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東福寺 (紀行文 2007.11.7) 京都市 秋日和、「京都非公開文化財特別拝観」に出掛ける。 いつ訪れても、京都は観光客で賑わっている。 東福寺は紅葉の名所でも有名である。 紅葉にはまだまだ早く、今回は「法堂」と「三門」の特別拝観が目的だ。 東大路通りのバス停から東福寺に向かう。 東福寺の広い境内を、参道の左右に塔頭寺院を垣間見ながら進む。 「臥雲橋」の辺りは木立が多く、橋の下を「三ノ橋川」が流れている。 紅葉の名所で、上流の「通天橋」から見下ろす景観は特に知られている。 橋を過ぎて、石垣の上に土盛りをし土塀が続いているのがとても美しく、風情がある。 「日下門」を入ると、東福寺の伽藍が目の前に広がる。 日下門は土塀から低い位置にあり、門の両端の土塀がせり上がっていて趣がある。 秋日和、「京都非公開文化財特別拝観」に出掛ける。 いつ訪れても、京都は観光客で賑わっている。 東福寺は紅葉の名所でも有名である。 紅葉にはまだまだ早く、今回は「法堂」と「三門」の特別拝観が目的だ。 東大路通りのバス停から東福寺に向かう。 東福寺の広い境内を、参道の左右に塔頭寺院を垣間見ながら進む。 「臥雲橋」の辺りは木立が多く、橋の下を「三ノ橋川」が流れている。 紅葉の名所で、上流の「通天橋」から見下ろす景観は特に知られている。 橋を過ぎて、石垣の上に土盛りをし土塀が続いているのがとても美しく、風情がある。 「日下門」を入ると、東福寺の伽藍が目の前に広がる。 日下門は土塀から低い位置にあり、門の両端の土塀がせり上がっていて趣がある。 法堂 大きなお堂だ。 間口41メートル、奥行30メートル、高さ26メートルの壮大な木造建築物だ。 鎌倉時代に創建された法堂は、火災や兵火で焼失。 再建後も、明治14年(1881)の火災で消滅、昭和9年(1934)に現在の法堂が再建された。 昭和の木造建築としては最大である。 7間・5間の重層入母屋造り、本瓦葺、大仏様・唐様・和様の折衷様式の建物である。 堂内に入ると、広い空間に唖然とし、ひんやりとした雰囲気がまわりを包んでいる。 上へ上へと積重ねられた組物が天井を高くしている。 鏡天井には、堂本印象画伯による「雲龍図」が描かれている。 迫力のある蒼龍の図で、「恒世印象筆」の落款がある。 床瓦敷きの中央奥に須弥段が設けられ、本尊釈迦如来像が安置されている。 脇士の迦葉尊者と阿難尊者が大きな目を開いて、何かを見詰め合っている。 もと東福寺の塔頭であった三聖寺の像で、鎌倉時代の作とされている。 法堂の右奥の檀に仏像の大きな手の作り物が置かれている。 火災で焼失する前の「仏殿」には高さ15メートルに及ぶ大仏さまが祀られていた。 その本尊であった釈迦如来像の焼け残った「お手」だそうだ。 釈迦如来の脇士には観音・弥勒像が、また周りには四天王が安置されていたとある。 奈良の大仏様の高さは、座っておられるが14.7メートルで同じだ。 東福寺は奈良の大仏殿に匹敵する仏殿を建立していたのだ。 寛元元年(1243)、摂政九条道家は、聖一国師を請じて開山し、九条家の氏寺とした。 最大の寺院である東大寺、最も隆盛を極めた興福寺、両寺院になぞらえて建立された。 興福寺とは東大寺の「東」と興福寺の「福」をあわせて名付けられた。 京都最大の伽藍が造営された。 三門 禅宗寺院の三門としては、日本最古でしかも最大級の大きさを誇る。 室町時代、応永32年(1425)の再建で、昭和53年に解体修理が終了した。 5間、3戸の入母屋造り、本瓦葺。 建築様式は唐様・和様・大仏様を取り入れている。 急な山廊を登って楼閣の二階に上がる。 眺めが素晴らしい。京都のシンボル・京都タワーがま近に見える。 洛南の町並みや、遠く西の山々が望まれる。 楼上の回廊は比較的広く、危険な感じは無く快適であった。 欄干の四隅の蓮の花を逆さにしたような飾り物に興味を引かれた。 楼内に入るや、豪華な色彩と内陣に祀られた仏たちの姿に目を見張る。 柱、虹梁、長押、には彩色模様が施され、天井には極彩色の天女が描かれている。 外陣には柱が二本しかなく、大きな虹梁が見事で迫り来るものがある。 天井画の飛天像は、画僧である明兆と弟子らによって描かれた。 顔が人間で、胴体が鳥の姿や、二つの顔を持った天女の姿など優雅な絵である。 内陣中央には、宝冠釈迦如来坐像が両脇には善財童子と月蓋長者が安置され、 壇上左右いっぱいに十六羅漢像が並んでいる姿は壮観である。 定朝の流れを汲む室町時代の仏師たちの作と伝えられている。 鳩の糞害をさけるため、斗栱の組物に釘が打たれ、尖った先が上を向いている。 異様に光っている無数の釘は、何とも興ざめである。 鳩が止まれない様にする手立ては外にもあろうにと思うのだが。 三門の西側の少し奥まったところに、平屋の大きな建物がある。 「東司」と呼ばれ、禅宗寺院の厠である。 幅7間、奥行き4間の大きさで、一重切妻造りの本瓦葺の建築物である。 現在は無使用らしく、室町時代の「東司」の遺構である。 格子から覗き見ると、土間に大きな穴凹が2列、等間隔に掘られているだけである。 仕切りが全く無い。禅宗では、雪隠も修業の一つと言われている。 東司の北、法堂の西側に大きなお堂がある。 「禅堂」と呼ばれる建物で、貞和3年(1347)に再建されている。 幅9間、奥行き6間で、裳階付きの単層切妻造り、本瓦葺の鎌倉様式を伝える。 丸瓦が並ぶ中、向拝の2層になっている処に平瓦を入り込ませ、趣のある屋根造りだ。 平然と規則正しく並んだ瓦でなく、波打っているところも自然らしく、美しさえある。 白い壁と火頭窓のコントラストが美しい。 宝形造りの「経堂」は壁の丸い窓がとても印象的で、美しいお堂である。 聖一国師が宗より帰朝された折、持ち帰った典籍が保存されている。 経堂の横手に小さな可愛らしい建物があり、「殿鐘楼」とある。 外から見えないが、平安時代初期の銅鐘が納めてあるらしい。 帰路、参道で麩饅頭を買い求め、ほうばりながらバス停に向かった。 昼飯には「にしん蕎麦」を食べようと決める。 法堂 大きなお堂だ。 間口41メートル、奥行30メートル、高さ26メートルの壮大な木造建築物だ。 鎌倉時代に創建された法堂は、火災や兵火で焼失。 再建後も、明治14年(1881)の火災で消滅、昭和9年(1934)に現在の法堂が再建された。 昭和の木造建築としては最大である。 7間・5間の重層入母屋造り、本瓦葺、大仏様・唐様・和様の折衷様式の建物である。 堂内に入ると、広い空間に唖然とし、ひんやりとした雰囲気がまわりを包んでいる。 上へ上へと積重ねられた組物が天井を高くしている。 鏡天井には、堂本印象画伯による「雲龍図」が描かれている。 迫力のある蒼龍の図で、「恒世印象筆」の落款がある。 床瓦敷きの中央奥に須弥段が設けられ、本尊釈迦如来像が安置されている。 脇士の迦葉尊者と阿難尊者が大きな目を開いて、何かを見詰め合っている。 もと東福寺の塔頭であった三聖寺の像で、鎌倉時代の作とされている。 法堂の右奥の檀に仏像の大きな手の作り物が置かれている。 火災で焼失する前の「仏殿」には高さ15メートルに及ぶ大仏さまが祀られていた。 その本尊であった釈迦如来像の焼け残った「お手」だそうだ。 釈迦如来の脇士には観音・弥勒像が、また周りには四天王が安置されていたとある。 奈良の大仏様の高さは、座っておられるが14.7メートルで同じだ。 東福寺は奈良の大仏殿に匹敵する仏殿を建立していたのだ。 寛元元年(1243)、摂政九条道家は、聖一国師を請じて開山し、九条家の氏寺とした。 最大の寺院である東大寺、最も隆盛を極めた興福寺、両寺院になぞらえて建立された。 興福寺とは東大寺の「東」と興福寺の「福」をあわせて名付けられた。 京都最大の伽藍が造営された。 三門 禅宗寺院の三門としては、日本最古でしかも最大級の大きさを誇る。 室町時代、応永32年(1425)の再建で、昭和53年に解体修理が終了した。 5間、3戸の入母屋造り、本瓦葺。 建築様式は唐様・和様・大仏様を取り入れている。 急な山廊を登って楼閣の二階に上がる。 眺めが素晴らしい。京都のシンボル・京都タワーがま近に見える。 洛南の町並みや、遠く西の山々が望まれる。 楼上の回廊は比較的広く、危険な感じは無く快適であった。 欄干の四隅の蓮の花を逆さにしたような飾り物に興味を引かれた。 楼内に入るや、豪華な色彩と内陣に祀られた仏たちの姿に目を見張る。 柱、虹梁、長押、には彩色模様が施され、天井には極彩色の天女が描かれている。 外陣には柱が二本しかなく、大きな虹梁が見事で迫り来るものがある。 天井画の飛天像は、画僧である明兆と弟子らによって描かれた。 顔が人間で、胴体が鳥の姿や、二つの顔を持った天女の姿など優雅な絵である。 内陣中央には、宝冠釈迦如来坐像が両脇には善財童子と月蓋長者が安置され、 壇上左右いっぱいに十六羅漢像が並んでいる姿は壮観である。 定朝の流れを汲む室町時代の仏師たちの作と伝えられている。 鳩の糞害をさけるため、斗栱の組物に釘が打たれ、尖った先が上を向いている。 異様に光っている無数の釘は、何とも興ざめである。 鳩が止まれない様にする手立ては外にもあろうにと思うのだが。 三門の西側の少し奥まったところに、平屋の大きな建物がある。 「東司」と呼ばれ、禅宗寺院の厠である。 幅7間、奥行き4間の大きさで、一重切妻造りの本瓦葺の建築物である。 現在は無使用らしく、室町時代の「東司」の遺構である。 格子から覗き見ると、土間に大きな穴凹が2列、等間隔に掘られているだけである。 仕切りが全く無い。禅宗では、雪隠も修業の一つと言われている。 東司の北、法堂の西側に大きなお堂がある。 「禅堂」と呼ばれる建物で、貞和3年(1347)に再建されている。 幅9間、奥行き6間で、裳階付きの単層切妻造り、本瓦葺の鎌倉様式を伝える。 丸瓦が並ぶ中、向拝の2層になっている処に平瓦を入り込ませ、趣のある屋根造りだ。 平然と規則正しく並んだ瓦でなく、波打っているところも自然らしく、美しさえある。 白い壁と火頭窓のコントラストが美しい。 宝形造りの「経堂」は壁の丸い窓がとても印象的で、美しいお堂である。 聖一国師が宗より帰朝された折、持ち帰った典籍が保存されている。 経堂の横手に小さな可愛らしい建物があり、「殿鐘楼」とある。 外から見えないが、平安時代初期の銅鐘が納めてあるらしい。 帰路、参道で麩饅頭を買い求め、ほうばりながらバス停に向かった。
昼飯には「にしん蕎麦」を食べようと決める。 |

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京都は3年前に高校の同窓会が「ホテルグランビア京都」でありました。それ以来行ってないなぁ。
次は東福寺の紅葉祭りに行って見たいな。
2008/11/5(水) 午後 7:30
まさし」さん、京都はいいですね〜。
紅葉の頃はまた格別です。東福寺の「通天橋」から見る紅葉は最高です!!
2008/11/6(木) 午後 3:13 [ 竹淵 ]