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尊勝院(紀行文 2007.11.7) 京都市 尊勝院は東山連峰の一つ、華頂山の中腹あたり、粟田口の山麓にある。 案内がなければ、とてもたどり着けない様な分かりにくい処であった。 バス停「神宮道」から、知恩院へ向かいすぐ左折し、その後何度か曲がる。 特別拝観のため、所々に道先の看板が記してあった。 坂道もきつくなり、途中大丈夫だろうかと不安さえ覚えた。 細い急な坂を上り詰めると、正面に尊勝院のお堂が見え、広場に出る。 ここから京都の町並みが一望できる。 眼下に赤い平安神宮の大鳥居が見え、遠くには薄っすらと北山の峰が望まれる。 尊勝院は保延年間(1135-41)に陽範阿闍梨を開祖として、比叡山の横川に草創された。 正和年間(1312-17)に、洛東の粟田口に移され、裏築地門跡と称していた。 本堂は文禄年間(1592-96)に、豊臣秀吉が再建したと伝えられている。 堂内は薄暗く、護摩の煤で天井が黒く染まっている様に見える。 円柱の柱は、それでも金色に輝いている。 常行三昧様式のお堂で、建物と仏像たちとの空間が非常マッチしている。 内陣、厨子の中に本尊の元三大師の坐像が祀られている。 元三大師は比叡山の中興の祖として知られ、法然・親鸞の師である源信の師でもある。 この本尊は元三大師御自作の御等身の木像と伝えられている。 以前、岡崎の真福寺の元三大師の像を拝見したことがある。 真福寺の元三大師の像は、目を大きく広げ、眼光鋭く気迫あふれる容貌であった。 この大師像は目こそ大きめでくっきりしているが、全体に優しさがあふれるお姿である。 厨子は絢爛豪華で、三斗組の木組が波を打つ様に美しい。 護摩壇の右手、立派な厨子の中に地蔵菩薩の立像が安置されている。 元「金蔵寺」の本尊で慈覚大師が作とも、又唐より将来した尊像とも伝えられている。 平安初期の作とされ、1200年間秘仏とされてきた。 全体に汚れて顔立ちもはっきり分かりにくいが、丸顔で優しさを感じさせる。 衣文の模様が少し残っており、むかしを偲ばせる。 寺伝によれば、この地蔵さんは「米地蔵尊」と呼ばれ、庶民の信仰をあつめた。 粟田の里に、貧しい女がいた。 女は信仰厚く、地蔵さまを崇拝していたので、貧しい時地蔵さんが米袋を持って来た。 それ故、皆がヨネ地蔵と呼ぶようになった・・・・・・。 庶民に伝わる地蔵さんの逸話は沢山ある。 下り坂の途中に、人家の垣根にヤブコウジの赤い実が色付き、印象的であった。
行くときには気がつかなかった風情が、私の心を癒してくれた。 |

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