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紀行文

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船形山 普門寺

豊橋市雲谷町にある普門寺に参詣する。
奈良時代に行基菩薩が創建した古刹である。

イメージ 1 
仁王門
駐車場より参道を進むと、立派な山門が建つ。
寄棟造八脚門、左右に仁王像が祀られる仁王門である。

イメージ 2 
楼門
鐘楼がある門、祝いの垂幕が引かれ美しい姿を見せる。
門前の深山ツツジが見事に咲き誇る。

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客殿
春季祭の催しがいろいろ企画されていました。
客殿の前では甘茶が振舞われいた。
くし団子や、みたらし団子なども販売され、地元の檀家衆がお手伝いされていました。

イメージ 4 
収蔵庫
4月と12月の第一日曜日に、普門字の寺宝がご開帳されます。
藤原後期の作とされる、阿弥陀如来・釈迦如来・四天王像や銅鏡、銅経筒など展示されている。

イメージ 5 
阿弥陀如来坐像
この写真はお借りしています
高さ各136.4センチ
八角形の台座の敷物が二重の裳懸けに下がっている。

イメージ 6 
釈迦如来坐像
この写真はお借りしています
桧の寄木造。目は木彫だが百亳は水晶。
結跏趺坐され施無畏印を結ぶ。

イメージ 7 
参道
山の中腹にある本堂への参道
静かな雰囲気の中、春の気配が感じられる。
鶯の初鳴き?を初聞きしながらゆっくり進む。

イメージ 8 
本堂(観音堂)
石基壇の上に、唐破風屋根の向拝を持つ宝形造のお堂が建つ。
行基が彫った?とされる聖観音像が安置されている。

イメージ 9 
大杉
本堂の前に聳え立つ大杉。
太さ5.65メートル、樹高31メートル、400年以上と推定

自然の中はもうすっかり春めいていました。
深山ツツジ、あせび、金魚椿や鶯の声を楽しみました。
山桜、石楠花、紫陽花が芽吹いています。
秋には紅葉が素晴らしいと聞きました。

赤岩寺

赤岩寺 (紀行文 2007.11.17)豊橋市多米町


豊橋の赤岩寺で寺宝展が行われているので出掛けた。

赤岩寺は神亀3年(726)、聖武天皇の勅願で、行基の開創と伝わる古刹である。
空海の高弟果隣(こうりん)が、天安元年(857)に再興改宗して真言宗となった。
平安時代には12坊を有する大寺院であったらしい。

赤岩山を背景にいただき、落ち着いた趣のある寺院である。
中門まで、町並みが押し寄せて来ていて、時代の移り変わりを感じさせる。
仁王門から赤門(中門)までは、参道があるだけである。

境内は閑寂で、伽藍がいかにも古く古刹を思わせる。
南面の「本堂」、本尊の阿弥陀如来像を安置する。
本堂の左手に東面の「護摩堂」が、右手に西面の「薬師堂」が建つ。
始めてみる伽藍である。

「護摩堂」の本尊は愛染明王坐像である。
現在は、護摩堂の奥に収蔵庫が出来、他の寺宝と供に安置されている。
護摩堂の手前に地蔵菩薩の石像がある。
左足をだらりと下げ、別の小さな蓮の花に足を乗っけていらっしゃる姿で珍しい。

社務所をたずね、会場に並べられた数々の寺宝を拝見する。
平安時代の仏像や、南北朝から室町時代の仏画が揃っている。
下調べなしで来訪したのを後悔しながら、拝見させていただいた。

定印を結んだ阿弥陀如来坐像。平安時代の作とある。
鼻形や唇が鋭く、顎がしゃくれた感じの仏さま。行基の作とも。

小ぶりな観音菩薩の木造の立像。平安時代の作とある。
やさしさと品のあるお姿で、長い蓮の茎を持っているのが印象的である。

やはり定印を結んだ阿弥陀如来坐像。暦応3年(1340)の作。
仏師宗慶の銘が残っている。

愛染明王坐像は、離れた収蔵庫に祀られている。
愛染明王は名の如く、恋愛・縁結びの神として信仰されてきた仏である。
人間の本能である煩悩、愛欲は禁じえない、この本能の力を以って仏道に導く。

イメージ 1 
密教独自の尊王で、一面六臂の明王像で忿怒相をしている。
眼は三つあり、一つは眉間に縦についている。玉眼が嵌められている。
身色は真紅であり、燃える愛を表しているかのようである。

高さ95.6センチの桧の寄木造、鎌倉時代の作。
頭の上に獅子の冠をつける。獅子の眼にも玉眼を持ち、睨みを効かしている。
形相はでそんなに怒りの顔ではなく、童顔でやさしくさえ見える。

台座の蓮が美しい。蓮弁の葉脈が一本々々細かく浮き彫りにされている。
6本の手には夫々の仏具を持ち、衣には載金が施されている。
日輪を表す円光の光背を背負った見事な愛染明王像である。

昭和7年修理の際、冠から4センチ程の小さな愛染明王像が104体見つかった。
その諸仏も一緒に展示されていた。
円空の千体仏などの小仏像を思い出される。

市電「赤岩寺」の電停近くにある、蕎麦処「正家」で新そばを頂く。
長野県奈川産と案内があり、つなぎなしの蕎麦は美味であった。
寺参りの後の食事には何故か蕎麦がよく合う。

知恩院

知恩院 (紀行文 2007.11.7)京都市


青蓮院の前の道を北から、知恩院を訪ねる予定でいた。
知恩院の「黒門」を潜った辺りの風情が、私は大好きである。
緩やかな石畳と、城郭のような土塀、木々の美しさと、苔むした土盛り・・・。
今回、所々修理工事中のため、黒門からは拝観できなかった。

知恩院は正式には華頂山知恩教大谷寺と称し、浄土宗の総本山である。
梅原猛氏は、知恩院について「私の古寺巡礼」の中で次のように述べている。
『知恩院は二つの顔を持っている寺院である。
一つの顔というのは、法然上人の由緒の寺という顔である。・・・・・・
徳川家康は、法然上人の熱烈な崇拝者と自称し、知恩院を保護した。・・・・・・
知恩院は徳川家の菩提寺となり、幕府の京都における根拠地の一つともなった。
これが、もう一つの知恩院の顔である。』

イメージ 1 
三門
なんせ!巨大な楼門である。
我が国最大の三門で、5間3戸、入母屋造本瓦葺、高さ24メートルを誇る。
禅寺でもないのに、巨大な三門とは解せない気もする。
この三門は、元和7年(1621)徳川秀忠によって建立された。
徳川家の威光が、一番大きく荘厳な山門を作らせたのではないかと思われる。

梅原氏は、この門は城の役割をしていて、三門の上から旗をふるのが二条城の
やぐらから見えて、京都御所を監視するのであると、述べている。

急な山廊を登り、回廊に出ると素晴らしい眺めである。
京都の街が一望で、やヽ右手奥に御所の緑がはっきり見定められる。
南禅寺の三門で石川五右衛門は「絶景かな絶景かな」と言ったと逸話があるが。
まさしく、知恩院の三門こそ、それに相応しいと思える。

楼上内部は、極彩色の彩画、文様で包まれ、豪華絢爛たる仏殿である。
中央に宝冠釈迦如来坐像と脇侍2体、そして十六羅漢像がずらりと並んでいる。
東福寺の山門内部より幾分広く感じられたが、緻密差が欠けているように思えた。

中央天井に龍,脇間には天女の天井画、大虹梁には麒麟と雲、小虹梁には龍に波。
板壁には菊と牡丹の草花、組物に描かれた文様と実に見事で美しい。
狩野探幽ら狩野派によるものである。

よく見ると、柱や、虹梁、組物にいたずら書きがあり、特に板壁の落書きが目立つ。
以前、三門は自由に拝観できたそうで、当時の観光客が書いたらしい。
明治の廃仏毀釈の頃は、もっと悲惨で、管理も充分されていなかったのであろう。
墨で書かれた落書きは、もうここに溶け込んでしまっているようにも思えた。

山門を過ぎると、急な石段が待ち構えている。
右側に緩やかな石畳の坂があり、急な男坂に対して女坂と呼んでいる。
石段を登りきると、広い境内に出る。
御影堂、阿弥陀堂、経堂と多くのお堂が建ち並ぶ。

知恩院の本堂は御影堂とも呼ばれる。
即ち、浄土宗開祖の法然上人の御影を安置しているお堂である。
御影堂は、寛永16年(1634)徳川家光公によって建立された。
幅24間、奥行き19間、入母屋造、本瓦葺の江戸初期の建築物である。

浄土宗ころから、本尊より開祖の方を敬うようになった。
御影堂が一番大きく造られ本堂になっている。
本尊の阿弥陀さまは、本堂の西側の少し小さめの阿弥陀堂に安置されている。

本堂の西奥に続く方丈の庭園を観賞する。
玉淵坊という坊さんの作によるに池泉回遊式の庭園である。
ここは観光客もほとんどいなく、静かでゆったりと庭を楽しむことが出来る。
小方丈の庭は枯山水で「阿弥陀二十五菩薩来迎図」を模して作庭されたとある。
「阿弥陀二十五菩薩来迎図」は知恩院が所蔵する有名な仏画である。

方丈庭園から山道を登ると「山亭」の庭に出る。
高台にある庭で、こじんまりとして小さめだが、ここから洛中が望まれる。
「山亭」は、法然上人の強い信者であった内親王のお住まいを移したもの。
優美で上品な建物である。

「山亭」の庭先から、墓地を抜け南に進むと「勢至堂」に辿り着く。
この勢至堂は享禄3年(1530)の建立で、知恩院の諸堂中最も古い建築物である。
平屋造り、こぶりなお堂は、天井もあまり高くなく、質素な感じである。
勢至観音菩薩を安置する。
合掌
外陣正面に、後奈良天皇宸筆による「知恩教院」と書かれた額が掲げられている。
この「知恩教院」こそが、「知恩院」の始まりなのである。

法然は美作国の生まれで、15歳の時比叡山に登り修業をつむ。
承安5年(1175)法然43歳の時、比叡山を下り東山吉水に住み専修念仏を提唱する。
建永2年(1207)、比叡山僧徒の弾圧により讃岐に流される。
建暦元年(1211)帰洛し、青蓮院の慈鎮和尚の庇護得て草庵を結ぶ。
法然死後、弟子であった源知上人が文暦元年(1234)に伽藍を再興して大谷寺とした。
勢至菩薩の化身と信じられた法然の恩に報いる為、境内に勢至堂を建立。
勢至堂を「知恩教院」と称したのが知恩院の起こりである。

勢至堂の山側の奥を見上げる辺りに法然さんのお墓がある。
今回工事中で、「法然廟」はお参りできなかった。
南無阿弥陀仏

尊勝院

尊勝院(紀行文 2007.11.7) 京都市


尊勝院は東山連峰の一つ、華頂山の中腹あたり、粟田口の山麓にある。
案内がなければ、とてもたどり着けない様な分かりにくい処であった。
バス停「神宮道」から、知恩院へ向かいすぐ左折し、その後何度か曲がる。
特別拝観のため、所々に道先の看板が記してあった。
坂道もきつくなり、途中大丈夫だろうかと不安さえ覚えた。

細い急な坂を上り詰めると、正面に尊勝院のお堂が見え、広場に出る。
ここから京都の町並みが一望できる。
眼下に赤い平安神宮の大鳥居が見え、遠くには薄っすらと北山の峰が望まれる。

尊勝院は保延年間(1135-41)に陽範阿闍梨を開祖として、比叡山の横川に草創された。
正和年間(1312-17)に、洛東の粟田口に移され、裏築地門跡と称していた。

イメージ 1 
本堂は文禄年間(1592-96)に、豊臣秀吉が再建したと伝えられている。
堂内は薄暗く、護摩の煤で天井が黒く染まっている様に見える。
円柱の柱は、それでも金色に輝いている。
常行三昧様式のお堂で、建物と仏像たちとの空間が非常マッチしている。

内陣、厨子の中に本尊の元三大師の坐像が祀られている。
元三大師は比叡山の中興の祖として知られ、法然・親鸞の師である源信の師でもある。
この本尊は元三大師御自作の御等身の木像と伝えられている。
以前、岡崎の真福寺の元三大師の像を拝見したことがある。
真福寺の元三大師の像は、目を大きく広げ、眼光鋭く気迫あふれる容貌であった。
この大師像は目こそ大きめでくっきりしているが、全体に優しさがあふれるお姿である。
厨子は絢爛豪華で、三斗組の木組が波を打つ様に美しい。

護摩壇の右手、立派な厨子の中に地蔵菩薩の立像が安置されている。
元「金蔵寺」の本尊で慈覚大師が作とも、又唐より将来した尊像とも伝えられている。
平安初期の作とされ、1200年間秘仏とされてきた。
全体に汚れて顔立ちもはっきり分かりにくいが、丸顔で優しさを感じさせる。
衣文の模様が少し残っており、むかしを偲ばせる。

寺伝によれば、この地蔵さんは「米地蔵尊」と呼ばれ、庶民の信仰をあつめた。
粟田の里に、貧しい女がいた。
女は信仰厚く、地蔵さまを崇拝していたので、貧しい時地蔵さんが米袋を持って来た。
それ故、皆がヨネ地蔵と呼ぶようになった・・・・・・。
庶民に伝わる地蔵さんの逸話は沢山ある。

下り坂の途中に、人家の垣根にヤブコウジの赤い実が色付き、印象的であった。
行くときには気がつかなかった風情が、私の心を癒してくれた。

東福寺

東福寺 (紀行文 2007.11.7) 京都市


秋日和、「京都非公開文化財特別拝観」に出掛ける。
いつ訪れても、京都は観光客で賑わっている。

東福寺は紅葉の名所でも有名である。
紅葉にはまだまだ早く、今回は「法堂」と「三門」の特別拝観が目的だ。

東大路通りのバス停から東福寺に向かう。
東福寺の広い境内を、参道の左右に塔頭寺院を垣間見ながら進む。
「臥雲橋」の辺りは木立が多く、橋の下を「三ノ橋川」が流れている。
紅葉の名所で、上流の「通天橋」から見下ろす景観は特に知られている。
橋を過ぎて、石垣の上に土盛りをし土塀が続いているのがとても美しく、風情がある。

「日下門」を入ると、東福寺の伽藍が目の前に広がる。
日下門は土塀から低い位置にあり、門の両端の土塀がせり上がっていて趣がある。

秋日和、「京都非公開文化財特別拝観」に出掛ける。
いつ訪れても、京都は観光客で賑わっている。

東福寺は紅葉の名所でも有名である。
紅葉にはまだまだ早く、今回は「法堂」と「三門」の特別拝観が目的だ。

東大路通りのバス停から東福寺に向かう。
東福寺の広い境内を、参道の左右に塔頭寺院を垣間見ながら進む。
「臥雲橋」の辺りは木立が多く、橋の下を「三ノ橋川」が流れている。
紅葉の名所で、上流の「通天橋」から見下ろす景観は特に知られている。
橋を過ぎて、石垣の上に土盛りをし土塀が続いているのがとても美しく、風情がある。

「日下門」を入ると、東福寺の伽藍が目の前に広がる。
日下門は土塀から低い位置にあり、門の両端の土塀がせり上がっていて趣がある。

法堂
大きなお堂だ。
間口41メートル、奥行30メートル、高さ26メートルの壮大な木造建築物だ。
鎌倉時代に創建された法堂は、火災や兵火で焼失。
再建後も、明治14年(1881)の火災で消滅、昭和9年(1934)に現在の法堂が再建された。
昭和の木造建築としては最大である。
7間・5間の重層入母屋造り、本瓦葺、大仏様・唐様・和様の折衷様式の建物である。

堂内に入ると、広い空間に唖然とし、ひんやりとした雰囲気がまわりを包んでいる。
上へ上へと積重ねられた組物が天井を高くしている。
鏡天井には、堂本印象画伯による「雲龍図」が描かれている。
迫力のある蒼龍の図で、「恒世印象筆」の落款がある。

床瓦敷きの中央奥に須弥段が設けられ、本尊釈迦如来像が安置されている。
脇士の迦葉尊者と阿難尊者が大きな目を開いて、何かを見詰め合っている。
もと東福寺の塔頭であった三聖寺の像で、鎌倉時代の作とされている。

法堂の右奥の檀に仏像の大きな手の作り物が置かれている。
火災で焼失する前の「仏殿」には高さ15メートルに及ぶ大仏さまが祀られていた。
その本尊であった釈迦如来像の焼け残った「お手」だそうだ。
釈迦如来の脇士には観音・弥勒像が、また周りには四天王が安置されていたとある。
奈良の大仏様の高さは、座っておられるが14.7メートルで同じだ。

東福寺は奈良の大仏殿に匹敵する仏殿を建立していたのだ。
寛元元年(1243)、摂政九条道家は、聖一国師を請じて開山し、九条家の氏寺とした。
最大の寺院である東大寺、最も隆盛を極めた興福寺、両寺院になぞらえて建立された。
興福寺とは東大寺の「東」と興福寺の「福」をあわせて名付けられた。
京都最大の伽藍が造営された。

イメージ 1
三門
禅宗寺院の三門としては、日本最古でしかも最大級の大きさを誇る。
室町時代、応永32年(1425)の再建で、昭和53年に解体修理が終了した。
5間、3戸の入母屋造り、本瓦葺。
建築様式は唐様・和様・大仏様を取り入れている。

急な山廊を登って楼閣の二階に上がる。
眺めが素晴らしい。京都のシンボル・京都タワーがま近に見える。
洛南の町並みや、遠く西の山々が望まれる。
楼上の回廊は比較的広く、危険な感じは無く快適であった。
欄干の四隅の蓮の花を逆さにしたような飾り物に興味を引かれた。

楼内に入るや、豪華な色彩と内陣に祀られた仏たちの姿に目を見張る。
柱、虹梁、長押、には彩色模様が施され、天井には極彩色の天女が描かれている。
外陣には柱が二本しかなく、大きな虹梁が見事で迫り来るものがある。
天井画の飛天像は、画僧である明兆と弟子らによって描かれた。
顔が人間で、胴体が鳥の姿や、二つの顔を持った天女の姿など優雅な絵である。

内陣中央には、宝冠釈迦如来坐像が両脇には善財童子と月蓋長者が安置され、
壇上左右いっぱいに十六羅漢像が並んでいる姿は壮観である。
定朝の流れを汲む室町時代の仏師たちの作と伝えられている。

鳩の糞害をさけるため、斗栱の組物に釘が打たれ、尖った先が上を向いている。
異様に光っている無数の釘は、何とも興ざめである。
鳩が止まれない様にする手立ては外にもあろうにと思うのだが。

三門の西側の少し奥まったところに、平屋の大きな建物がある。
「東司」と呼ばれ、禅宗寺院の厠である。
幅7間、奥行き4間の大きさで、一重切妻造りの本瓦葺の建築物である。
現在は無使用らしく、室町時代の「東司」の遺構である。
格子から覗き見ると、土間に大きな穴凹が2列、等間隔に掘られているだけである。
仕切りが全く無い。禅宗では、雪隠も修業の一つと言われている。

東司の北、法堂の西側に大きなお堂がある。
「禅堂」と呼ばれる建物で、貞和3年(1347)に再建されている。
幅9間、奥行き6間で、裳階付きの単層切妻造り、本瓦葺の鎌倉様式を伝える。
丸瓦が並ぶ中、向拝の2層になっている処に平瓦を入り込ませ、趣のある屋根造りだ。
平然と規則正しく並んだ瓦でなく、波打っているところも自然らしく、美しさえある。
白い壁と火頭窓のコントラストが美しい。

宝形造りの「経堂」は壁の丸い窓がとても印象的で、美しいお堂である。
聖一国師が宗より帰朝された折、持ち帰った典籍が保存されている。
経堂の横手に小さな可愛らしい建物があり、「殿鐘楼」とある。
外から見えないが、平安時代初期の銅鐘が納めてあるらしい。

帰路、参道で麩饅頭を買い求め、ほうばりながらバス停に向かった。
昼飯には「にしん蕎麦」を食べようと決める。
法堂
大きなお堂だ。
間口41メートル、奥行30メートル、高さ26メートルの壮大な木造建築物だ。
鎌倉時代に創建された法堂は、火災や兵火で焼失。
再建後も、明治14年(1881)の火災で消滅、昭和9年(1934)に現在の法堂が再建された。
昭和の木造建築としては最大である。
7間・5間の重層入母屋造り、本瓦葺、大仏様・唐様・和様の折衷様式の建物である。

堂内に入ると、広い空間に唖然とし、ひんやりとした雰囲気がまわりを包んでいる。
上へ上へと積重ねられた組物が天井を高くしている。
鏡天井には、堂本印象画伯による「雲龍図」が描かれている。
迫力のある蒼龍の図で、「恒世印象筆」の落款がある。

床瓦敷きの中央奥に須弥段が設けられ、本尊釈迦如来像が安置されている。
脇士の迦葉尊者と阿難尊者が大きな目を開いて、何かを見詰め合っている。
もと東福寺の塔頭であった三聖寺の像で、鎌倉時代の作とされている。

法堂の右奥の檀に仏像の大きな手の作り物が置かれている。
火災で焼失する前の「仏殿」には高さ15メートルに及ぶ大仏さまが祀られていた。
その本尊であった釈迦如来像の焼け残った「お手」だそうだ。
釈迦如来の脇士には観音・弥勒像が、また周りには四天王が安置されていたとある。
奈良の大仏様の高さは、座っておられるが14.7メートルで同じだ。

東福寺は奈良の大仏殿に匹敵する仏殿を建立していたのだ。
寛元元年(1243)、摂政九条道家は、聖一国師を請じて開山し、九条家の氏寺とした。
最大の寺院である東大寺、最も隆盛を極めた興福寺、両寺院になぞらえて建立された。
興福寺とは東大寺の「東」と興福寺の「福」をあわせて名付けられた。
京都最大の伽藍が造営された。

三門
禅宗寺院の三門としては、日本最古でしかも最大級の大きさを誇る。
室町時代、応永32年(1425)の再建で、昭和53年に解体修理が終了した。
5間、3戸の入母屋造り、本瓦葺。
建築様式は唐様・和様・大仏様を取り入れている。

急な山廊を登って楼閣の二階に上がる。
眺めが素晴らしい。京都のシンボル・京都タワーがま近に見える。
洛南の町並みや、遠く西の山々が望まれる。
楼上の回廊は比較的広く、危険な感じは無く快適であった。
欄干の四隅の蓮の花を逆さにしたような飾り物に興味を引かれた。

楼内に入るや、豪華な色彩と内陣に祀られた仏たちの姿に目を見張る。
柱、虹梁、長押、には彩色模様が施され、天井には極彩色の天女が描かれている。
外陣には柱が二本しかなく、大きな虹梁が見事で迫り来るものがある。
天井画の飛天像は、画僧である明兆と弟子らによって描かれた。
顔が人間で、胴体が鳥の姿や、二つの顔を持った天女の姿など優雅な絵である。

内陣中央には、宝冠釈迦如来坐像が両脇には善財童子と月蓋長者が安置され、
壇上左右いっぱいに十六羅漢像が並んでいる姿は壮観である。
定朝の流れを汲む室町時代の仏師たちの作と伝えられている。

鳩の糞害をさけるため、斗栱の組物に釘が打たれ、尖った先が上を向いている。
異様に光っている無数の釘は、何とも興ざめである。
鳩が止まれない様にする手立ては外にもあろうにと思うのだが。

三門の西側の少し奥まったところに、平屋の大きな建物がある。
「東司」と呼ばれ、禅宗寺院の厠である。
幅7間、奥行き4間の大きさで、一重切妻造りの本瓦葺の建築物である。
現在は無使用らしく、室町時代の「東司」の遺構である。
格子から覗き見ると、土間に大きな穴凹が2列、等間隔に掘られているだけである。
仕切りが全く無い。禅宗では、雪隠も修業の一つと言われている。

東司の北、法堂の西側に大きなお堂がある。
「禅堂」と呼ばれる建物で、貞和3年(1347)に再建されている。
幅9間、奥行き6間で、裳階付きの単層切妻造り、本瓦葺の鎌倉様式を伝える。
丸瓦が並ぶ中、向拝の2層になっている処に平瓦を入り込ませ、趣のある屋根造りだ。
平然と規則正しく並んだ瓦でなく、波打っているところも自然らしく、美しさえある。
白い壁と火頭窓のコントラストが美しい。

宝形造りの「経堂」は壁の丸い窓がとても印象的で、美しいお堂である。
聖一国師が宗より帰朝された折、持ち帰った典籍が保存されている。
経堂の横手に小さな可愛らしい建物があり、「殿鐘楼」とある。
外から見えないが、平安時代初期の銅鐘が納めてあるらしい。

帰路、参道で麩饅頭を買い求め、ほうばりながらバス停に向かった。
昼飯には「にしん蕎麦」を食べようと決める。

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