに、中沢新一氏が「労働を苦役と思わぬDNA」というコラムを書かれていたのを興味深く読みました。

 中沢氏は、人類学者のレヴィ・ストロースがかつて日本人の労働観に感銘を受けたことを紹介しつつ、近代以前の日本人の労働観の見直しを主張されています。
「…日本人にとっては、農民から職人、町工場の技術屋さんからサラリーマンまで、働くことは一種の自己実現であり、創造なんですね。心の奥底にそういう労働観が存在しています。近代になると、目標達成のために懸命に働く産業労働が入ってきたけれど、それでも日本人自身は、欧米人が感じるほど労働が苦役ではない。自分たちのことをワーカホリックなどとは思っていないでしょう。」
(朝日新聞11月12日より)

 人々の精神の奥底に潜む痕跡を探求し続けてこられた中沢氏とすれば、日本人の労働観が表面的に失われたように見えたとしても、精神の奥底にはそれがまだしっかりと残存しているという見方を採られているわけです。

 おそらく、少し前の時代の日本人には、かつての労働観がまだ残っていたのだと思います。しかし、90年代以降の日本社会を見る限り、かつての日本人の職人的な労働観、自己実現のための労働観を見出すことは極めて難しくなっているように思えます。現代社会はますますそうした働き方を許さない風潮を強めているのではないか、そんな気がします。

 人類学においては、かつて「経済人類学」という分野が大いに注目を浴びていました。その代表格がマーシャル・サーリンズといえるかと思いますが、彼の最大の功績は、それまでは貧しいと見なされていた狩猟社会が、実はわずかな労働で想像以上の豊かさを享受していたことを論証した点にあるといえます。これは大きな「発見」だったわけです。
 しかし、そもそも「労働」というのは一体何なのかというテーマについては、「経済人類学」においても残されたままのテーマであったわけですが、中沢氏が上記コラムで紹介されていたレヴィ・ストロースは、日本人の労働を見ながら、このテーマについて考えたわけです。

 レヴィ・ストロースによれば、西欧社会における労働の観念は、労働は神の力によって人間に課せられた「罰」であるとするユダヤ=キリスト教的な伝統と商業経済・資本主義の観点という2つの要素によって規定されています。そこでは、あらゆる種類の労働は市場の機能を通していわば等質化され、混ざり合っているわけです。

 ところが、日本人の労働は西欧社会のそれとは異質なものとしてレヴィ・ストロースの目には映ったのです。輪島で蒔絵を製作している漆職人の仕事場を見学したレヴィ・ストロースは、次のように述べています。
「…われわれ西欧の人間にとっては、労働一般という考え方があるわけですが、travail(労働、仕事)というフランス語、あるいはそれに該当する他の西欧諸国のことばを、一つの日本語の単語だけで統一的に訳すのは実際上不可能に近いということを、日本の方と話していてはからずも知りました。そうだとすれば、われわれとしては、もう一度、労働の観念について考えなおしてみる必要があるでしょう。西欧社会とはきわめて異質な、商業経済と無縁な社会においてはなおさらです。人類学者たちが自分たちの母国において「労働」ということばで表している観念は、これらのさまざまな社会において、はたして一つの同じ現実に対応しているのでしょうか。」
レヴィ・ストロース『クロード・レヴィ=ストロース日本講演集 構造・神話・労働』p88)

 レヴィ・ストロースがこのようなことを講演で述べたのは1977年のことでした。もしレヴィ・ストロースが今日の日本に来日していたら、上記のような印象を持つでしょうか。おそらく、今の日本社会における労働は、より西欧社会における労働に近づいてしまっているのではないかと思います。レヴィ・ストロースが西欧的な労働観に批判的であり、当時の日本人の労働観にシンパシーを抱いたことは間違いないでしょう。

 日本社会もつい最近までは、労働に生きがいを求めることはそれほど苦痛でない社会だったような気がします。かつては多くの職人たちや中小の自営業者たちは、自らの仕事に誇りを持って仕事に打ち込んできたわけですし、戦後の長期雇用下のサラリーマンたちも、やはり「会社」という場において自己実現ができたわけです。

 ところが、90年代以降の日本社会では、規制緩和の進展によって職人や自営業として生計をたてることがより一層難しくなり、また、長期雇用制が崩れたことで、サラリーマンたちは「会社」で仕事に打ち込むことによって自己実現することが難しくなってきたのではないかという気がします。日本社会における労働はますます無味乾燥で歯車的なものへと向かっているのではないかと思います。

 つまり、日本社会は、働くことで自己実現することがより一層困難な社会に向かっているわけです。

 これは、社会の在り方を根幹から打ち崩すような大きな変化ではないかと思います。「働くこと」の意義が近年盛んに問われていることは、そうした状況の表れといえるでしょう。しかしながら、その解はいまだ得られていないわけです。

 こうした時代において、我々は労働観をもう一度よく考えてみる必要があるのではないかと思います。中沢氏が次のように述べておられるのには、極めて共感します。
「日本人はいま、労働観も含めて根本的なものの考えを作り直していかなければならない時期に差し掛かっています。そのためには、日本人の自然な心性に残っている原型に戻ってみなければならないでしょう。近代の労働倫理は日本人の中で変容が始まっていますが、しかし権力に近い人たちは相変わらずの近代価値観にしがみついていて、それが時代錯誤になりつつあることに気づいていない。ニートの若者たちが表明しているものは何か、それに目を凝らす時が来ています。」
(朝日新聞11月12日より)

 現代社会に生きる我々は、「働くことで自己実現しにくい世の中において、働くことの意義を考え続けなければならない」という重い課題を背負っているような気がします。

閉じる コメント(13)

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よい記事を紹介いただき感謝いたします。これからじっくり読ませていただきます。レヴィ=ストロースの論とはすごいですね。

2006/11/14(火) 午前 5:50 [ アズライト ]

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私は、低賃金で働かされることによって精神(心)が鍛えられたように思います。

2006/11/14(火) 午前 6:16 mtdcx048

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初めてコメント致します。 大学卒業して就職したときは、「働くこと=自己実現」だったのですが、理想と現実の大きな隔たりに失望して退職しました。 それから気持ちを切り替えて、 「働くこと=社会への貢献。お給料は感謝状。お給料が少ないならボランティア。」 って考えて、最近まで働いていましたが、まだまだ完全な哲学として、構築されていません。 このブログを拝見して、特に最後の2行で考えさせられました。

2006/11/14(火) 午前 8:40 [ toque-chang ]

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>アズライトさん ありがとうございます。中沢氏のコラムは、続編が来週日曜日の新聞に掲載されるとのことです。

2006/11/15(水) 午前 3:54 [ the*d*r_w*00* ]

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narutoさん ポジティブな思考ですね。ヘーゲルの精神現象学における労働の考え方を彷彿とさせられました。

2006/11/15(水) 午前 4:01 [ the*d*r_w*00* ]

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>toque-changさん 高度成長期の日本社会では、働くことで会社(組織)に貢献することが日本社会全体の発展に貢献することにつながるという意識が共有されていたように思うのですが、今日の社会ではなかなかそういう意識が持ちにくくなっているように感じます。今日「労働」を哲学的にどう捉えるかという問題は本当に難しいですね。

2006/11/15(水) 午前 4:13 [ the*d*r_w*00* ]

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余談ですが、おとといの夜にNHKでチャップリンの番組を放送していたのですが、『モダン・タイムズ』という映画はフォーディズムを始めとする近代の労働の在り方が極めて巧妙に皮肉られており、チャップリンの感性の鋭さに改めて驚かされました。

2006/11/15(水) 午前 4:16 [ the*d*r_w*00* ]

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合理主義は主観主義(自己都合)とも言えると思います。・・・ではその逆は、純粋主義とは浪漫主義とも言えます。・・・最近、チャップリンも学んでみようかと思っていたところです。・・・きっとあなた様は、相当苦労された方なのだ?と思うようになりました・・。

2006/11/15(水) 午前 5:45 mtdcx048

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>narutoさん なるほど、何となく分かるような・・・。私が苦労したかどうかは正直よく分かりません。

2006/11/18(土) 午前 9:38 [ the*d*r_w*00* ]

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遅ればせながらコメントします。その記事を読んだ後にアマゾンで該当するレヴィ=ストロースの本を買って読んでみました。当時の文化人類学者は各地で異なった意味を持つであろう労働について考ようとしていたようです。その後このプロジェクトはどうなったのしょうか?今だからかえって興味あります。

2006/12/7(木) 午後 1:40 [ jouzetu ]

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>jouzetuさん レヴィ・ストロースの指す研究がどうなったかは分かりませんが、文化人類学における労働研究の成果という意味では、私が読んだ本の中では、山内昶氏の『経済人類学への招待』(ちくま新書)がなかなか分かりやすくまとまっていて面白かったです。

2006/12/7(木) 午後 11:45 [ the*d*r_w*00* ]

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紹介いただいた「経済人類学への招待」読んでみました。労働についてはさらに広い視点から書かれており興味は尽きません。なるほど現状に対してのオルタナティブを提出していく役目も人類学にはあるねと思い、へえへえと感心しきりでした。残念ながら結論部分が、通常のエコロジストや反近代主義の主張と同じように思え、この学問ならではの語り口を工夫してほしかったです。その後現実は希望と反対に進んでいるように思えるので。

2006/12/14(木) 午後 10:35 [ jouzetu ]

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>jouzetuさん 早速ありがとうございます。確かに結論部は70年代のローマクラブの成長の限界みたいな議論になってしまったのが物足りなさを感じますね。人類学は西欧近代の在り方に対して根本的な異議をとなえることができる数少ない学問であると思いますので、人類学の学問的成果として全うしてほしかったという気はします。

2006/12/16(土) 午前 9:50 [ the*d*r_w*00* ]

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