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史跡めぐり

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昼食
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昼食
品数も多く美味しく頂きました。
勿論、ビールで喉の渇きを癒しました。

赤後寺
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境内
賤ケ岳の南方、湧出山の南麓にある堂宇。
石段で組まれた高台に本堂が建つ。

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本堂
高台は広い境内になっていて、本堂・鐘楼が建つ。
大寺院の風格がある本堂である。

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ご本尊
聖観音菩薩立像と千手観音菩薩立像の二体。
二体とも約180cmの桧造、木心乾漆風技法の彫像である。
平安初期の作で、手の先が欠損しているが堂々とした風貌がある。
立派な厨子が印象的である。

赤分寺
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ハナノキ
赤分寺の参道入口にあるハナノキ
天然記念物に指定され、3月下旬若葉に先立って濃紅色の花をつける。

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本堂
最澄が当地へ巡錫された折、赤川の底から一条の光明が差し、取り上げられた観音さまを安置した。

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十一面観音菩薩立像
金箔のお体が光り輝く、有難い観音像である。
左手に水瓶を持ち、右手の施無異印が実に優しく感じられる。

横山神社
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社殿
推古元年頃、横山大明神が白馬に乗って、杉の巨木に降臨された。
その巨樹をもって神像をを作り奉納したのが横山神社の発祥。

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馬頭観音
天徳元年(957)、神主横山がこの地に当社を勘定し、馬頭観音を奉安された。
桧の一木造、素地仕上げ、平安後期の作とされる。
観音の里高月にも馬頭観音はこの一体んのみである。

光明寺
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堂宇
行基菩薩が諸国教化のとき、この地に伽藍を建てのが始まり。
その後最澄が、当寺を延暦寺の末寺と定め、七堂伽藍を建立。

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十一面千手観世音菩薩立像
行基の作と伝わる。
幾多の戦禍にも見舞われながら、村人達によって今日まで守られてきた。
実に優しげな観音さまで、手を合わせたくなるような仏さまでした。

渡岸寺観音堂
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槻(ケヤキ)
渡岸寺の門前に流れる川の畔にあるケヤキ
高月の名は古代、槻(ケヤキ)の大木があることから高槻と呼ばれていた。
平安時代、歌人が月の名所として歌を詠んだことから高月となった。

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境内
かんのんまつりが盛大に行なわれていました。
境内参道には露店が立ち並び観光客を楽しませています。

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十一面観音菩薩立像
この写真はお借りしています
七体ある国宝の十一面観音の一つ。
肉付き豊かで官能的なプロポーションが見事である。
何度お会いしても惚れ惚れする。

これで、高月にある仏さまたちを一通りお参りさせて頂きました。
まだ未訪問のお寺もあります、木之本やその奥にも巡ってみたいと思っています。
正妙寺
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観音堂
山の中腹に建つお堂
阿曽津の土豪の子孫、秀道の内室が観音堂を建立。
火災のためお堂は焼失、観音さまは明治4年村人の手によって現在の地に安置された。

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十一面千手千足観音菩薩像
千足のかんおん様は始めて拝観する。
高さ42.1cmの小像ながら、漆箔が施され細部まで明瞭である。
忿怒相で口を開き、頭上には菩薩面が並ぶ。
千手と千足が光背のように広がり珍しい様相である。

松尾寺
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境内
松尾寺は己高山七つ寺の一つ。
石段を上ると観音堂がある。
最澄の再興したお寺

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観音堂
山の高台に観音堂が建つ。
少し風が吹いて一息つけた

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十一面観音菩薩立像
美しい厨子の内、帷の間から観音さまがいらしゃいます。
少し苦虫をかんだような表情で、口を曲げておられる。
優しそうな面影を感じさせる観音さまである。

普門寺
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堂宇
普門寺は大友王寺の末裔三位重則が開いた寺院。
明治13年に、現在の地大森山上に移された。
ここは桜の名所でもある。

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聖観音菩薩立像
最澄の作と伝わる。
薬師如来坐像と二体の尊像が堂宇に祀られている

東柳薬師堂
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長命寺薬師堂
藤原資通の護持仏を祀ったのが始まり

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薬師如来立像
平成20年よりご開帳されるようになった。
鎌倉時代の作。
公開していなかったので金箔も残り美しい容貌である。

磯野寺
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境内の松
境内、観音堂の前にそびえ立つ松
この松の葉は3本ずつ出ている珍しい松である。

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三光松
松葉が3本ずつ出ていて、この松葉を結んで財布の中入れておくとお金が貯まるという。

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観音堂
聖徳太子が、霊水のほとりの桂の木で観音像を刻み、一宇を建立し赤見山磯野寺と号した。
観音堂は天保4年(1833)に再建された。

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十一面観音菩薩立像
ところどころ金箔が剥がれ落ちているが、愛らしい観音さまである。
ふっくらした感じで、優しげな表情の親しみある顔立ちである。
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観音の里 たかつき
毎年8月の第一日曜日に、湖北高月町で「ふるさとまつり」が開催される。

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観音めぐり周遊バス
一昨年、東コースを回りましたので、今年は西コースに参加しました。

冷水寺
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境内
最初の訪問寺
一昨年、東コースの最後のおまけで案内して頂いた。
懐かしい!!

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案内
土地の方がボランティアで案内されていました。
木陰に腰掛けて説明を聞きます。
 
行基が自ら観音さまを刻み宇根に開いた小堂・宇根野寺が冷水寺の祖。

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鞘仏・十一面観音坐像
賤ケ合戦の際、湖北の地はことごとく焼き払われ、観音堂も焼ける。
焼け損じたかんおん様は痛々しく、江戸元禄に鞘仏を作り胎内に本尊をお祀りした。

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みずまんじゅう
湧きあがる冷水で作られたみずまんじゅう。
年に一回この時季に作られるそうだ。
あまくて冷たく手美味しい〜〜〜

竹蓮寺
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本堂
竹蓮寺の境内の奥に本堂が建つ。
一段と高い石壇の上に屋根の反りも立派な建築物である。

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案内
土地の方がボランティアで案内されていました。
仏さまのまん前まで来て、ゆっくりお参りできます。

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宝冠阿弥陀如来坐像
ケアキの一木造。
元は阿弥陀如来として造られ、手も定印を結んでいた跡があるようだ。
かんのん様として手も補修され、聖観音として信仰されてきた。

片山観音堂
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観音堂
石段を登った右手に観音堂が建つ。
琵琶湖に向かって建ち、湖上交通の安全を祈願して建てられたという。

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琵琶湖
振り返ると琵琶湖の水面が望まれる。
左手の小島が竹生島だ。

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十一面観音立像
光背が色鮮やかである。
高台から琵琶湖を見下ろし湖上の安全を守った。

西野薬師観音堂
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境内
やや広い境内で、地元の方々が接待をしておられました。
冷たいお茶や、地産のトマトやお菓子なども提供していました。
感謝感謝です。

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十一面観音菩薩立像
この写真はお借りしています。
本堂に薬師如来と観音像の二体が安置されていました。
観音像はふっくらした穏やかな表情で素敵な観音さまでした。
名古屋城本丸御殿復元工事
7月12日 本丸御殿上棟式が行なわれた。
午後からの、現場見学会に参加した。

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名古屋城
午後一時からの見学会に長蛇の列が出来た。

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現場見学会 案内図
約30分の工程
ヘルメットの関係上50名程度に区切って入場

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表玄関を裏手から見る
土塀の解説がありました。

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表書院の建て方状況
難しい名前の材木の組み合わせが見事!

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木材加工作業
多くの作業員が木材を加工していた。

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杮葺き作業
階段を登り高さ9mの高台から見学。
玄関の屋根に薄い板を葺き付けていました。

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表玄関の裏側
寄棟の屋根が美しい。
こちら側には建物が立つので将来この風景は見られない。

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表書院
上棟式の紅白の垂幕が見える。
書院の大きさが偲ばれる。

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おみやげ
端切れの木材。
本丸御殿復元工事記念品

長久手合戦史跡めぐり

台風一過に長久手の合戦跡をたずねてみた(2011.05.30)

色金山歴史公園
長久手合戦で、徳川家康が軍議を開いた「色金山」を公園として整備。

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長久手合戦慰霊碑
1584(天正12)年に羽柴秀吉と徳川家康が唯一、直接対決した合戦「小牧・長久手の戦い」。
古戦場の北に位置する色金山は徳川家康が陣を張った場所。

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展望テラス
長久手の街が一望できる。

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レリーフ
展望テラスの下には「家康軍議の図」のレリーフが。
作者は夢童由里子さん。

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床机石
家康が座ったとされる「床机石」。

長久手古戦場
天正12年(1584)3月、秀吉軍と家康・信雄連合軍は、ともに兵を挙げる。
秀吉軍は家康の本拠地岡崎を攻めるために三好秀次を総大将とした別動隊を送ったが、
その動きを察知した家康も行動を開始し、4月9日長久手で激しい戦闘が起こった。

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史跡 長久手古戦場
「長久手の合戦」の最激戦地跡「仏ヶ根」につくられたメモリアル公園。

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池田恒興戦死碑
池田恒興は秀吉方の武将。
信長とは乳兄弟の関係。
長久手の戦いの三河進撃第一隊として進撃し、長久手で戦死する。

岩崎城
織田信秀により築城。
小牧・長久手の戦いでは、丹羽氏は徳川方に味方し、羽柴方の行軍を阻止しようとして落城する。

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展望台
昭和62年5月展望塔・岩崎城が完成。
休館いて、資料館とともに入館出来なかった。

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表忠義碑
題字は最後の将軍徳川慶喜の書で、徳川家康への忠義を表す。
岩崎城が徳川方の城として戦い全員討死した。

思いつきで、巡ったので下調べもなく、資料館は全て休館日であった。
まだまだ近くには多くの史跡が残る。
又の機会にじっくり散策してみたい。

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