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西国三十三ヶ所観音霊場第25番札所「播州清水寺」 播磨、丹波、摂津の三国を見渡せる標高552mの御嶽山山頂にある古刹。 インドから渡来した法道仙人が、約1800年前にこの地を訪れ鎮護国家豊作を祈願したのが始まり。 推古天皇35年(627年)に天皇の勅願により、根本中堂を建立したのが、清水寺の創始である。 神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が、大講堂を建立し講経道場とした。 仁王門 御嶽山へは登山専用自動車道が走っており、入山料を払いハイウェイを快適に登る。 広い平位駐車場が設備され、定期バスも運行されている。 今日は冷たい風が強く吹いて、とにかく寒い日になった。 朱の未だ新しい仁王門が迎えてくれる。 以前の仁王門は台風で倒壊したため、昭和55年に再建された仁王門である。 柱の部分がピンクなのが妙に現代的でもある。 「御嶽山 清水寺」の石碑が門前に立つ。 薬師堂 仁王門を入ってすぐに茶屋があった。 寒さと空腹であったので、ここでうどん定食を頂く。 しばらく参道を進むと、大講堂と池と薬師堂がある広場に出る。 薬師堂は昭和59年11月3日に再建落慶された。 銅葺きの屋根で、蔀の扉も新しく感じられ綺麗なお堂である。 創建は清盛の義母「池の禅尼」による。 薬師如来像 堂内には小振りな薬師如来坐像と、ユニークな姿の十二神将が祀られている。 大講堂 七間四方の大堂で、周りには幅1.8mの縁を回らしている。 聖武天皇の勅願で建てられたお堂であり、西国二十五番の札所になっている。 神亀2年(725年)の創建であり、大正2年山火事で焼失、同6年7月に再建された。 本尊 千手観音菩薩像 内陣にお参りする。 須弥壇の上に、漆塗りの豪華な厨子があり、中に黄金に輝く千手観音菩薩が祀られている。 まことに輝ける菩薩さまで、大仏さまの様な豊かなお顔立ちである。 両脇侍として毘沙門天と地蔵菩薩が祀られている。 大講堂の裏堂に、元の千手観音さんのお手が数本展示されていました。 須弥壇には他にも沢山の仏像たちが安置されていましたが、焼ける前にはそれぞれのお堂に祀られていたのでしょうか。 横から見た大講堂 ここは紅葉が早いのでしょうすっかり葉を落としていました。 イチョウの葉が黄金の色を見せていて、とても綺麗であった。 本堂の欄干からは、六甲山、瀬戸内海、淡路島、明石大橋等が見渡せる。 本坊 重なった屋根が印象的な本坊である。 大正6年竣工。 鐘楼 本坊から根本中堂に向う途中に鐘楼が建っている。 やはり大正2年の山火事で焼失。同9年再建され、梵鐘も鋳造された。 根本中堂 根本中堂は推古天皇35年(627年)に天皇の勅願により法道仙人が創建した。 他の堂宇と同じように大正2年(1913年)に焼失し、その後大正6年(1917年)に再建された。 唐派風の向拝が付いた、瓦葺の堂々とした建物である。 本尊 十一面観音菩薩像 本尊十一面観音は開山法道仙人一刀三礼で刻まれた観音さまで秘仏である。 この仏像は大正2年に根本中堂が全焼したときに、自ら避難し火災から免れたといわれている。 大正6年再建され、入仏供養が執り行われている。 次のご開帳は平成29年の予定とありました。 お写真からはふっくらした堂々たるお姿の観音さまのようである。 お前立ち 秘仏の扉の前にお前立ちの観音さまが祀られていました。 少し吊りあがった目、小さな口を閉じたキリットしたお顔立ちの観音さまです。 東京芸大名誉教授、菅原安男氏が昭和58年に造られた像である。 おかげ井戸 根本中堂の左手裏50mほど離れた場所に、茅葺の小さなお堂がある。 開山法道仙人が水神に祈って湧水した霊泉がある。 「清水寺」と称される由緒の井戸である。 多宝塔跡 参道をさらに進むと、礎石が残った高台がある。 多宝塔の跡で、保元2年(1157年)に平清盛の生母である祇園女御の建立による。 明治40年(1907年)に焼失、大正12年(1923年)に再建されたが、昭和40年(1965年)の台風で大破した。 五間四面二層銅板葺きの建物だったようである。 境内の紅葉 帰路の参道を進む。 境内には、落葉が盛んで参道を埋め尽くしていた。 大正2年の山火事で多くの諸堂が焼けてしまった。
新しい伽藍のなかで、さらに歴史を積み重ねていく播州清水寺。 秘仏の十一面観世音菩薩に会いに再び尋ねてみたい。 感謝感謝 |
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2009年12月09日
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