キリスト教神学のブログ

東京キリスト教神学研究所は、毎月第3水曜日に神学研究会を開催しています。キリスト教の基本的なクレドをしっかりと学びましょう。

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カトリック神学とプロテスタント神学 1
ローマ1章20節
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らの弁解の余地はないのです。
この箇所をみれば、トマス神学だと「神の永遠の力と神性は」「被造物によって知られ」るという見方になり、自然神学へと扉は開かれる。
それに対して、ルター神学はむしろその扉を閉じる方向に向かう。
この部分でカトリック神学とプロテスタント神学は大きな違いを見せる。
ルターにいわせれば以下のようになる。

確かに神の神性は「被造物によって知られる。」。そうであるのに「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。」(ローマ1:21)とあるではないか。ローマ書1:22−32までは、人間のあらゆる罪が並べ立てられている。
ルター自身は『ロマ書講義』にて、ローマ1:28「神を心に留めることを彼らは良しとしなかった。」こと、およびⅠコリント1:21「事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、選挙うのことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。」を引用している。
ルターが引用するところのパウロの「宣教の愚かさ」(21)とは、アテネにおいて知的な論争を通してキリストを伝えようとしたパウロの反省から語られた次の言葉に収斂されている。
「私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」(Ⅰコリント2:2)
つまり、人間理性は「被造物」を見ても神の神性を見ようともせず、分からない。人間の知恵とはそのようなものだということをパウロは確認しているのだ。それゆえに、十字架にかけられたイエス・キリストを神の力に支えられるところの信仰にあって語るのだ、とパウロは決心している。
この部分においてこそ、トマス神学を中心とするカトリック神学とプロテスタント神学は大きく分岐する。
基本的にプロテスタント神学は啓示神学であり、カトリック神学のような自然神学がないといわれている。そのために存在の類比もない(それに対してプロテスタント神学は「信仰の類比」を語る)。
しかし、このような対立点にも関わらず、ルター神学の土台を提供したのは、フランシスコ会士であるドゥンス・スコトゥスでありウイリアム・オッカムであったことが徐々に語られるようになってきている。

私は、宗教改革の激しい対立の中で、カトリック教会はプロテスンタント神学と親和性のあるフランシスカン神学は奥に引っ込め、トマス神学を前面に押し出すしかなかったのではないかと考えている。


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