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いつの間にか6月ですね。 この小説も気が付けば月刊になってしまいましたなぁ。 随分前から頭の中では既にバイオレンス小説らしくドンパチやっているんですけど。 5月は家内さまと週末良く山でトレッキングしました。 GWの奥日光に始まり、峯山など藤野の山、大楠山経由で三浦半島横断、丹沢の大山。 先週の大山はキツかった。。 家内さまは今週一週間まるまる筋肉痛で辛かったらしい。今日もまだふくらはぎが痛いみたい。。 私は筋肉痛はありませんでした。あ。そう言えば走るのが楽になったな。 かなりいい運動になってますね。 私現在、医師への道から少しずれかかっているかもしれません。 まぁ、まっすぐ山に登るのが早道なのは承知していますが、 迂回するして道が楽になることもあろうかと。 へば、小説の続きです。。 ★第拾話「直感」 === 皇紀2667年3月9日 金曜日 === 医学部の受験において、数学は避けられない科目です。 それはやはり、論理性が求められているのでしょう。 命を扱う医師と言う仕事は、間違いが許されません。 誤診の原因の大半は「思い込み診療」にあるようですし、 治療方針はあくまで、所与の条件から論理的に組み立てることが必要です。 この点、医師と同様論理性を必要とする裁判官は少し違うようです。 もちろん判事も所与の条件から論理的に判決を作成します。 しかし実際の裁判において判事には、 「この被告は有罪だな」と言う確信(あるいは直感)がまずあって、 後からその結論を導くのに必要な法理を組み立てるのだそうです。 裁判官が全員そのようなやり方をするわけではないのでしょうけど、 日本の法律が含まれる「大陸法」とは別物の「英米法」には、 『より古い判例の方が価値がある』という奇妙な法理があります。 大雑把に言えば英米法においては、通説の判例に納得が行かない場合、 納得の行く「古い」判例を探し出せば裁判に勝てると言うことです。 「結論ありきの法理」は大陸法と英米法を問わない普遍のものなのかも知れません。 しかしながら、医療の場においても長年の経験に裏打ちされた「直感」が バカにできない、ということもありえます。 それは、「直感」とは、過去のすべての経験・記憶から瞬時にはじき出された、 脳と言う生体コンピュータの結論であるからです。 誤解しないで下さい。直感がすべて正しいとは言っているわけではありません。 十分な経験と知識があった場合、直感が正解である可能性があるということです。 2度目の「面接」のドアを開けたときの私の直感は、 人生経験が足りなかったせいか、間違った対応をはじき出したようでした。 ※ 上記枠内はすべてフィクションです
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