キリスト教神学のブログ

東京キリスト教神学研究所は、毎月第3水曜日に神学研究会を開催しています。キリスト教の基本的なクレドをしっかりと学びましょう。

全体表示

[ リスト ]

「新しい道」(via moderna) 

 スコラ主義時代の初期(およそ1200-およそ1350年)は実在論が支配的であり、主要な学派としてはトマス主義とスコトゥス主義であった。この2つの学派は宗教改革に与える直接的な影響はなかったが、後期スコラ主義(およそ1300-1500年)には2つのタイプの唯名論的神学が支配的であり、これは宗教改革に大きな影響を与えることとなった。この2つは「新しい道」(via moderna) と「新アウグスティヌス学派」(schola augustiniana moderna)である。これは「唯名論」と「アウグスティヌス主義」の衝突というものではなく、ともに「論理学と認識論においては唯名論的立場」をとり、「反実在論」であった。ただ「神学的立場は全く異なっていた」。それは「唯名論の多様性」というようなものではなく、実際には「新しい道」(via moderna) と「新アウグスティヌス学派」(schola augustiniana moderna)と今日呼ばれるようになった2つの学派が存在していたのであった。
 
 唯名論的両学派はともに普遍概念の必要性を否定していたが、神学的にはほとんど一致していなかった。特にその違いは「新しい道」はペラギウス的であり、「新アウグスティヌス学派」はアウグスティヌス的であった。ここにいう「ペラギウス的」とは当時、ペラギウスの異端と重ねて用いた蔑称であり、人間の能力に対する極端な自信と、神に対する信頼に欠けていることを意味していた。ルターに大きな影響を与えたガブリエル・ビールのような神学者が「罪に抵抗し、正義に向かう能力」を肯定するのに対して、リミニのグレゴリウスは「そのような資力はすべて人間性の〈外〉に見出され」、「正義に向かう能力すらも神の業によって生まれ、人間の業によってではない。」と主張したのだった。ルターはリミニのグレゴリウスの系譜の中に整理されることがあるが、「これまでの追跡研究からは、ルターへの影響関係はいまだ判然としていない」 。というのもルターの初期の著作には「新アウグスティヌス学派」に結び付く急進的アウグスティヌス主義の痕跡はない 。ただ、ヴィッテンベルク大学はその教授陣の多くをアウグスティヌス会から採用する傾向があり、ヴィッテンベルクの宗教改革者たちがアウグスティヌスの反ペラギウス的著作を強調していることからも、アウグスティヌス会の学問的伝統が再発見されて、新しく活動力を与えたと考えられる。後に、一五一七年ルターは「新しい道」を代表する人物としてガブリエル・ビールを槍玉にあげて批判するに至る。しかしこの時、ルターは自分の周りの状況をキリスト教教会全体の状況であると考えてしまったことは非難されてしかるべきである。確かに、中世における大学と学校の拡張は知的多様性を生み、その結果、神学的な意見と信頼できるカトリック教理との区別が困難であった。そのため当時は、神学者の個人的意見と公的教えが混同されていた。また教皇は、教会の公的な教えが何であるかを明確に打ち出そうとも、それを守らせよともしなかった。「いみじくも歴史家たちが指摘しているように、ルターは中世の教会を完全に異端的教理に満ちた教会、あるいは新約聖書から完全に離れてしまった教会であるとみなしたが、それは真実ではなかった。そのことからルターの要求になぜヨーロッパ全体が呼応しなかったのかを理解できる」 。


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事