思想もどき

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っていうか、こんなこと考えてますってな感じの、自己紹介ですね。


臓器移植という医療シリーズは新書庫「臓器移植と脳死」に移動しますた。
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これまでどおり、しっかり出所等を検証しながら論じるのではなく、

会話のように思うところを書いてまいります。

間違いもあるかもしれませんので、今後とも何かお気づきの方はご指摘ください。



ヽ(´∀`)人(・ω・)人("Ё)人(・∀・)人( ̄ー ̄)人(´_ゝ`)ノ



昨年予備校で野球好きのβくんが、医学部野球で右打ちをすると言ったことがあった。

「利き目、左なの?」と私は訊いた。

私の利き目が左なので親近感を持ったこともあるが、

「利き目をピッチャーから奥にする必要から、利き目が右の人は左打ち、左の人は右打ち」

と、かつての職場の後輩が甲子園で投げたことのある野球の経験者で、

4番も打っていた豪傑から聞いていたからだ。

そこそこ野球に詳しい自負を持つβくんは

「利き目は関係ない」

と言い張るので、<そう。>と私は引き下がったのだが、

少なくとも甲子園球児の豪傑は、

「専門にやっていた」自負からその知識には絶対の自信を持っていて、

「譲れない」とまで云っていたわけで、それなりの説得力があった。

「彼がそういうのなら、そうなんだろう。」

そう私は信じているのだが、

野球大好きのβくんにはそのような知識はなかったらしく、

利き目と右打ち左打ちとは関係がないと信じていたのだろう。




だけどそれは、

お互い自分は「知っていて」、「知らない相手は間違っている」

と言う真偽の結果論でしかない。




そう考えると、

この場合どちらかが「知っている」と思っている知識は

間違いを正しいと信じてしまっていることに他なく、




一般に、自分が知っている知識とは、

自分が正しいと信じていることでしかない

というのが本当なのではないか?




だって新聞に書いてあったもん!

と思ったところで、

誤報や捏造記事の可能性がある訳で、

物質は原子でできている。

と思ったところで、

人間の目に原子は見えないし、

電子顕微鏡だってその仕組みを説明できて、

なおかつ自分が研究で使っている電子顕微鏡がそのとおり作られていることを

確信持てる人だってそう多くはないであろうと考えると、

「万物の根源は原子だ」

或いは

「万物の根源は火だ」

と言っている古代ギリシアの哲学者と何も変わらない。

むしろ、考えに考え抜いて

「万物の根源は水だ」

と結論付けた哲学者を

学校で教えられた原子を疑うことなく信じている現代人が

果たして論破できるだろうか?

科学という宗教

これからブログの記事で

脳死と臓器移植

について考えて行こうと思っておりまして、

その前提となる私の立場を明らかにして行きたいと思います。




大学では法学部としては異色の「政治学史」のゼミにいました。

政治学の歴史ではなく、分かりやすく言い直すと

「政治思想史」になるのでしょうか?

もっとかいつまんで言えば、探求のテーマは

「政治と宗教(の関係)」になろうかと思います。

前者は社会にユートピアを建設することを目標とし、

後者は各人の心の中にユートピアを建設することを目標とします。

両者は別物ですが、目標が似ているので、ややもするとお互いを必要とします。




ゼミではまず最初に宗教アレルギーを緩和するため、

神谷美恵子さんの本でレポートを書かせます。

それほど日本人は自分に信仰がないと思いがちで、

宗教を忌まわしいものと思いがちです。




外国人からは、結婚式でキリスト教の神に永遠の愛を誓い、

毎年初詣に行き、彼岸お盆に墓参りをする日本人に信仰がないとは思えないでしょう。

多神教のアミニズムの、原始的な信仰に見えるでしょうけど。




今、トイレで「愛と心理療法」を読んでいます。

往年のベストセラー「平気でうそをつくひとたち」の

精神科医M.スコット・ペックの本です。

邦題がマズすぎます。あれでは売れません。

確かに愛と心理療法について書かれている本なのですが、

原題は「THE ROAD LESS TRAVELED(行く人の少ない路)」です。

それはそうと、その本の中で、

「人間は成長の過程で、親の宗教を拒絶するために科学という宗教で置き換える。」

といった趣旨のことが書かれていました。

ちょっとだけ、科学について考えてみようと思います。

純情きらりを観ている。

今回はオーディションしなかっただけあって、

『害虫』で国際的にその名を轟かせた大女優、

主演宮崎あおいの演技レベルは高い。



しかし、3月までの「風のハルカ」もそうだったが、

描かれる世界観に、

『女性の幸福は家庭にはなく、外の世界で自己実現することだ』

と言う思想が感じられる。

『女性の幸福は家庭にもあるし、外の世界にもある。そのどちらかにしかない女性もいる。』

と言うところが本物ではないか?




ボーボワールだったっけ?

『女性は女性として生まれてくるのではなく、女性に育てられる』

とか言った人。




井上きみどりのマンガ『子供なんか大キライ!』にあるように、

男勝りの母親が、自分の娘を女の子として育てたわけではないのに、

その女の子が男の子っぽいものより、いかにも女の子的な

かわいらしいものを好んだりするケースがあることから見ても、

女性は一般的にはある程度の女性を持って生まれてくると思うのだが。

(確かに性同一性障害とかあるわけだし、

性は男性女性に単純に完全に二分できるわけではないとは思う。)




女性にも男性が多い世界で発揮できる能力を持っている人もいれば、

男性でも女性が多い分野で突出した能力を持った人もいるだろう。

前者にとって、生きにくい男社会が女性に優しくなることによる

必要はフェミニズムが改善しつつあるだろうけど、

ボーボワール以降のジェンダー、フェミニズムによって

不幸になった女性も多いのでは?




機会の平等が保障されて、多様性を認める社会的雰囲気さえあれば、

それでいいのではないか。

(それを作り出すことは難しいだろうけど、それが目指すべきところと思う)

『家庭より自己実現』だと信じ込む不幸は

『男は男らしく、女は女らしく』を信じ込む不幸と変わらないと思う。




最近、連続テレビ小説は女性の原作を使うことが多いみたいだけど

共感できない女性も少なくないのではないかと思うが。

どうなんだろう。

フェミニズムに準じない思想を主張するのは

教養のある女性として認められないという雰囲気があるのだろうか?

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昨年の予備校で一覧になった模試の数字を見ると自分の実力が良くわかる。

が、弱いもので、なんかのまぐれで一度高い偏差値や点数を取ったりすると、

その点数を実力だと思い込みたくなる。

そうすると悪い点数については、調子が悪かったなど言い訳をしたくなる。

実力は良いときと悪いときの平均なのに。。



「自分を良く評価してしまう」という心の弱さは、

『最近の若い者は』のような発言が、

多分、太古の昔からなされていたであろうことを思えば

普遍的なものなのかもしれない。

日常は忘れやすく、

辛かったことや大変だったことは思い出になりやすい。

そしてそれだけを自分の生きてきた軌跡と思い込みたくなる。

そうすると日常の後輩たちを見て、楽をしているとしか思えない。

ピークの自分と同様の困難を克服しているかもしれないのに。

そんなわけで「今の若い者は‥」的発言をするような人間には

なりたくないと昔から思っていた。。



なのになのに。客観と思い込みの折り合いをつけるのは、

やっぱり難しい。

そこできっぱり、私、センター6割台を数学の実力とします!

そう!もっとせっぱ詰まんないと!


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こうやって自分の弱さを普遍的なものと思い込みたくなる辺りが
自分の心が軟弱であることの証明でもある。

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