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『使徒教父文書』「ディダケー(12使徒の教訓)」は1世紀末頃に成立したものですが、当時の諸キリスト教会の慣行をかなり詳細に反映しています。 アレキサンドリアのクレメンスやアタナシオスを始め、多くの人々がこの文書を引用しています。
ディダケー14:1
主の日(日曜日)毎に集まって、あなたがたの備えモノが清くあるよう、先ずあなたがたの罪を告白した上で、パンをさき、感謝を献げなさい。
また、『使徒教父文書』の中の『イグナティオスの手紙―マグネシアのキリスト者へ』にも主日礼拝についてのハッキリした意志表明の記述があります。
イグナティオスはアンテオケ教会の2代目(3代目説あり)の監督で、使徒ヨハネの弟子ともいわれています。
また、このアンテオケ教会は異邦人伝道の発信地であり拠点です。
パウロやバルナバがこのアンテオケ教会の基礎を築いたのです。
ですから、イグナティオスの手紙に記されている次の記述は非常に重要なものです。
イグナティオスの手紙9:1
それでもし旧い生き方で暮らしていた人々が希望の新しさのもとに至り、もはや(ユダヤ教)の安息日(土曜日)を守らず、むしろ主の日(日曜日。キリストは日曜日に復活した)を守って生きるなら―主の日に私たちの生が、彼を通しまた彼の死を通して、立ち現われたのです。これを否定する人達もいますが。しかし私たちはこの疑義を通じて信仰を得たのであり、そしてだからこそ私たちの唯一の師イエス・キリストの弟子とされるために、忍耐しているのです。
ここには、すでに日曜日の主日礼拝を行うことへの決心が、キリスト教徒であることのアイデンティティであったことがわかります。
もちろん、エルサレム教会はユダヤ人教会だったので土曜日に礼拝を行っていたことでしょう。
しかし、アンテオケ教会は異邦人とユダヤ人の双方がいました。
そのとき、すでに土曜礼拝ではなく、日曜礼拝を行っていたのです。
異邦人伝道の本拠地であったアンテオケ教会がすでに日曜日の礼拝に対してここまでの決心を語っているのですから、ローマ・カトリックが土曜礼拝を日曜礼拝に変えてしまったなどというトンデモ話は通用しません。
初期キリスト教会の2大学派としてアレクサンドリア(アレクサンドリア学派)とアンティオキア(アンティオキア学派)があります。
アレクサンドリアではクレメンスが「ディダケー」を用いており、アンティオキアではイグナティオスが日曜礼拝に対する堅い決心をしているのであれば、初期キリスト教会ではすでに広く一般に日曜礼拝を行っていたことは疑いようがありません。
さらに新約聖書の中においても、すでに日曜日の礼拝が行われていたことが分かります。
使徒20:7
週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。
週の初めの日というのは、もちろん日曜日です。
Ⅰコリント16:2
私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。
日曜日には収入に応じて手元に献金を蓄えておくように伝えています。
ここでも日曜日における集まりがあったことを前提としてパウロが話していることがわかります。
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2019年01月15日
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