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ゲームは口承文芸〜すごろくの滅亡2
なぜ、隆盛を誇ったすごろく(盤双六)は滅亡してしまったのか?
それには以下の理由が考えられます。
1、賭博と結びついたため
多くの遊戯は賭博と深いかかわりを持ちます。
特にすごろくのような「偶然性」(すごろくの場合はサイコロ)を使った遊戯は、必然的に賭博と結びつく運命になるようです。
賭博は、社会混乱に発展しやすいため、禁止されることが多くなります。
すごろくも、何度も禁令が出されたことが記録に残っています。
2、絵双六の隆盛
いわゆる、いまでいう普通の「すごろく」。日本では盤双六も絵双六も、「すごろく」とひとまとめですが、海外では「盤双六」と「絵双六」は別のゲームと認識している事が多いようです。
例 ヨーロッパ 盤双六=バックギャモン 絵双六=グースゲーム(ガチョウの遊戯)
たしかに、両者はさいころを使うという共通性はあれど、「複数の駒」か「ひとつの駒か」と、だいぶゲーム感覚はことなります。
むしろ、「サイコロを使う」以外に共通点はないとも言えます。
日本では、もともと「盤双六の余興として絵双六が発達した」という歴史があったようで、次第に「すごろく=絵双六」というように変わっていき、盤双六は次第に忘れられていったようです。
3、運と実力と
将棋や碁は、「偶然のない、実力勝負のゲーム」ですが、すごろくは「偶然性(サイコロ)が重要な意味を持ちます。
「偶然で勝負が決まるのを嫌う」という風潮が日本では強く、将棋や碁の隆盛とともに、見向きもされなくなったと考えられます。
一方、単純な遊戯を好む層からは「中途半端に実力が絡む」すごろくは次第に敬遠され、「単純に運だけ」の絵双六、さらにはすぐに勝負が決まる「丁半」が好まれるようになっていきました。
運と実力が合わさって、」というのがすごろくの魅力ではありますが、それが却って日本人には受けなくなっていった、ということなのかもしれません。
このような理由で、すごろくは日本から姿を消しました。
しかし、欧米では伝統的なバックギャモンが遊ばれ続け、近年はそのルールを応用した新しいすごろくゲームがどんどん作られています。
それらが日本にも紹介され、徐々に人気が出てきています。
一度日本から姿を消したすごろくは、形をかえてふたたび日本へ戻ってこようとしているのです。
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昔話
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ゲームは口承文芸〜すごろくの滅亡1
すごろくの滅亡。 このタイトルを見て、「それはいくらなんでもおおげさな」と思われた方も多いでしょう。 たしかに、やる機会は減っているけど、お正月とかはたまにやるし、雑誌のふろくなんかでもたまにあるし、人生ゲームはいまでもよく売れてるし……。 しかし、これらと、今回とりあげるすごろくは違います。 すごろく……漢字で双六には、大きく分けて二種類あるのです。 盤双六 各自複数の駒を使用する マス目には指示はないが、駒同士の絡みでイベントが起きる 絵双六 各自ひとつの駒だけを使用する マス目には指示があり、それに従う サイコロなどを使用するのは共通ですが、このような違いがあるのです。 現在、普通に「すごろく」と呼ばれるのは「絵双六」のほうです。 今回、とりあげるのは盤双六のほうというわけです。 盤双六は平安時代末期から鎌倉初期あたりには爆発的に流行したようですが、徐々におとろえ、江戸中期にはほとんど行われなくなっていたようです。 今回は、「なぜ日本では盤双六は滅びてしまったのか」という問題を扱ってみたいと思います。 盤双六とは? 黒と白の駒を使用し、ふたりで対戦します。 近年、大河ドラマ「平清盛」で印象的な小道具として使用されました。 現在の欧米などで行われているバックギャモンと先祖を同じくし、ルールもほとんど同じと言われています。 盤双六の起源は古代エジプトで「セネト」と呼ばれるゲームでした。 それがヨーロッパに伝わり「バックギャモン」に、中国へ伝わり「双六」になったとうわけです。 驚くことに、セネトと現在のバックギャモン、そして盤双六はルールがだいたい同じだそうです。 つまり、長い時代・距離をへても変化を必要としなかった、それほど完成度の高いゲームだった、ということですね。 日本にも海外との交流を通して広まり、最初は貴族のたしなみとして、やがて庶民にも広まり、たびたび禁止令が出されるほどの流行となったようですね。 それが、なぜ、滅亡してしまったのでしょうか??? |
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ゲームは口承文芸〜UNOの悲劇
UNO おそらく、日本人のほとんどが一度はプレイしたであろうゲームではないでしょうか? UNOは、もともとトランプで行うゲーム「アメリカページワン」をもとに考案されたゲームです。 「アメリカページワン」は特定の作者は不明の「口承文芸」ゲームですが、「UNO]は作者もはっきりしており、「記述された文学」に近いと言えます。 昔話をもとに小説を書くようなものですね。 ところが、「UNO」には「口承→記述」の流れだけではなく「記述→口承」の流れも含まれているのです。 「UNO」をプレイしたことのあるみなさん。 みなさんは、以下のルールでプレイしていますか? ・同じ数字なら何枚でも一緒に出せる。 ・出し終わったひとから抜けていき、最後のひとりになるまで続ける。 ・役カードではあがれない。 これらは、実は正式ルールにはないものです。 いわゆる「ハウスルール」であり、誰かが勝手に作ったルールがいつのまにか広まってしまったのです。 そもそも、「説明書を読んでルールを覚える」のではなく、「誰かから教えてもらう」ために、このような本来なかったルールが広まることになるのです。 これは、まさに口承文芸、とくに昔話に近いと言えます。 ハウスルールには、「遊びやすくする」「違った面白さが味わえる」という利点もあるものの、「ゲームの作者が意図したことを台無しにする」という負の側面もあります。 「UNO」は本来「誰かがあがったら、残りのプレイヤーは残ったカードの数字を合計し、少ないものから順位が上になる」というルールです。 とくに、役カードの点数は高く「強力な役カードをできるだけ残しておきたいが、あがれなかったときのリスクは大きい」というジレンマが生じます。点数のルールがなくなったことにより、このジレンマは消滅しました。(一応、役ではあがれない、というルールはこのジレンマをいくらかは残してはいますが) また、各数字カードの数字にも意味はなくなりました。「0や1を残したほうが有利」という戦略も消滅したのです。 さらに、複数のカードを出せるルールは「一発逆転」の爽快感は得られるものの、「大味な運ゲー」という側面をさらに強くしました。 結果、「UNO」は日本では「所詮、運だのみのお子様ゲーム」ということになってしまったわけです。 これは、「UNO」の悲劇といえるかもしれませんね。 |
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ゲームは口承文芸
ゲーム(ここではコンピューターゲームではなく、アナログゲームのことを指します)は、口承文芸の一種だと考えています。 口承文芸……口承で伝えられてきた文芸。また、多くの場合、 特定の作者が存在しない。 ゲームの多くは、これに当てはまります。 トランプゲームの多くは明確な作者が存在せず、また「解説書などを読んでルールを覚えた」というひとは少なく、たいていは誰かに「口でルールを教えてもらった」という場合が多いと思います。 また、口承文芸は「広まっていくうちに、話が変化していく」という特徴が見られますが、ゲームにもそういう傾向があります。 例えば、多くのひとが一度はプレイしたであろう「大富豪大貧民」。 初回にプレイするときは「ルールの確認」からすうrのが通例です。 「みんな知ってるから」といってはじめたら、自分が知っているルールと相手が知っているルールが異なり、ゲームにならないことがあるからです。 これは、口でルールを伝えているうちに、やるひとによってルールが変わっていくからです。 単純な間違いや、「こちらのほうが面白い」と勝手にかえていったりするからですね。 これらのことより、ゲームは口承文芸の一種であると考えます。 ここしばらく、「口承文芸としてのゲーム」を見ていくことにしたいと思います。 |
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不遇な昔話 その1 蛇婿入り
「蛇婿入り」 その名の通り、「蛇が人間の女性を妻に迎える」という筋書きのお話です。 非常に広範囲に伝わってり、採話数も相当多いです。 また、話のバリエーションも非常に豊富です。 非常に古いいわれを持つといわれており、日本神話の『三輪山神話』などもこの系統ではないか、と論じられています。 つまり、「蛇(=神の化身)が、女性と関係を持ち、そこから神聖な力を持った一族がはじまる」という、氏族の由来を語るものだった、というわけです。 ところが、この「蛇婿入り」、採話されている多くは「見初められた娘・あるいはその協力者がなんらかの方法で蛇を倒す」というバージョンとなっています。また、子供を宿す場合も、「ある方法によって、その子供を奪胎してしまう」という展開になることが多いです。 これは、「蛇=髪の化身」という信仰が時代と共に薄れ、「蛇=人間の女性を狙う妖怪=退治されるべきもの」というように変わって言ったからではないか、と考えられます。 また、この「退治型」は、すでに『日本霊異記』にも見るので、少なくとも奈良〜平安初期には、すでに蛇神信仰が薄れ始めているとも考えられるかもしれません。(あるいは、仏教の隆盛も関係あるかも) さらには、後半が「姥皮」という別の昔話と結合していることも多く、多彩な変化を見せる昔話です。 しかし、どのタイプをとっても、現在ではあまり受け入れられないかもしれませんね。 「蛇と結婚? 気持ち悪い」「蛇の子供? なんか嫌!」「子供を流す、ってどういう意味?」「蛇の子供でも、自分の子供でしょ。殺すなんてひどい」「蛇をころしちゃうなんてかわいそう」 とかなんとなかって。 次回は、蛇婿入りの例話を紹介してみることとしましょう。 |




