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父は四人姉弟の末っ子で、姉弟のうち、上二人と下二人は母親が違った。
その、違う母方の「従兄」だから、血のつながりはないことになるのだろうか。
とにかく父の「従兄」が亡くなった。九月の終わりだった。
彼フジオさんは80歳で、山梨県の、長寿で名高い「棡原(ゆずりはら)」に住んでいて、
遊びに行くと山菜をたくさん取らせてくれた。「ほら、ここにも」と教えてくれて、
私が自分で摘めるようにしむけてくれた。
彼の奥さんスミコさんは、私たちの顔を見てからうどんを打ち始めて、煮干しのダシの手打ちうどんを作ってくれた。おうどんがあるのに白いご飯も炊いてくれた。
山菜とチクワやなんかの炊き合わせや、青菜とさつま揚げの炒め物なんかがおかずだった。
食べきれなかった手作りコンニャクを、ビニール袋に入れて持たせてくれた。
それから手作りの「酒まんじゅう」。
叔父叔母でもないフジオさんとスミコさんのところにどうして遊びに行くかというと、これも父の財産だった。
父は、従兄のフジオさんの住む棡原村が気に入って、そこに小さな土地を買った。
私たちが小さかった頃は、そこを拠点にたびたび山遊びに連れて行ってくれ、
その後、そこに茶室を建てようと思いたった。解体された茶室の、建材が運び込まれたところで
父は死んでしまった。
買った時分から、その土地は、ふだんは近所の方の無料駐車場になっていた。
父は子どもが育った後も、時々その土地を見に出かけて行った。茶室の建築を思いついてからは、
ひまを見ては出かけていた。
父が死ぬ前もあとも、無償でその土地の管理をしてくれたフジオさんのもとに、母は年に一度、山菜の季節や、柚子の季節に挨拶に行った。心ばかりの謝礼を持参し、たくさんの山の幸をいただいて帰った。
そして、昔から父や母の「ゆずりはら行き」に、ひまがあればついていくのは私だった。
去年は母の友人に車で連れて行ってもらったのだけれど、うっかりGWのど真ん中に計画してしまい、
大渋滞で到着が遅れ、ほとんど遊ぶ時間がなかった。
バスの本数は少ないけれど、今はバスのダイヤもネットで簡単に調べられる、今年は電車とバスで行こうと計画し、母が電話を入れると「検査入院するから秋に来て」とのことだった。
その秋が来たのに。「十月には行こうか」と言っていた矢先。
平日の夜の高速は空いていて、農協の葬儀場には1時間ちょっとで着いてしまった。
車中、久しぶりに逢う母と叔母は「どこが痛い」とか「ここが調子悪い」などとばかり話している。
「うちの近所の萩は終わっちゃったよ。これからはコスモスかなあ」
話題を変えてみた。
高速道路の分離帯にはススキの一群。白い穂が夕日でキラキラと光っていた。
「これからはススキだねえ。もう一回お月見もあるし」
そう言って話を切ると、母と叔母は今度はお墓の話を始めた。
葬儀場で「千秋ちゃん?」と呼びかけられた。フジオさんの娘さん、つまり「またいとこ」の
ナツミちゃんだった。「四十年ぶりくらいかな、ああ、面影あるよ!私のこと覚えてる?」
一緒に沢蟹や蛙を取ったお転婆なまたいとこ、忘れるわけがない。
けれども「ナツミ」はどういう漢字を書くのか、その日もわからないままだった。
田舎のお葬式だったけれど、だからか、参列者はひきもきらない。
農協の人、働き盛りの息子さんの会社の人、消防団の人…
「ゆずりはら青少年の家」の「酒まんじゅう作り」講師の、スミコさんの関係の人たち…
スミコさんは対応に大忙しのなか「遠いのによく来てくれたねえ」と手を取ってくれ、
帰る時も「また来てね、また来てね。おばさんひとりになっちゃったから。絶対だよ」
と何度も別れを惜しんでくれた。
おばさんのおうどん食べさせてもらいにまた必ず来るよ。
帰り道。お互い実家が都心にちょっとばかり土地がある母と叔母は今度は相続の話をしている。
「面倒くさい」という逃げはもう出来ない歳になってきた。
家からも墓からも、死からも逃げ隠れできない時が、人には必ず来るのだ。
死ぬことは避けられないけれど、
死ぬ前に逢った人ひとりひとりに「最後に逢った時は笑ってた」「最後に逢った時親切だった」
という想いを残して死ぬことはできる。フジオさんのように。それができればいいなと思う。
そろそろ帰り道だろうと踏んだのか、メールが来た。息子からだ。
「☆5-1虎。です。」
「うそ〜!すご〜い!」
「誰から?」運転席の兄が聞く。「のんからだよ」
「え〜うちのは親にメールなんかしないぜ」
「うちのも高校生の時はしなかったよ。大学生になってから」
もう一度着信音が鳴った。
「ごめん。虎5-1☆の間違い」
あ〜あ、まったく。
だからさ、一瞬一瞬を大切にしようぜベイスターズ。
たそかれは金の芒の穂のむかふ 千秋
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死、相続…他人事のようにしか思えませんが、いつかは自分の身にも振りかかってくるんですね。極めてそういう事には無頓着で、今は考えたくありませんが、逃げるわけにもいきません。とにかく今は行き当たりばったりで。
2008/10/8(水) 午後 0:10
いつものように、心を少しわくわくさせながら読みます。お父さんの茶室を建てようとする心。お父さんは茶道の心得があったのだろうか。それにしても惜しい話です。小さな頃から長くつきあった人々とのつながりも、さかのぼればお父さんの少しずつの交流ときっかけ。それにしても一度お行ったことのないゆずりはらに懐かしさを感じたのです。ベイスターズの情報メールの間違いよりも、勝ち負けを一緒に喜び悲しむわが子からの電磁波がたそがれのススキの波に重なります。抜群!
2008/10/8(水) 午後 3:17
相続・お墓のこと考える歳になったんだな〜〜^^;と実感します
自分だけでなく周りでもそういう出来事を聞くようになり自分の歳を感じます(;>_<;)
仲良かった姉妹が相続争いで信じられないような大喧嘩をしたりで、ドラマや映画のようなことは現実にあるんだなぁとビックリしたり・・・
幸い私は一人っ子なのでその心配はありませんが、かわりにお墓は誰が守ってくれるの???
と、新たな心配が出てきたりもしますが、現実は現実として受け止めて考え今を一生懸命できるだけ悔いのないように生きて行こうと、調度病気をした今リアルタイムに想っています
周りの人には私もフジオさんのように温かい人だったなぁって思われていたいです〜♪
2008/10/8(水) 午後 3:58
『死ぬ前に逢った人ひとりひとりに「最後に逢った時は笑ってた」「最後に逢った時親切だった」という想いを残して死ぬことはできる。』
こんなこと考えたことなかったです…。
いいことを教えてくれてありがとう。ポチ★
2008/10/8(水) 午後 11:20
よかった、文も句も写真も。
2008/10/8(水) 午後 11:35 [ やえもん ]
私もだんだんと死というものを現実的にとらえるようになってきました。避けては通れないものです。人の最期はいろいろだと思います。最期のセレモニーも大なり小なりさまざま。私のときはどうなるのかななんて。私の最期看取ってくれる人は多いのか少ないのか、いるのかいないのか。でも最期の言葉はありがとうでありたいなって、そういう生き方をしたいなって思っています。
2008/10/9(木) 午前 11:43 [ jun ]
そんなお父さんの娘だからなぁ〜千秋は〜
こんな思いやりでつながった家族が
当たり前と思ってきたけれど
どうやら違う人達も多いということに
この年になって少しずつわかってきた・・・
2008/10/10(金) 午後 4:20
「最後に逢った時は笑ってた」「最後に逢った時親切だった」
こんな想いを持っていたいものだと思いました。人は最後の瞬間がいつ来るかもわからないですが・・・最後が近くなって走馬灯のように考える時間があったとしたらそんな想いを巡らせられるような生き方をしたい、と思いました。
2008/10/11(土) 午後 11:44
おはよう御座います。
関連記事から来ました。
ススキは秋の風物詩ですね。ポチ
2013/10/27(日) 午前 10:46