心の劇場

今年は醍醐寺の桜をみました。

言葉の遊び

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 「とにかく、だれかが絶対オリンピックに出るはず。だったら、ぼくって可能性だってある。」
 
 
                 蛇の石(スネークストーン) 秘密の谷 バーリー・ドハティ 中川千尋訳  
 
 
 15歳の孤児の少年が生みの親を探しに行く旅の物語です。彼は愛情あふれる里親のもとで飛び込みをやっています。
 
 引用文は人生において常に正しい命題ではありません。適応と限界があるのです。
 美しい女性に恋したら一度デートに誘ってみるという適応はありますが、憧れの東大理三を受験し続けるというのは限界を超えているかもしれません。
 
 ふとこの命題の対偶はどうだろう、と思いました。
 「ぼくって可能性がないなら、結局だれもオリンピックには出られないはずだ。」(←合ってます?)
 
 傲慢ですね。
 
 ウィキベディアで対偶を調べたら下記のような注釈がありました。
 「なお日常使われる表現には暗黙の条件や意図が含まれるため、論理学における対偶の意味するところが異なることがある。」
 
  

「しゃべれども しゃべれども」に続いて佐藤多佳子の黄色い目の魚を読みました。

 もっと若い時に読みたかったですね。でもよく書けた作品ですから若い人向け、だけではないと思います。この小説を語るなら「青春」という言葉を抜きにはそう出来ないんだけど、この言葉は使い古され飲食店かスナックのネオンのようになってしまったので使いづらいですね。でも青春のただ中にある人達の思いがリアルに描かれていると思います。

 青春というものを定義するとしたら、それは人生において重要な事柄を初めて経験している世代だと思います。初めてというのはストレスのかかる大変な作業です。初めて、というのはそれが単に初めてある場所に行くのですら大変です。例えば姫路市立美術館に行くとしたらネットで住所を調べ、地図で場所を確認し駅からの道筋を計画することになります。でも実際歩いてみると地図とは大分様子が違うものなんですよね。目印を探し、道を間違えていないか不安になりながら進んでいくものです。そして思ったより時間がかかったように思うものです。帰り道はそんなことはなくてもう駅までの道筋も所要時間も見通すことが出来、実際短時間で行くことが出来たように感じます。

 多くの重要な事柄を次から次に経験する青春というのは一般に考えられているよりはずっと困難な世代だと思いました。例えばこの小説で扱われているのは能力の欠如による挫折(クラブ活動でのサッカーの話です)、恋、親子関係、友人関係などなどです。当事者は現在の状況を把握するのに、どう行動するかを決めるのに、行動したあとの結果を受け入れるのに、そしておそらく行動しなかった結果を受け入れるのに多くの苦しい長い長い時間が必要なのです。

 そしてこの小説でも明らかなように追い詰められた状況でそれを相談する相手がいないのです。少数の例外を除いて自分の決定を押し付けようとする大人しかいません。私は成長するには現実と対峙し、よく考え、よく相談し、決定して、行動して、その結果をかみしめるしかないと思います。その時相談相手がいないというのは残念なことです。相談相手に必要な資質はまず相手を一個の人格として認め尊重することで、これが欠けると有意義なコミュニケーションが成り立たないと思います。

 私は昔ビリヤードが好きで職場の近くのビリヤード場に通っていたことがあります。そこで店長に注意されたことは、キューを突き出す時もまだ迷っているということです。狙いを定めたら迷わず突け、と言われました。狙いを定めたら迷わず突き、あとはその結果を見る、そしてそれを繰り返すということが大切なのです。

「乏しい話題が恐ろしく高価で取り引きされ、手持品の整理のようであった。」


            リルケ「マルテの手記」望月市恵訳 岩波文庫より



 うーん、これはうなりました。まさに

「魂の深みで起こる変化を象徴するものを外界の現象のなかに探そうとした」結果の

比喩ですね。(上記の「」内も同じ文献からの引用です。魂の深みというには少々卑近

な例でしたが。)

「、、、ふつう世の中のことというのは決着なして終わることが多いんだが、、、」

          ドストエフスキー「悪霊」上 江川 卓 訳  新潮文庫


「世の中のことはいつも卑屈なことでけりがつくものである、、、」

          ドストエフスキー「未成年」工藤精一郎訳 ドストエフスキー全集13



「だいいち、すくなくともなんらかの選択がなされる以上、傾向は避けられませんよ。」


          ドストエフスキー「悪霊」江川 卓訳 新潮文庫



 上二つは世の中の事に意思表示し、自分の意見を主張しない人が多いということだと思います。そして意思表示しないという選択は、その人の心の中に卑屈な傾向を生むということです。勿論、意思表示した方がいい結果を生むとは限りませんが、少なくとも卑屈な結果ではないということです。卑屈な選択を繰り返せばその呪縛から逃れられなくなってしまいます。


 

お世辞

「そしてどんな無茶なお世辞でも、必ず少なくとも半分はほんとうらしく思えるものです。」


                 ドストエフスキー「悪霊」(下)工藤精一郎 訳



 これは勿論お世辞を言われた本人にとってです。周りの人たちにとってはやっぱり無茶でしょうね。

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