駆逐艦涼月(すずつき)は旧日本海軍所属秋月級駆逐艦3番艦。
基準排水量 2,701トン
公試排水量 3,470トン
全長134.2メートル 全幅11.6メートル
速力33.0ノット
60口径10センチ連装高角砲4基8門 他
三菱重工長崎造船所建造。
1945年春連合艦隊は主力の大部分を失うとともに燃料不足からほとんど作戦行動が取れない状況にあった。
しかしながら沖縄での苦闘
そしてそれを知った昭和天皇陛下の「海軍にはもう艦隊はないのか」のご下問を受け
海軍は唯一作戦行動が可能な艦隊である第二艦隊の出撃を決定する。
編成は
戦艦1「大和」
軽巡洋艦1「矢矧」
駆逐艦8「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「初霜」「霞」「冬月」「涼月」
の合計10隻。
ちなみに「大和」の出撃に関して「海上特攻」であったとか燃料を半分しか積んでなかったとかの誤謬が多く
どうも戦後の印象操作の気配があるのですが
「大和」は半分も燃料を積んでいたら楽勝で沖縄へ往復できましたし
海上特攻と言うなら健在艦艇が呉へ帰投した理由が説明できません。
はっきり「嘘」と判断しておきます。
九州坊の岬沖で迎撃を受けた艦隊は致命的な損害を受け「大和」沈没。
その時点で残存していたのは
「初霜」(健在)「雪風」(小破)「冬月」(中破)「涼月」(大破)の駆逐艦4隻。
駆逐艦「涼月」は戦闘中に艦首部に直撃弾を受け激しく損傷しており
かろうじて浮力を確保して艦首が水面の上に出ている状態。
通常航行では艦首破損部の防水が破れ沈没すると判断して後進にて佐世保を目指す。
他の3隻から遅れること数時間なんとか佐世保にたどりつく。
佐世保到着時すぐにブイに係留されたのだが急速に沈降が進み
急いで佐世保の第7船渠(ドッグ)に入渠し排水を急ぐが力尽きドッグ内に鎮座してしまう。
この時の船内探索で発見されたのが
被弾した艦首部で唯一気密を保ち「涼月」の帰投に重要すぎる程の役割を果たした前部弾薬庫で倒れていた3名の将兵であった。
3名の亡くなった将兵の心情に思いを寄せれば
艦は被弾し艦首部は浸水が相次いでいる
浸水を防ぐ為の防水は当然なんだが周囲全てが浸水を起こしており脱出するには時間の余地はない。
しかし防水を放置して急激な浸水を許せば艦は沈没してしまう。
3名は艦が助かるかどうかも分からず
それでも身を捨てて完璧な防水処理を施した。
そのお陰で「涼月」は佐世保にたどりつき多数の乗組員が救われたのです。
戦況の逼迫から「涼月」は本格的な修理はされず
損傷の故に復員船に使用されることもなかったのですが
武装解除後の船体は僚艦「冬月」桃型(改松型)駆逐艦「柳」の船体とともに北九州市若松港の防波堤として利用
その後完全に埋められ
現在では響灘臨海工業団地内の若松運河付近にて「柳」の船体と案内板があります。
責任をもって部署を守り
他の乗組員を救った人間は立派ではないでしょうか。
軍国主義とか誹謗せずに人間として立派に戦いを全うした方は褒めてあげるのが普通だと思います。