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史跡めぐり

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永保寺

毎年3月15日は多治見の永保寺に出かけている。
今年は例年に無く、寒い気がする。

永保寺は、1313年(正和2年)土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が開創した禅寺である。
現在も臨済宗南禅寺派の専門道場として雲水の修行の場となっている。

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参道
裏山の駐車場から参道を通って境内に入る。
「宝物風入」の標識が立つ。
今日は寺宝の一部が、風通しのため展示される。

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本堂
平成15年に全焼したが、真新しく再建された。
総桧造、桧皮葺 構造は貫きや土壁による伝統構法で再建された。
素晴らしい見事な寺院建築物で感心するばかりである。

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釈迦三尊と聖観音
内陣には釈迦如来三尊像が安置。
お釈迦さんの横に観音堂の本尊である聖観音像がお祀りされていました。
現在観音堂が改装中でここにいらっしゃるようだ。

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千手観音画像
雲に乗って立つ千手観音
呉道子筆とされ、中国の宋時代の絵画

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本堂裏に作られた庭園

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観音堂
改装中で幌が全体にかかり観音堂は見えない。

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開山堂
昨年、屋根の葺き替え、改修が行われた。
裏側から開山堂をみる。手前から祠堂・相の間・礼堂。
外陣(礼堂)は桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺
内陣(祠堂)は桁行一間、梁間一間、一重裳階付、入母屋造、檜皮葺
祠堂には右手に開創夢窓国師、左手に開山仏徳禅師の坐像が祀られいる。

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斗拱・組物
柱の間にも組み物がある詰組。
斗栱は詰組で、出三斗組。

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格子
精巧な美しい花狭間の組子

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礼拝
雲水が礼拝の仕方をデモされていました。
開山堂は床が石畳で、敷物を引いて礼拝するようだ。

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履物
儀式に使用されれる革靴?
木靴でなく、大きさも一定であった。

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庫裡
大広間に掛け軸をはじめ多くの寺宝が展示されていた。
数年前から撮影が禁止され、目録も無いので記憶に留めるしかない。
白隠さんの「大事了畢」、雪舟の「達磨画」の掛け軸が印象に残った。

寒い日であったが、雲水のキリットした対応に、心温まるものがあった。
来年は観音堂が楽しみと思いつつ永保寺をあとにした。

龍泉寺(円空仏)

荒子観音寺に次いで、尾張四観音一つ龍泉寺へ円空仏を観にいった。

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龍泉寺
龍泉寺は延暦年間、伝教大師最澄が創建した古刹である。
本尊は厄除の馬頭観音で熱田神宮の奥の院として建立された。
天正12年(1584年)小牧長久手の役のおり、池田勝入の部下により放火焼失した。
秀純大和尚が堂塔を再興しましたが、明治39年に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが焼失。
しかし焼跡から、慶長小判百枚が発掘され、本堂が再建され現在に至る。

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龍泉寺城
弘治2年(1556年)織田信長の弟、信行によって築かれた城を再建。
現在は宝物館として多数の寺宝が展示されている。
ここに円空仏が展示されている。

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馬頭観音三尊
馬頭観音像(112センチ)は大きな頭上に馬の化仏をつけ、堂々たるお姿である。
大きな三角の鼻、吊りあがった目、口元には円空仏特有の微笑をたたえたスマイルがある。
合掌した姿が観る者に何かを訴えているかのように感じられる。
脇侍は熱田大明神(左)と天照皇太神(右)。

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千体仏
当寺に残る500体のうちの約200体を展示。
小さな木片に目鼻を付けただけの像ながら一体一体がなんとも愛らしい。
荒子観音寺の千体仏と同じようである。

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小判容器
明治39年2月の火災焼跡より、小判98枚、大判切2枚がこの容器に入って発掘された。
この小判を基金とし、多くの御信者の御寄付によって本堂が再建されたという。

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展望台
龍泉寺は庄内川が大きく左に曲がる山上にあり、眺めがすばらしい名勝の地に建つ。
展望台からは春日井市街が一望でき、西には伊吹山、北には木曽の山々が望まれる。

荒子観音(円空仏)

尾張四観音の荒子観音寺へ円空仏を観にいった。

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荒子観音
正式には浄海山円龍院観音寺という。
聖武天皇の御世、天平元年に泰澄和尚によって開祖された古刹。
天正年間に前田利家によって再建されている。

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円空仏拝観
毎月第二土曜日の午後1時から4時まで拝観できる。
荒子観音寺には、山門の仁王像をはじめ、千体仏の小像まで約1,250体が円空仏がある。
円空は1680年ごろ、たびたび観音寺を訪れ仏を彫ったとされる。

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観音菩薩像
この写真はお借りしています
円空独自の造形美と巧みなノミ捌きは見事で、ほほ笑みのあるお顔を見ているとなんとも言えない親しみが湧いてくる。
合掌
 
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多宝塔
名古屋市内で最古の木造建築物。
天文5年(1536)、塔頭常住院の賢俊上人によって再建。
室町末期の禅宗様式をよく表わしている。

建中寺

建中寺で尾張徳川家の御霊屋の公開があり出かけた。
11月19、20日の両日午後1時から公開された。

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総門
三間の医薬門で両側に築地塀を持つ。
山門までの間現在は公園になっているが、以前は塔頭が並んでいたという。
建中寺の境内は5万坪あったという

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山門
三間重層門で、慶安4年(1651)創建時の建築物。
総桧造、本瓦葺の重厚な門で威圧感がある。

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本堂(正面)
建中寺は慶安4年(1651)尾張二代藩主徳川光友が、父義直の菩提を弔うために建立。
弘経寺(茨木)の成誉廓呑上人を招請して開山とした。

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本堂(側面)
入母屋造、本瓦葺で、間口15間、奥行き14間、210坪に及ぶ巨大建築。
名古屋市で最大の木造建築物である。
本尊阿弥陀如来を安置する。
今日は、法要があり堂内に入ることは出来ませんでした。

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御霊屋
尾張徳川藩主の御霊屋の入口
歴代藩主の位牌を祀る。

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御霊屋平唐門
唐門・拝殿とも雨ざらしで、色彩も剥がれ少し古風な感じである。
拝殿から御霊屋を拝見するが、格天井や柱は豪華な色彩に施されている。
御霊屋本殿はさぞかし極彩色豊かな装飾がなされていると想像するばかりである。

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源正公廟
尾張二代藩主徳川光友のお墓。
元禄14年(1701)建立された。

建中寺は名古屋市内にあって、身近な場所にあるのだがなかなか尋ねる機会が無かった。
尾張徳川の菩提寺として権勢を誇ったのだろうが、明治以後は廃仏毀釈があり、さらには名古屋市の都市計画によって境内の中に道路が横断する破目に成っている。

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