|
※盛大にネタバレを含みます。島田荘司『水晶のピラミッド』を未読の方はご注意ください
何故、ミクルが心にのこっているのか?
とまあ、前半でいろいろ書いて。 ミクルが魅力的なキャラクターなのはもちろんなのですが。 彼女が自分にとって忘れられないキャラクターとなった理由は実は別にあります。 それは、ミクルが 「考えられる限り最大級にショッキングな最期をむかえた」 からなのです! 驚きましたよ。 ディッカにはもともと婚約者がいたのですが、ディツカがミクルに夢中になってからは疎まれていました。 その婚約者は、ミクルを激しく憎みます。 ディツカが戦争へ行って不在の間に、手をまわしミクルを「生贄」に捧げてしまうのです。 その女は外国からの亡命貴族でエジプトとは違う神を信じる異教徒でした。 そのため、異教徒の流儀によって儀式を執り行うのです。 ミクルはその儀式により……。 ・水につけられて溺死させられる。 ・全身の皮を剥がされ、その皮を神官が着て踊る。 ・頭蓋骨を杯にされる。 思わず、本を落としました。 実際、場面が描かれたわけではなく、目撃者の証言だけなのですが、十分すぎるくらいの衝撃でした。 主人公が、ヒロインが、こんなにあっさり、こんな無残でグロく、しかも死体まで弄ばれるような殺され方をしてしまうとは! 島田先生は残酷な殺人が割と好きですから、グロい死体なんぞいくらでも出てきます。 ミステリー小説では惨殺死体なんていくらでもでてきます。 ホラー漫画やホラー映画なんか凄まじい残虐シーンがいくらでも出てきます。 彼女以上の惨死を遂げたヒロインもたくさんいるでしょう。 しかし、それでもミクルの最期ほどの衝撃はないのです。 その理由として以下のものがあげられます。 ・いままで童話風の語り口で話が進んでいた。 島田先生は恐ろしいですね。あんな優しい語り口で、こんな残酷な展開をあっさりやってしまうのですから。 童話風の語り口とファンタジー的な背景に騙され、そんな展開になるはずはない、という思い込みがあったので……よりショックが大きかったわけです。 読み返してみると、話の内容としてはわりと際どかったりするので、騙されたほうが悪いと言われればそれまでなんですけどね。 ・ミクルが魅力的に描かれていた ミステリーで殺される被害者というのは、どんなに惨殺されてもそう悲しくはありません。 所詮、話を盛り上げるための要素でしかなく、そこまでキャラクターとして掘り下げらえることは少ないからです。 だから、たとえバラバラにされようが、目をほじくりだされようが、皮を剥がされようが 「あら、かわいそう」 で終わりなのです。 しかし、ミクルは違います。 読者は彼女とともに長い時間を過ごし、彼女とともに旅をし、彼女の内面まで踏み込んでいるのです。 読者は彼女に感情移入しており、いわば友達や親戚のように身近に感じているわけです。 それが、惨殺されるわけですから。「殺され役A」の死とはレベルが違いますよ。 それに、バトルものやホラーものは「ああ、もしかしたら死ぬかもね」という読者の覚悟もあります。 しかし、ミクルの場合はそんな覚悟をする暇もなかった。もしかしたら、なにかトリックがあって実は生きているのでは、と最後のほうまで期待しましたよ。 それにバトルものやホラーものなら、殺されるキャラクター自身も「もしかしたら死ぬかも」という覚悟はしているはずです。 しかし、ミクルは自分の命が絶たれるなどまったく思わず、普通に朝を迎えたわけですから。あわれすぎる……。 ・救いがない 「ドラ〇ンボール」のクリ〇ンの最初の死はショックでした。 主人公の親友で、どちらかと言えば「ギャグ担当」だった彼がまさか! という思いを持っていたからでしょうね。 しかし、彼は結局生き返ります。 この話はオペラ「アイーダ」も背景にあります。アイーダも最後は死にますが、愛するものと一緒に死ねる、という一種の救いがあります。 また、その死後に誰かが仇をとってくれた、とか誰かを大きく成長された、とか。 惨殺されても、なにかしらの救いがあれば、まだいいのです。 でも、ミクルの死には救いはありません。 ミクルはもちろん生き返りません。 そして、彼女の恋人ディッカもまた悲しい最期を迎えます。 戦争に負けて逃げ帰り、ミクルが殺されたことを知って逆上し、儀式を執り行った神官を殺害。その罪で地下へ一生閉じ込められる(事実上の死刑)こととなります。 しかも、殺した神官はミクルを殺した一派のひとりで所詮従犯にしかすぎません。 本当に憎むべき相手は、彼のもと婚約者であり、それに手をかしたファラオの座を争う兄であり、その仲間の貴族であり……。 それらにはなんの復讐をすることもできないまま、彼は死を迎えることとなります。 まさに、その死になんの救いもないのですね。 ・あっさりと殺される 後半、ミクルが殺されるまでがあまりにあっさりしています。 主人公なのに、ヒロインなのに、伏線もほとんどなく、いきなりですからね。 心の準備ができていないところでいきなり、というのが衝撃的だったのすね。 全体的に急ぎすぎた感がぬぐえきれません。 もともと、「作中作」的な位置づけなので、どうしてもページがとれなかったのでしょうね。 ・もともと殺されるためのキャラクター ミクルは溺死させられます。 この作品は「文明の溺死=驕り高ぶった文明の自滅」というのがテーマのひとつですが、ミクルの死は「純粋な者の命を軽視する文明の驕り」の象徴として扱われます。 つまり、島田先生はこのテーマのためにミクルを殺したのであり、さらにいえば、「そのためにミクルというキャラクターを創造した」わけです。 最初から殺されるためだけに生み出された、なんとも悲しい運命のヒロイン……。 と、これらのような要因が重なり、ミクルの死は相当に重いものとなっているのです。 実は、これを書くのにあたってもう一度読み返してみようかとおもったのですが、どうしてもできないんですね。 彼女の運命を知っていると、どうにも辛くて辛くて……。 ページをめくることもままならないのです。 それくらいの衝撃を残してくれましたよ。 残念なのは
やはり後半が駆け足ですね。 ミクルが殺されたのは「女の嫉妬」のほかに複雑な政治問題が絡んでいるように匂わされていますが、それがかなり省かれています。 これを書けば、重厚な政治ドラマにもなったんですけどね。 それに、ミクルに惚れたであろう漁師の青年も、意味深な台詞があったにもかかわらず、再登場はしないし。 雰囲気つくりの作中作にするには内容がありすぎたんでしょうね。 ぜひ、島田先生にはこれを独立させてひとつの長編にしてもらいところですが……おそらく無理でしょうね。 そもそもこの挿話は
御手洗シリーズは、多くは御手洗の友人、石岡和己の手によって書かれた記録という形式をとっています。 と、するとこの挿話も石岡君の創作と考えるべきなのでしょうね。 エジプトで拾った指輪、カイロ博物館で見た像、夢で見た少女……。 それらからイメージを得て書いたと考えるべきでしょう。 エジプト篇で匂わされる「ピラミッドの本当の役目」が、ミスリードのための偽のトリックとつながりますからね。 そして、ミクル、という名前も。 現実世界で、怪物(実は奇形児)が「ミクル」とつぶやくシーンがあるのですが、それは聞き違いで、「ミラクル」といっただけだった、という噴飯物のオチがありますが。 その聞き違いから、つけたということなのでしょう。おそらく。 ツッコミあれこれ
好きなお話ですが、ところどころツッコミがあります。 ・世界観がエジプトというより古代アメリカ ミクルの生贄描写、もろマヤ・アステカですね。 浮島にひとが住んでいる、というのもアメリカの湖ですし。 「異教徒とはいえ、もともとおなじ神を信じていた」 と語られていますが、まあ、たしかにエジプトとアメリカはおなじ太陽信仰。 ピラミッドも共通します。 しかし、エジプト文明とアメリカ文明につながりがあるって……このあたりにはあまり詳しくないですが、それってまずありえないですよね? 時代も民族も違うし。 ピラミッドつながりで連想したのかどうなのかは知りませんが。 ・ミクルの像 現代で石岡君がミクルをモデルにした像(だと思われる)を見て、これを作ったものがどれだけ愛情を込めたのか、と語っています。 たしかに、像を作らせたのはディッカですが。 像を作ったのは、彼が連れてきた芸術家ですwww。 その芸術家も、ミクルを愛していたんですかね? ・ディッカという王子 もうひとりの主人公ですが。 ミクルを巻き込んで、死なせてしまったダメなヤツ、というイメージしかないです。 宮中が、陰謀渦巻く危ないところだと知っていたなら、ミクルに危害が及ばないようにしておけよ。 「文明の死は常に溺死だ」なんてかっこつけないで。 まあ、戦争に負けて捕虜になり、「ミクルに会いたい」一心で逃げてきたら、彼女は惨殺されていた……という、最も辛い思いをしたのは彼ですけどね。 あと、ミクルの死に関しては当時、けっこう反響があったのではないかと思います。 次回作、「眩暈」で「死体の皮を剥ぐのは残酷じゃない」という台詞が出てきたり(ミクルが皮を剥がされたことを意識しているのか?) 次々作「アトポス」で、魅力あるキャラクターをあっさりと死なせる作家を出して、キャラクターをあっさり殺すことの意義を解説させたり。 島田先生、だからそんな弁明していないで、完全版を書いてよ〜。 ミクル鎮魂計画
いまさらなんで、こんなものを書いたのか、というと。 ふと、「そういえば、ミクルのイラストってどのくらいあるんだろう?」 と、PIXIVで調べてみたら。 「一枚もない!」 ネットでいろいろ調べてみたら 「一枚だけあった!」 こ、これは、あまりにもミクルがあわれだ〜!!! というわけで。 これを読んでいる御手洗潔シリーズファンのみなさん! 古代エジプト好きのみなさん! ぜひ、ミクルのイラストを描いてあげてください! さめて、彼女の眠りが安らかであるようにと祈って……。 |
コラム
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
※盛大にネタバレを含みます。島田荘司『水晶のピラミッド』を未読のかたはご注意ください。
「ミクル? ああ、ハルヒのね。でも、あれは『みくる』ちゃんでしょ?」 と思ったかたがほとんどですよね。 そう思ったかた、あなたは正しい。 普通はそう思う。 だけど、ここでは間違いなのです。 「ミクル? ああ、水ピラの、エジプト編の女の子ね」 と思ったかた。あなたは同志です。ぜひお友達になりましょう。 まず、ミクルとは誰か? ということの前に、『水晶のピラミッド』という小説について少しお話しておきましょう。 『水晶のピラミッド』略して『水ピラ』とは?
「新本格」と呼ばれるミステリー一群があります。 島田荘司先生は、その新本格ミステリーの魁的存在です。 その島田先生が生み出した名探偵がご存知、御手洗潔。 え? 知らない? なに? おてあらい・きよし だと? そういうひとは帰ってください。 そして、とりあえず『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』『御手洗潔の挨拶』の3冊は読んでください。 『水ピラ』は、その御手洗潔が活躍するシリーズのひとつであり、一般的に推理小説に分類されます。 この小説、とにかく分厚い! 文庫本で700ページを越す大作です。 そして、内容も濃い! 単に推理小説というだけにとどまらず、文明批判やら古代文明の謎やら、とにかく盛りだくさんに詰め込まれています。 読み応えは非常にあります。 「世界最長のミステリ」(発刊当時です。いまは知りません)『人狼城の恐怖』で知られる二階堂黎人先生が「大傑作」と評するのも頷けます。 しかし。 この小説、巷の評判はあまりよくありません。 実を言うと、私も評価は「う〜ん……イマイチ!」 なのです。 その理由として以下のものがあげられるでしょう。 ・無駄に長い ・トリックがチープ 全700ページの大作、とはいうものの、なんと! その半分が序章です!! 正確に言うと、全く別の話が二本(古代エジプトの挿話と、タイタニック号の挿話)入っているのです。 当然、読者は「後の謎解きに関係するのだろう」と思って読むのですが。 「関係ないじゃん!」 なんと! 全く、それこそ1ミクロンも関らないのですね〜。 単なる雰囲気作りなのです。 まあ、強いて言えば「ミスリード」の役には立っていますし、物語の奥行きを深くしてはいますが。 なくても十分なりたちます。小説は実質300ページもあれば十分なのです。 そして、極めつけは、そのトリック! 割合早く謎解きがされるので、 「ああ、この解明はフェイクだ。後で真相が暴かれるぞ」 と期待します。実際、そういう展開となるのですが……。 「ここまで読ませておいてそのオチかい!」 と、思わず本を引き裂きそうになりましたよ。ええ。 期待させといて、それはないでしょう、としか言えないようなオチですね。 その驚きの真相とは……まあ、ぜひ読んでみてくださいwww。 このように、散々冗長な話を読まされた上に、お粗末なトリック。 「ミステリー」としてのできはお世辞にもいいとは言えないでしょう。 それが、読者の評価を下げる要因ですね。 この小説を評価するひとは、「ミステリー」としてよりも、一種の冒険小説としてとらえているのでしょう。 そういう感覚読むのが正しいのかもしれませんね。 で、ミクルとは?
いよいよ本題です。 この小説は先に説明したとおり、前半が「古代エジプト編」と「タイタニック号編」が交互に繰り返される形になっています。 ミクルは、「古代エジプト編」の主人公(ヒロイン)となる女の子です。 エジプト篇は、時代は古代エジプト。ギザの三大ピラミッドがまだいまの形ではなく、スフィンクスもできていなかった時代のお話です。 (この小説では「ピラミッドは下半分と上半分はできた時代が違う。下半分は別の目的で作られた」という仮説に基づいて展開しています) ナイル川に浮かぶ浮島、マーデュ。そこに住む少女ミクルは、ある日大きな箱が流れ着いたのを見つけます。 あまりにきれいな箱なので、椅子にしようと思い近寄ってみると……なんと、中から青年が出てきたのです。 青年の名はディツカ。後に明かされますが、実はファラオの第二王子で謀略によって箱に詰められ川に流されたのです。 (この話の元ネタは、冥界の神オシリスの神話です) ミクルの介抱のおかげで元気を取り戻したディツカは、しばらくマーデュで暮らした後、都へ帰ります。 別れ際、ミクルに指輪を送り、「都へ来ることがあれば自分を訪ねてくるといい。そうすれば力になる」と約束するのです。 そして二年後、ディッカの使者から彼が呼んでいることを告げられたミクルは、思い切って都へ旅に出るのです……。 と、まあ、前半はこんな感じです。 ミクルが、とてもいいのです。かわいらしく純情で、素朴で……とにかく愛らしく描かれています。 島田先生は、無味乾燥と言わていたミステリーにキャラクター性と物語性も持たせたということでも評価されていますが、まさに先生の本領発揮といった感じです。 ですます調で語られる、童話のような語り口もまた独特でいい味を出しています。 優しいファンタジー的な世界観が、ミクルのイメージとピッタリ合っているのです。 また、古代が舞台でありながらも都市へ出ていく少女、というイメージは現代でも通用するものであり、それも彼女に感情移入しやすい理由だと思います。 自分のすべてであった小さな島から出て広い世界へ出たミクルにとっては、なにもかもが新鮮であり、親切な船乗りや不思議な青年(たぶんミクルに惚れたと思う。彼女は気づいていなかったけど)との出会いなどもあります。 彼女の未知への好奇心や、初めてのものへの驚き。そんな感情が丁寧に表現されていて、たぶん多くの読者がここでミクルに魅力を感じるのではないでしょうか。 そして、ギザについて彼女は、ディッカと暮らすようになり、お互いがなくてはならない大切な存在となっていくのです……。 つづく |
|
NHK大河ドラマ『平清盛』
視聴率の悪さばかりが話題になり酷いバッシングのされようですが個人的には好きですし、面白いと思います。 「視聴率が悪い=駄作」と一方的に決め付けるひとも多いですが、視聴率は「どれだけ見られているか」という基準のひとつであり、番組の質を反映しているとはかぎりません。 「視聴率をあげたければ、視聴者の頭のレベルを小学三年生程度と想定して作ればいい」 という言葉もあるらしいですから。 とはいうものの。 「見ているひとが少ない」というのは、それはそれでどこか問題があるのは間違いありません。 そこで、「なぜ、視聴率が悪いのか」というのをすこし分析してみたいと思います。 ・時代背景に馴染みがないひとが多い 「平家物語」好きならいざしらず、ほとんどのひとはあまりこの時代には興味ないでしょうね。そのため、時代背景がわかり辛く、複雑な政治情勢もなかなか理解しづらいのです。 ・華のあるシーンがすくない 政治的な駆け引きが中心なので、合戦など華のあるシーンがすくないですね。やはり安定して人気の戦国ものに比べれば地味に感じてしまうところでしょう。 ・前半がやや退屈だった 上記の理由もあり、前半は割合退屈でした。なんどか「見るのやめようかな」と思ったことも実際ありましたし。結局、惰性で見てしまったのですが……。 ところが! 中盤以降から急激に面白くなりはじめたのです! なぜか、と考えれば 「前半で丁寧に張り巡らされた伏線が実に巧妙に生かされ始めた」 からなのです。 叔父・忠正との確執。少々、しつこいくらいでしたが、それがあったからこそ「やっとわかり合い、お互いを認め合えた瞬間に敵味方に別れることとなる」という悲劇に胸うたれました。 清盛が一門を背負って立つシーンで力強さを感じたのも、心の葛藤と成長を丹念に描いたから。 信西入道の国政への思い、海外貿易により国を富ませるという夢がしっかりと描写されていたからこそ、志半ばで散っていく信西の姿に涙する。 他にも、数えればきりがありません。 しかし。 いま、面白いと感じるのは 「退屈だった前半を見てきた」からなのです。 つまり、「途中から見ても面白さは全くわからない」のです! そのため、残念ながら視聴率がこれから劇的にあがることはないでしょうね。 ただ、視聴率狙いで大衆受けするシーンを大量投入するくらいなら、むしろ「視聴率は低かったが、後世に高く評価される名作」を作ってもいたいところ。NHKは、視聴率至上主義にならずにそれができる唯一の局なのですからね。 とはいうものの。 最近はNHKも視聴率にこだわらなければいけないご様子で、いろいろとなりふり構わないようですが……。 質の高い番組つくりを目ざしてがんばってほしいところです。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- テレビ
- >
- ドラマ番組
全1ページ
[1]




