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2月15日の毎日新聞の夕刊で、「国際貢献と憲法を考える」と題し、北海道大学助教授の中島岳志氏と東京大外教授の伊勢崎賢治氏の対談が掲載されており、興味深く読みました。 伊勢崎氏は、アフガニスタンでDDR(Disarmament, Demobilization & Reintegration:武装解除、動員解除、社会再統合)の現場で活躍されるなど、国際貢献の現場で活躍された方で、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)という本を書かれています。 http://ec2.images-amazon.com/images/P/4061497677.09._AA240_SCLZZZZZZZ_.jpg 伊勢崎氏の議論にはやや粗さが感じられるものの、国際貢献の現場での経験を踏まえた言葉には重みを感じます。例えば、アフガンでの武装解除の経験を踏まえ、 「彼らは日本が経済大国であると共に、戦争をしない人畜無害な国だと感じ取っている。この日本人の人畜無害さは9条が培ったものです。なぜそのイメージをもっと利用しないのか。国際紛争の調停に、日本ほど向いている国はないのに。」
と述べておられる箇所は、目から鱗です。 確かに、日本は9条によって、自衛隊を海外に出すことができる局面について、PKO5原則やイラクの非戦闘地域など一定の制約を受けていますし、また、昨日(2月16日)の朝日新聞の記事にもあるように、「海外活動中の武器使用は、「自己」と同じ現場にいる人を守る場合のみに制約してきた」わけです。 9条の制約の弊害としてよく指摘されるのは、イラクにおいて我が国の自衛隊と一緒に行動している他国の軍隊が何者かに攻撃を受けた場合であっても、我が国自衛隊は助けに向かうことができないという点です。安倍総理も昨年10月11日の参議院予算委員会で「サマワにおいて活動している自衛隊に対しての攻撃ではなくて、一緒に活動している例えば英豪軍に対する攻撃があったときに駆け付けることは、これは警察行動ではないかどうかという問題もあるわけであります。そういう問題について、やはりしっかりと研究をしていくことが我々の責任ではないかと思っているところでございます。」と述べていますが、なるほどそうかなぁという気もしなくもないわけです。 また、先ほどの朝日新聞の記事にも触れられていますが、自衛隊が海外で警護活動を行うことも、憲法の制約を受けているわけです。 このように、自衛隊の海外での活動は種々の憲法上の制約を受けるわけですが、しかしながら、他方では、こうした制約を受けているからこそ、自衛隊を受け入れる国にとってみれば、安心して自衛隊を受け入れることができるという面もあるわけです。仮に9条を改正して国際貢献のための武力の行使を認めたとすれば、米軍など他国の軍隊と同様、海外での武器の使用についての憲法上の歯止めがそれこそ無くなってしまいます。9条があるからこそ、各国は安心して日本の自衛隊を受け入れることができるわけです。そうしたメリットを生かそうとするのであれば、現行の9条を維持しつつ、その認める範囲内で解決策を模索していく方が我が国の国益にもつながるのではないかという気がします。 したがって、私は、伊勢崎氏の言われるように憲法9条を維持した上で国際貢献を進めていくやり方に全く賛成です。 ただ、私は、国連への派兵については9条の禁ずるところではないとする伊勢崎氏の主張には賛同しかねます。こうした主張は、民主党の小沢一郎党首がかねてから展開してきているのですが、私はそこまで国連の判断に全幅の信頼を置くことはできないという気がしています。 例えば、アフガニスタンやイラクの件について見ても、国連安全保障理事会のお墨付きがないというわけではありません。特にイラクの場合、開戦の重大な根拠となった大量破壊兵器が結局見つからなかったわけであり、米国の致命的な判断ミスによる戦争が国連のお墨付きの下で実施された格好となってしまったわけです。国連への派兵であれば9条違反にはならないといった考え方を我が国がとることになれば、おそらく、国連のお墨付きをもらった多国籍軍への派兵についても我が国は拒否できなくなるでしょう。そうなれば、我が国の自衛隊も米軍とともにイラク戦争の戦争行為に参加しなければならないという自体になることは明らかです。 やはり、我が国の自衛隊の行動についての責任は我が国自身が負わなくてはならないという気がしています。 ところで、この毎日新聞における対談では、集団的自衛権を巡る中島氏の正鵠を得たコメントが大変光っています。集団的自衛権については、かつてこのブログの記事集団的自衛権を認めるとどうなるのか??でも言及したところですが、簡単に繰り返すと、集団的自衛権というのは、他国が武力攻撃を受けた際に我が国としても他国の自衛権の行使にお付き合いするということを意味します。例えば、米国はアフガニスタンに対する戦争を自衛権の行使として位置付けていますが、おそらく我が国の基準に照らしてみれば、自衛権の行使を超える行動と言わざるを得ないと思われます。もし仮に我が国が集団的自衛権を行使できることとなれば、同盟国たる米国の判断を否定することはできず、米国の判断に追随せざるを得なくなることは火を見るより明らかでしょう。そうすると、我が国自衛隊は、米軍と共にアフガンの奥地にまで侵攻しなくてはならなくなることは明白です。 中島氏は、この点を次のように正確に指摘されておられます。 「「侵略をします」と言って戦争をする国家指導者はいません。常に戦争は「自衛」を掲げます。しかし、「自衛」の概念は主観的な「脅威」意識に基づくから厳密に定義できない。改憲で集団的自衛権を認めれば、自国はおろか同盟国が「自衛」を掲げて行う侵略戦争にも加担しなければならなくなります。9条は日本の主権を守るためにも保守すべきです。」
この中島氏の指摘には、同感です。 そもそも9条の存在意義は、集団的自衛権の行使を否定しているところにあると言っても過言ではありません。侵略戦争は「不戦条約」によって国際法上当然に禁止されているわけであって、それは9条以前の問題です。仮に9条の規定が侵略戦争を禁止するという規範だとしてしまえば、9条がなくたってよいことになってしまいます。 かつての吉田総理が昭和21年6月26日の帝国議会において「従来近年の戦争は多くの自衛権の名に於て戦はれたのであります、満州事変然り、大東亜戦争亦然りであります・・・」という有名な答弁をした心境を、我々は再度噛み締めてみるべきでしょう。 私は、9条の制約があるから我が国の国際貢献が満足にできないのだという主張は、思いこみに基づく幻想であるような気がします。石破茂元防衛庁長官が、防衛庁長官であった時分に東ティモールのグスマン大統領の訪問を受け、 「自分はいろいろな国の軍隊を見てきた、・・・だけれども、世界の中にこんなにすばらしい軍隊、自衛隊があるとは思わなかった。自衛隊は、我々とともに笑って、我々とともに泣いて、我々とともに汗を流してくれた。我々を上から見下すようなことは一度もなかった。軍隊というものは常に上から物を言うものだ。だけれども、日本の自衛隊だけは違った。こんなすばらしい組織が本当に世界にあることをおれは知らなかった。」(平成18年8月11日の衆議院国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会における石破議員の発言)
と言われたというエピソードを紹介されていますが、9条の枠内であっても、自衛隊が他国から大いに感謝される国際貢献を行うことはできるわけですし、むしろ9条の枠内での活動だったからこそ、東ティモールの大統領からここまで感謝されたのではないでしょうか。 9条の規定は、その成立過程を捉えれば、確かに他者から与えられたものなのかもしれません(幣原提案説などもありますが・・・)。しかし、戦後今日に至るまでの長きにわたって、理想に過ぎるとも言える9条の下で、日本人はいかに国際平和に貢献できるのかについて悩み続けてきたという事実に、我々はもっと注目すべきです。この間の営みについては、正に日本人自身による思考作業であり、行動であったわけで、我々日本人はそうした事実をもっと前向きに受けとめてもよいのではないかという気がします。確かに湾岸戦争の際の苦い経験はありましたが、そうした経験を必要以上に卑下することはありません。 米国がなりふり構わぬ振る舞いをしている時代だからこそ、我が国はそれとは対照的に、9条の枠内での国際貢献を売りにして、独自のスタンスを築くことによって、国際社会の信頼を得ていくべきなのではないかと思います。
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東ティモールから昨年の混乱時に自衛隊と警察隊派遣要請を受けなかったのは単に宗主国で無いからでしょうか?9条の制約とは、貴方の言う良い部分もあるのかもしれませんが、私には、本当の意味での国際貢献や海外派兵のあり方から乖離した二者択一論に陥る原因に思えてなりません。PKO訓練センターがこの春まで設立しえなかったのも、そのよい例ではないでしょうか?
2007/2/24(土) 午後 8:45 [ ぬくぬく ]
>nukunukupowerさん 日本が他国の治安維持にどこまで関与するかは難しい問題です。数日前の読売新聞によれば、東ティモールでもオーストラリア軍が発砲して住民2人が死亡したようですが、我が国はそこまで至らない範囲で国際貢献するという道を選択しても、国際社会で相応の評価を受けるのではないかという感じがしています。
2007/3/3(土) 午後 6:52 [ the*d*r_w*00* ]
そうでしょうかね〜、伊勢崎氏が語った中にもあったと思いますが、NGOと言えど護衛無しで行けない場所はあります。では、そのようなところをどうするのか?今までどおり「金で護衛を雇う」と言うのが伊勢崎氏のお考えのようですが、そのようなものでは、どこかで行き詰まります。それなら、何もやらないほうがまだマシだと思います。中途半端に「国際貢献」などと言うのは止めるべきだと考えます。
2007/3/3(土) 午後 10:12 [ ぬくぬく ]
PKO活動は、どんなに飾っても本質は軍事活動です。自衛隊であれ文民であれその組織に参加させるのであれば、それ相応の理解と覚悟が必要だと思いますが、日本にはそのどちらもありません。まあ、この点は伊勢崎氏と半ば共通してますが・・・
2007/3/3(土) 午後 10:14 [ ぬくぬく ]