ボーっと生きて アジア放浪と里山輪行

日本で生まれた幸せを確認しに行った我が人生一番の思い出インドシナ放浪記と古き良き時代への郷愁で癒される里山原風景の自転車輪行

旅の雑記事

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(左)小さめのジャガイモをバターで食べるジャガコロは、ネーミングが良いのか女性に人気でした。<右>他の食べ物よりは割安感に思った。焼鳥3本\300・6本\500。
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航海の安全を祈願して堺の漁師が住吉大社(地図)に魚を奉納した後、

住吉大社の神輿を堺にお迎えして「市」を開いたのが、

「堺大魚夜市」の始まり言われています。

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<左>おっさんもアジア各地で良く食べた小玉スイカ・パイナップル・メロンの切り身は\100、マンゴーは¥300。 <右>泉州名物水ナスの漬物\300は納得だが、キュウリの浅漬け\200は、主夫おっさんとしては抵抗が有ったが、若い娘に人気が有ったのは意外でした。
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<左>小さめのジャガイモをバターで食べるジャガコロは、ネーミングが良いのか女性に人気でした。<右>他の食べ物よりは割安感に思った。3本\300・6本\500。

おっさんの子供時代の半世紀前頃まで、

すみよっさんの神輿は、担いで大和川を渡っていました。



やがて担ぐ人も居なくなり、神輿を車で運んでいたが、

最近に成って、神輿が川中で、

住吉から堺の担ぎ手へ引き渡す「大和川のお渡り」が復活した。

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迫力が有ったので、某球団の応援団かと思ったが関係なかった。 ↓
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お渡り前夜の7月31日、

堺の魚の豊漁と安全祈願に、集まった魚を人々に分け与えたと言われている

堺の大浜公園(地図)で行われる「大魚夜市」を冷やかして来ました。

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<左>留学生グループも参加。 <右>売り場の裏側では、早速一杯やっていました。

昔は、深夜遅くまで次々と港に運ばれたタコや鮮魚をせり市が開かれ、

値もドンドン下がり、その駆け引きも祭りの内だったと記憶しているが、

今は9時頃で終ってしまい、子供の時に見た様な活気は感じませんでした。



其れは、大魚夜市に限っての事で、

今は毎年20万人も押し掛ける

堺市上げての大イベント大縁日で大賑わいでした。

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パタヤのバス停やプノンペンのキャピトルGHで体験以来、お気に入りのドライミストは気持ち好い。
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よさこい踊りが、全国区に成って来たのは、若者受けするからか。

ゆかた等、着た事が無い娘さんや良い子が、自転車で会場に向かっています。



歩いている者も含め、着こなしが成っていません。



本人達もそうですが、

親も着こなせない時代に成っているから無理ないかも知れません。



偉そうに言っていますが、おっさんも着ません着られません。




    おっさんが、一番見て欲しい
    団塊のおっさん、初バックパッカーする編は、此処をクリックです。
    第一話から見ている間の無い忙しい貴方には、ダイジェスト版
    ,お薦め迷作集もあります。
    貧乏臭い放浪話に興味無い貴方には、貧乏臭いウォーキング編です。
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昨日、宝塚を歩きに行きましたが、ボロボロでした。



前々日の雨が止み、

気温が上がったから条件が揃っていたので、予想通り

黄な粉をまぶした様に目が痒く、

出来るものなら目玉を取り出し清水で洗いたい位です。



鼻水が、たらりたらり程度ではなく、

鼻血の様にドボッドボッと出て散々でした。



酷かった辛かった情け無い、もうイヤイヤ本当に辛かった。



今日の大阪地方は、行楽日和の最高の天気だが、何処にも出掛けません。



皆さん如何でしょうか?



花粉症で無い人は幸せです。



おっさんは、記憶に無いくらい昔から、調子が悪かった。



杉だけではなく、檜やハウスダストなど全部駄目です・



当時は、花粉症と言う言葉が無く、中々風邪が治らないと思って、

家の置き薬を飲み続けていたものでした。

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10数年前、京都に、花粉症の名医が居ると聞き

行くと遠くは名古屋や姫路からも来ていました。



三時間以上待ってお尻に注射をしてもらいます。



薬を貰い医院を出る頃には、鼻が通り、効いているのが実感出来ました。



同じ様な花粉症の人達に、苦しみから開放して上げたかったので、

医院の場所をコピーして、あちこちのご同輩に勧めたものです。



そして、ひと月もした頃、症状が戻って来ました。



またお尻に注射をして貰います。



帰り道は、前と同じ様に快適そのものでした。



今度の効き目は3週間ほどで切れてしまった。



勧められた人も、勧めた人も同じ事でした。



4〜5回も行くと効いているのが実感出来なくなって来ました。

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10年ほど前、大阪府池田市にも名医が居ると聞き行きました。



少し近いだけで、矢張り京都の医院と同じ事でした。



それでも辛抱堪らず通いました。



待合室は、重症患者ばかりで、気持ちは手に取るように解ります。



数時間の待ち時間に、食事をして池田の街も歩き回ったものです。

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タイでは一般的なメントール、厳密には禁止薬物が含まれているので、日本では違法ですが、お鼻の友です。

そして究極の治療法を考えた。



正確には治療法ではありませんが、

花粉の飛ぶ時期に、花粉の無い所に行けば良いと云う事です。



早春のアジアや5月の北海道・沖縄に行った時は、快調でした。



しかし、勤めながら症状の出る2月〜6月の5ヶ月間も行けません。



仕事を辞めて放浪に出る時は、

迷わず花粉の飛ぶ時期にしようと思ったのは言うまでもありません。




何処に行っても花粉症を忘れるくらい快適でした。



良い天気、好い気候ですが、春は大嫌いです。



毎年この時期は、部屋に篭っています。



今日も大阪地方は、行楽日和の最高の天気でが、何処にも出掛けません。



皆さん如何でしょうか?
 



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ユーラシア大陸をバスで横断した放浪本“深夜特急”が

ほぼ同時期に、ドキュメント風と猿岩石で、TV化された事にも触れています。



当然、電波少年の方は、やらせなので原作とは違っていましたが、

おっさん的には両方とも楽しめ、

ますます放浪への思いが強くなって行きました。



電波少年を見た多くの若者が、無謀な旅に出たそうですが、

おっさんも感化されて旅発ったのですから同類です。

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“時が経つにつれて、

どうしてあの「深夜特急」の旅を無事に終えることができたのか」

という思いがますます強くなっていく。

たぶん、危険とすれすれのところにいたのだという気がする”

と書かれている。



でもおっさんは、盗難にこそ遭ったが、

幸いそう云う意味では、一度バイクに跳ねられそうに成った時と

発砲事件以外は危険だと思った事はありませんでした。



何度も騙されたりボラれたりしましたが、その程度の事で、

致命的な非害には成らずその障害を楽しむ余裕すら有りました。



一生分のツキを使ってしまった位に、ツイていただけかも知れません。

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おっさんが深夜特急に感化されたように、


旅の相談をされた事が有ります。



嬉しかったので、知っている総ての経験談を教えました。



そして同じインドシナに旅発った若者は、メールで現地から逐次報告してくれ、

またそれに知ったかのアドバイスをして悦に入っていました。



若者は、現地で、外人と友達に成ったとの報告ですが、考えるまでも無く怪しい



本人も怪しいと思って居るのですが、旅の高揚した気分が勝つのか、

騙されてしまった。



もちろん忠告はしていたが、限度が有り、後味の悪い事になってしまった。



100万円位の被害で、授業料にしては大きい。

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おっさんの様に石橋を叩いても渡らない性格で、

馬鹿だが其れなりの歳を重ねた者なら騙されないものがあった。






自分で世間を狭めているようだが、用心に越した事はないし、

何時も人に気を許せない嫌な性格が勝っていた。



おっさんが、旅の3日目に僅かだが掏られたのは、

以降のことを考えると返って良かったのかもしれない。

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ウオーキングの帰りの阪急電車内で、

巨漢のファランが、ドアの横のロングシートに座り

大きなバックをシート横(ドアの前)に置いて本を読んでいました。



彼は、停車の度に左手を延ばし、バックのベルトに腕を通します。



日本では先ず心配の要らない事とは思いますが、

危機管理の違いを学んだ物でした。



感想文と大分離れてきていますので、“旅する力”を読んでは、此れで終了します。



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放浪人には、バイブル的“深夜特急”が、どのようにして生まれたか、

そのいきさつ、書かれなかったエピソードや、

旅に出るまでの経緯等が書かれたのが、深夜特急ノート“旅する力”です。




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“旅という」のは不思議なもので、金は有ればあった方が良い、

有っただけのものを見ることが出来る。

それは確かだけれど逆も真で、

金が無ければないほど良く見えるという側面もある。

出来る事なら若いうちは、無ければ無いほど旅をした方が良いと思います”

と語っている。

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おっさんが旅発ったのは57歳で、若いどころの話ではなく、

退職金も貰ったし、それなりの金も有りましたが、

普通の観光旅行をする気はありませんでした。

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少ない年金でもアジアの国なら優雅に暮らせるのではないか?



でも行く前から此れは可能だと言う事もほぼ分かっていました。



そして、目的も無しに半移住しても退屈してしまうのも分かっていました。



半移住と書いたのは、

基本的に、日本以上に良い国が無いと思っているのと

国を捨てる気も無かったからです。



寒い時期から花粉症シーズンを南の国で過ごし

後の半年を日本で暮らせれば良いと思っていました。



やはり一番の理由は、

30年遅れたが、

連れ(同い年)の沢木耕太郎の様な放浪の旅に出たかったからです。


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此の歳に成ると色々なしがらみが有るものですが、

幸い少しの無理をすれば行ける。



行けなくても行かなければ一生行けない。



その通りでした。



もし、定年まで3年遅らせていたらとても行ける様な状態ではなかったのです。



その内とか、

暇や金が溜まったら行こうと言っていては、

何時までも行けないのと同じ事です。

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でも定年前に辞め、

同世代の人々は、まだ現役で働いていたという負い目がありました。



物価の安いインドシナで、少々の贅沢をしてもタカが知れている。



「現地の人と同じ様な所に泊り、食べ、乗り物に乗って来ました」

良く聞くフレーズです。



此れもおこがましい台詞です。



第一、インドシナで、現地人の旅行者なんて殆ど居ないし、

個室にトイレ・シャワー付き自体が庶民生活と違っている。



大衆食堂で同じ様なものを食べたと言っても、

野菜だけのぶっ掛け飯を食べている現地の人と違って、

肉や魚を注文しているし、昼間からビールも飲んでいる。

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乗り物もクーラー付の大型バスや寝台列車も一般的でない。



其処まで現地化したくは無かったし、

日本で鈍りきった57歳の老人は、するつもりはありません。



好きなビールも我慢できない。



長々と書きましたが、

現地の人と同じとまでは言いませんが、近い旅をしたかったし、

そうして来ました。



そんな訳で、僅かな金をケチッたばかりに

見たり食べられなかったりした事もあるでしょうが、

それ以上に

普通の旅行では、得られない見られない体験を出来たと思っております。



其れが、耕太郎氏の

金が無ければないほど良く見えるという側面もある。

と言う事でしょう。




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耕太郎の「深夜特急」は、旅を終えて10年以上経ってから書かれました。



“金銭出納帳の様なノート、反対のページに書かれた心覚えの単語等に、

現地から出された航空郵便を元に、当時の事が克明に再現できた”

と深夜特急ノート“旅する力”に書かれています。

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「団塊のおっさん、初バックパッカーする」と「深夜特急」を比べるのは、

余りにもおこがましい事ですが、航空郵便と電子メールが入れ替わって、

其れに走り書きのメモ日記を付けていましたので、

同じ様に当時の事を克明に思い出せました。



連れて行かれた旅は、何も覚えていない物ですが、

何から何まで自己責任の孤軍奮闘で初めての体験事ばかりだったので、

鮮明に思いだされ書く事が出来ました。



当時は、

パソコンを覚えたばかりで、ホームページやブログへの憧れはありましたが、

開設出来るとは思っていませんでした。



行く前からパソコン日記は付けており、

その日記に残して置きたい気持ちはありました。



そして帰国後に、メモ日記帳をパソコン日記に1/3位まで移し書いた時、

ハードディスクが壊れ、日記が失われてしまった。



バックアップは、そのハードディスクのみと云う愚かさでした。



それでもメモ日記帳は残っていました。



ブログを書く時は、二度目の反芻をする感じなので、

日記帳を見るだけで当時の事を書く事が出来ました。


ホーチミンからメコンデルタを経由してカンボジアココンまでの17日間は、

紛失後に思い出して書かれているので、正確では有りません。

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此れも考えようで、無くしたのが、

17日間しか書かれていない日記で良かったと思う様にしております。



今に思えば旅の途中、随分日記を書くのに時間を取られていましたが、

旅に行くと必ずメモ日記を付ける癖が有ったのが幸いしました。


“旅行人”投稿してブログ開設の足掛かりに成りました。



「深夜特急」と比べるのは、余りにもおこがましいと書きながら

同列の様に思いたい厚顔なおっさんで、如何しても思い入れのある

「団塊のおっさん、初バックパッカーする」に戻ってしまいます。



感想文?は、まだまだ続きます。




   団塊のおっさん、初バックパッカーする
    第一話 この歳で、バックパッカーは、痛いかなは、此処をクリックです
    「確定申告もしなければ成らないのに、第一話から見る暇なんかありません」と思っている
        そんな忙しい貴方には、ダイジェスト版もあります
 



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