日本の光

掲示板でやっていた「日本の光」をブログで始める事にしました。

日本の光

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

令和への代替わりが無事に済んだと思えば
マスゴミが「女系天皇」への愚劣な印象操作。
先にも述べたように女系を認めたら「小室朝」が出現する悪夢が現実になるんだが。

女性天皇は過去にもあるので(ただし男系限定)
別に1代限りで認めても構わないと思うが
男女平等だとか男尊女卑だとか馬鹿な話と結びつけてんじゃないよ。
価値観が変われば皇室も変わるべきだとか言うのも
「変わらない」と言う価値観を否定しているのと同じ。

女系天皇の問題について述べずに
色々言うマスゴミは腐ってるとしか思えないんだが。

フィンランドの親日

親日国としてトルコ・パラオ等は有名ですが
フィンランドも親日だと言う事を知っている人はどのくらいいるでしょうか。
まあ知られていないと言うならユダヤ民族(イスラエル)の方がそうかも知れませんが
こちらはまた別の機会に。

フィンランドと言うのはハンガリーと2国だけ欧州におけるアジア系民族の国で
トルコと並んでロシア・ソ連の圧迫に悩まされ続けた国なんですよ。
トルコは元々「エルトゥールル号遭難事件」と言う親日のきっかけがありましたが
ロシア・ソ連の侵略に悩んだ歴史は深刻で
フィンランドとともに極東の同じアジア民族の国日本が
日露戦争にて強大なロシア帝国に勝利したと言うのは快哉を叫ぶ出来事だった訳ですね。
だからフィンランド・トルコ両国では東郷平八郎元帥は有名で知っている方も多い。

フィンランドで有名な日本人は他ではスキージャンプの葛西氏
小説家の村上春樹氏
日本に帰化して政治家になったツルネン氏なんかが知られいます。
この辺りは国柄が出てますね。

サウナと白夜の国フィンランド
一度訪ねてみたい国ではあります。
 ぶっちゃけ「たま駅長」と言えば知っている人は多いでしょう。
私が知ったのは「たま」が駅長に就任した直後
話題となった頃にテレビで特集されていたので知りました。

 今ではなんと6万人にもおよぶ外国人観光客を集める「たま駅長」
その最初は2003年のことです。

 当時和歌山貴志川線を運営していた南海電鉄が赤字路線からの撤退を発表。
岡山の両備グループの岡山電気軌道が運営を引き継ぐこととなり「和歌山電鉄」が設立されます。
たま達(たまの母猫ミーコたまちびの3匹)は貴志駅に隣接する小山商店の飼い猫で
貴志駅の倉庫と小山商店の間の猫小屋で飼われていたのですが
小屋のあった南海電鉄の土地が貴志川町の所有地となり取り壊されることに。
困った店主が2006年の和歌山電鉄開業記念式典で小嶋社長にお願いします。
「猫達を駅に住ませてやってくれませんか」と。

 この小嶋社長がたまを「駅長」にミーコちびを「助役」に任命します。
貴志駅は合理化の為に無人駅となることが決定しておりこれはタイムリーな処置でした。
就任直後はまだ知名度が低いのもありましたが1年後の乗客数は17%増。
(私がテレビで知ったのはこの頃)
人気が爆発した後にはとうとう貴志川線の再生が現実となるほどの乗客数を呼びました。

 そんな「たま駅長」は2008年フランスのドキュメンタリー「猫を探して」に出演(笑)
とうとう海外でも知られるようになり海外でも人気が爆発。
和歌山電鉄どころか和歌山を救う大活躍です。

 もう高齢の「たま駅長」ですができるだけ長生きして欲しいですね。

日本の光・駆逐艦涼月

駆逐艦涼月(すずつき)は旧日本海軍所属秋月級駆逐艦3番艦。
基準排水量 2,701トン
公試排水量 3,470トン
全長134.2メートル 全幅11.6メートル
速力33.0ノット
60口径10センチ連装高角砲4基8門 他
三菱重工長崎造船所建造。


 1945年春連合艦隊は主力の大部分を失うとともに燃料不足からほとんど作戦行動が取れない状況にあった。
しかしながら沖縄での苦闘
そしてそれを知った昭和天皇陛下の「海軍にはもう艦隊はないのか」のご下問を受け
海軍は唯一作戦行動が可能な艦隊である第二艦隊の出撃を決定する。
編成は
戦艦1「大和」
軽巡洋艦1「矢矧」
駆逐艦8「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「初霜」「霞」「冬月」「涼月」
の合計10隻。

 ちなみに「大和」の出撃に関して「海上特攻」であったとか燃料を半分しか積んでなかったとかの誤謬が多く
どうも戦後の印象操作の気配があるのですが
「大和」は半分も燃料を積んでいたら楽勝で沖縄へ往復できましたし
海上特攻と言うなら健在艦艇が呉へ帰投した理由が説明できません。
はっきり「嘘」と判断しておきます。

 九州坊の岬沖で迎撃を受けた艦隊は致命的な損害を受け「大和」沈没。
その時点で残存していたのは
「初霜」(健在)「雪風」(小破)「冬月」(中破)「涼月」(大破)の駆逐艦4隻。



 駆逐艦「涼月」は戦闘中に艦首部に直撃弾を受け激しく損傷しており
かろうじて浮力を確保して艦首が水面の上に出ている状態。
通常航行では艦首破損部の防水が破れ沈没すると判断して後進にて佐世保を目指す。
他の3隻から遅れること数時間なんとか佐世保にたどりつく。

 佐世保到着時すぐにブイに係留されたのだが急速に沈降が進み
急いで佐世保の第7船渠(ドッグ)に入渠し排水を急ぐが力尽きドッグ内に鎮座してしまう。
この時の船内探索で発見されたのが
被弾した艦首部で唯一気密を保ち「涼月」の帰投に重要すぎる程の役割を果たした前部弾薬庫で倒れていた3名の将兵であった。

 3名の亡くなった将兵の心情に思いを寄せれば
艦は被弾し艦首部は浸水が相次いでいる
浸水を防ぐ為の防水は当然なんだが周囲全てが浸水を起こしており脱出するには時間の余地はない。
しかし防水を放置して急激な浸水を許せば艦は沈没してしまう。
3名は艦が助かるかどうかも分からず
それでも身を捨てて完璧な防水処理を施した。
そのお陰で「涼月」は佐世保にたどりつき多数の乗組員が救われたのです。

 戦況の逼迫から「涼月」は本格的な修理はされず
損傷の故に復員船に使用されることもなかったのですが
武装解除後の船体は僚艦「冬月」桃型(改松型)駆逐艦「柳」の船体とともに北九州市若松港の防波堤として利用
その後完全に埋められ
現在では響灘臨海工業団地内の若松運河付近にて「柳」の船体と案内板があります。


 責任をもって部署を守り
他の乗組員を救った人間は立派ではないでしょうか。
軍国主義とか誹謗せずに人間として立派に戦いを全うした方は褒めてあげるのが普通だと思います。



小泉純一郎首相の所信表明演説で話題となった「米百俵の精神」

2001年(平成13年)5月7日小泉純一郎首相(当時)は所信表明演説で述べた。

「明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。」 

 史実としての「米百俵の精神」を残したのは
明治初年戊辰戦争で敗北し「賊軍」とののしられた長岡藩。
その敗戦後を託された小林虎三郎である。
敗戦後の長岡藩は7万4千石(実質10万と称されていた)から2万4千石へ減らされ士族は食うに困る有様であった。
(廃藩置県が行われるまでは藩が現存し、士族は俸給を得ていた)
明治3年長岡藩の窮状をみかねた支藩である三根山藩より百俵あまりの米が送られてくる
これが「米百俵の精神」のエピソードへと繋がる。

山本有三が戦時中に発表した戯曲「米百俵」より

左衞門
 聞くところによれば、このたびご分家、三根山藩のご家中から、当藩の藩一同に見まいとして送ってきた米を、おまえ様はわれわれに配分せぬ意向とあるが、それは果たして、まことのことでござるか。

専八郎
 しかも、その米の売り払い代金をもって、学校を立てるご所存とうけたまわった。たしかにさような事、従五位様(藩主、牧野忠毅のこと)に申し上げるつもりか。しかとした返答をお聞きしたい。

虎三郎
 貴公たちは、食えないといって騒いでおるではないか。みんなが食えないというから、おれは学校を立てようと思うのだ。

食えないから学校を立てる、とは理が通らない」と三左衞門が反論すると、虎三郎は百俵の米なぞ藩の8500人に配ってしまえば、1日か2日で食いつぶしてしまう、として、こう諭した。

虎三郎
 なあに、はじめからこなかったものと思えば、なんでもないではないか。・・・・もとより、食うことは大事なことだ。食わなければ、人間、生きてはいけない。けれども、自分の食う事ばかり考えていたのでは、長岡はいつになっても立ちなおらない。貴公らが本当に食えるようにはならないのだ。
 だからおれば、この百俵の米をもとにして、学校を立てたいのだ。学校を立てて、子どもをしたてあげてゆきたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかり知れないものがある。いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。その日暮らしでは、長岡は立ち上がれない。あたらしい日本は生まれないぞ。


そして明治3年6月長岡に国漢学校が設立。
くしくもそれは明治新政府が東京に第一号の小学校が開設されたのと全く同じ年月である。


戊辰戦争で「賊軍」となったが長岡藩と言うのは実に有為の人材を輩出し続けている。
河井継之助・小林虎三郎・山本五十六。

 国家にとって教育と言うものがいかに大事かと言うことです。
明治維新において諸外国の侵略をはねのけ世界に類をみない大変革を為したのは徳川期における教育の賜物でしょう
そして太平洋戦争敗戦後の奇跡とも言える復興の元もやはり教育であったと言えます。

 近年の日本の停滞はそういう意味においては「戦後教育の失敗」と言っていいんでないでしょうか。
はっきり言いましょう「日教組の悪行のせいです」

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事