|
生態系修復への挑戦
死の海域の再生法を知るだけでは不十分だ。再生のカギは、各国政府がその重要性を認識し、取り組みの先頭に立つことにある。実のところ,死の海の回復事例はわずかしかない。陸からの栄養塩流出を減らすには、農業の変革と廃水処理の取り組みが必要となるからだ。そうした計画もあるにはあるが、これまでのところ陸域からの栄養塩流出を部分的に削減できただけだ。
栄養塩流出を縮小するには、流域全体にわたる包括的計画を導入して、窒素とリンを陸地にとどめ、水系への流入を防がねばならない。現在、チェサピーク湾と黒海で、そうした取り組みが進んでいる。黒海のケースでは、周辺諸国が国連の地球環境ファシリティー(GEF)から支援を受け、栄養塩流出を1990年代半ばの水準に保つ画期的な計画に合意している。農業活動や廃水処理を改善する試験的規模のプロジェクトを通じて,死の海域再生を促す構想だ。
とはいえ,黒海の生態系を完全に再生して維持していくには,重大な間題を2つ克服しなければなら意い。欧州諸国政府は,新生なった経済発展が陸域から海への栄養塩流出を再び招かないよう,確実に対策を講じる必要がある。例えば最新技術を使った大規模な廃水削減計画に投資すべきだ。これはドナウ川流域で特に重要だ。西ヨーロッパでは集中的な農業活動によって河川や沿岸水域がたびたび富栄養化してきたが、そうした西ヨーロッパの農場経営者が中央ヨーロッパの農地買収に意欲を見せている。
次に各国政府は漁業活動を抑え、捕食魚種を回復させなくてはならない。底引き網漁などは重要な底生生物集団を破壊するので。これも効果的に規制する必要がある。
海に接した世界中の国々が、富栄養化海域での漁業活動を減らす努力をしなければならない。地球上の漁場の半分以上がすでに乱獲状態にある現在、容易ではない目標だ。2012年までに地球規模の保護海域ネットワークを構築しようという国際的な合意が取れているものの(実現すれば乱獲に歯止めがかかり、死の海再生に不可欠な既存種を守ることにつながる)、取り決めには強制力がないため、目標達成は難しそうだ。
また、富栄養化にさらされた生態系が部分的に再生したとしても、まだ非常に不安定な状態であることに注意しなければならない。例えぱイガイは水を濾過する能力が非常に大きいため、水質改善を目的に人工礁にイガイが導入されてきた。しかし一方では、イガイの排泄物や死骸が細菌によって分解される際に大量の酸素が使われる。このため、水の循環が乏しく酸素補充が不十分な場所では、小康状態と悪化の繰り返しになる。繁栄していたイガイ集団が急に崩壌すると死の海域となり、死骸が完全に腐敗するまで回復は期待できない。
この現象はバルト海に臨む河口で実際に観察されている。海洋資源管理者に求められるのは、回復力と生物多様性に富む生態系を支える条件を維持することだ。たとえ完全な再生が不可能になってしまった場所であっても、そうした条件を維持しなけれぱならない。
より微妙な話として、生態系の質や健全さに対する評価が、その地に暮らす住民の価値観によって異なるという問題がある。死の海の修復によって小さな被食魚種が戻ってくれぱよいという人もいるだろうし、最上位捕食者で満ちた海が再生しないと満足できない人もいるだろう。
沿岸に出現した死の海域は、人類の出す廃水を自然生態系がやすやすと吸収してくれるとは期待できず、しぱしぱ予想外の重大な結果を招くことを私たちに思い知らせてくれた。いまや死の海を修復する方法はわかったが、その実現は、廃水が環境に及ぼす影響を私たちがどうとらえるか、世界の海洋生態系に私たちがどの程度の価値を認めるかにかかっている。
(翻訳協力:伊藤伸子)
著者 Laureme Mee
英プリマス大学海洋研究所所長。同大学の学際的な研究組織である「海洋・沿岸政策研究グループ」のリーダーも務める。リバプール大学でPh. D. を取得した後、メキシコの海洋・湖沼科学研究所とモナコにあるIAEA(国際原子力機関)海洋環境研究所で研究し、国連の地球環境ファシリティー(GEF)による「黒海環境プログラム」の指揮を執った。1998年、マリン・コンサベーションのフェローに就任。海洋と関連流域、沿岸の環境を保護する方法を研究している。
原題名
Reviving Dead Zones (SCIENTIFIC AMERICAN November 2006)
もっと知るには…
MARlNE BENTHIC HYPOXIA: A REVIEW or ITS ECOLOGICAL EFFECTS AND THE BEHAVIORAL RESPOMSES OF BENTHIC MACROFAUNA. R. J. Diaz and R. Rosenberg in Oceanography and Marine Biology: An Annual Review, Vol. 33, pages 245-303; 1995.
NATIONAL ESTUARINE EUTROPHICATION ASSESSMENT: EFFECTS OF NUTRIENT ENRICHMENT IN THE NATION'S ESTUARIES. S. B. Bricker, C. G. Clement, D. E. Pirhalla, S. P. Orlando and D.R.G. Farrow. NOAA, National Ocean Service, Special Projects Office and the National Centers for Coastal Ocean Science, 1999.
NUTRIENT-ENHANCED PRODUCTIVITY IN THE NORTHERN GULF OF MEXICO: PAST, PRESENT AND FUTURE. N. N. Rabelais, R. E. Turner, Q. DORTCH, D. Justic, V. J. Bierman and W. J. Wiseman in Hydroblologia, Vol. 475, No. 6, pages 39-63; 2002.
ECOSYSTEMS AND HUMAN WELL-BEING: CURRENT STATE AND TRENDS. Millennium Ecosystem Assessment. Island Press, 2005. http://www.miuenniumassessment,org/en/products.global.overview.aspx で入手可能。
RESTORING THE BLACK SEA IN TIMES OF UNCERTAINTY. L. D. Mee, J. Friedrich and M. T. Gomoiu in Oceanography, Vol. 18, pages 32-43; 2005.
|