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櫟野寺 (紀行文 2007.11.2) 滋賀県甲賀市 甲賀の里は時がゆっくりと過ぎていくようだ。 小寒い曇り空の日、JR甲賀駅に降り立ったのは私ひとりであった。 モダンな駅舎には、駅員が一人いて櫟野寺への案内を問うと、地図を出してくれた。 徒では一時間、バスの案内もよく分からず、待機していたタクシーに乗ってしまった。 村の人たちはどうしたのだろう、人影が全く無く、車は村里を通り過ぎる。 今の今まで甲賀を「こうが」と呼んでいたが、正しくは「こうか」らしい。 忍者で有名な土地だ。 三重の伊賀忍者に対して、滋賀の甲賀忍者。 霧隠才蔵と猿飛佐助の忍者合戦のマンガを思い出す。 櫟野寺の創建は古い。 延暦11年(792)、最澄が比叡山根本中堂建設の用材を求めこの地に巡錫された。 その折、櫟の生樹に観音菩薩像を彫って安置したのが始まりとある。 延暦21年(802)、坂上田村麻呂は討伐の途中、鈴鹿の山賊に苦戦した。 観音さまの御利益によって山賊を平定することが出来のでこの寺を勅願寺とした。 大同元年(809)には、七堂伽藍を建立し、自ら等身の毘沙門天を彫刻して祀った。 また、国技の相撲を奉納している。 櫟野寺はのどかな甲賀の里にひっそりと佇んでいた。 真っ直ぐな参道の左側には小さな石造の観音さまがびっしり並んでいる。 右側は石灯篭が続き、赤い大きな提灯が架かった門が見えている。 「櫟野寺」と書かれた提灯と、門の両側に建つ金剛力士像が迎えてくれる。 本尊の十一面観音菩薩坐像が秋のご開帳で特別に拝観できる。 受付で玩具の釣鐘をたたくと、お寺の方が奥からみえて本堂を案内してくれた。 本堂の裏側は収蔵庫の「大悲閣」になっており、鉄の扉で仕切られている。 「大悲閣」の中央に大きな厨子が置かれ、十一面観音菩薩が安置されている。 立派な大きな観音さまが輝き光っている。 日本最大の十一面観音菩薩坐像であり、高さ3.3メートルの堂々とした観音さまだ。 見上げる観音さまの容姿は穏やかで、全てを容認してくれそうな優しさを感じる。 最澄が、櫟の生木に一刀三礼のもと、立ち木のまま彫刻されたと伝えられている。 「生えぬきの観音」として信仰されてきた。 もとは立像であったが、立ち木の根本が腐ったので応永年間(室町時代)に坐像にした。 「いちいの観音」とも呼ばれ今日まで里人に親しまれいる。 合掌 一木造。平安初期の作とされる。 頭上に十一面の化仏を頂く。吉祥座を組む。 左手に華瓶を持ち、右手に念珠を持つ。 目鼻立ちは大ぶりで、肩幅は広く、四肢は太目で、観音様ながら力強ささえ感じる。 秘仏であった為か金箔の輝きも優れ、衣の模様も美しい。 住職さんの説明では台座・光背は江戸時代のものらしく、確かに像に対して小さい。 それがかえって、観音さまの偉大さを表現されているように感じられた。 大悲閣には数多くの仏像が安置されている。 荒廃した末寺や、廃仏毀釈などで行く先の無くなった仏さまが祀られている。 手足が欠損した仏像も、一同に並べられ安置されている。 本尊にむかって右側に薬師如来坐像が安置されている。 もと詮住寺の本尊で、桧の一木造、平安時代の作とされている。 左側には、美しいし漆箔の地蔵菩薩坐像が安置されている。 もと塔頭であった寛沢寺の本尊で、腹帯を結んだ安産祈願の地蔵さんだ。 聖観音菩薩の立像が素晴らしい。 腰をひねって左足に重心を置き、ゆったりと立つお姿が美しい。 桧の一木造で、平安初期の作とされている。 切れ長の目じりがつり上がって、観音さまとしては厳しい表情である。 とっても均整の取れた聖観音菩薩である。 合掌 境内には、最澄お手植とされる槙の大木があり、樹齢1200年と言われている。
その脇には土俵が設えてあり、現在でも奉納相撲が納められているそうだ。 |

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