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りりこさんがいわきに帰ってしまった。
お互い初めてパソコン買ってから、昼間も会ってるのに夜中までメールしあった。
りりこさんとお話するためだけのブログが、私の初めてのブログだった。 可愛い人なのに、サラリーマンみたいなHNで変なコメントしてきた。 もう10何年も前。
面白い漫画を貸しあった。
りりこさんは「くぼたまこと」とか「西岸良平」とかサラリーマンみたいな漫画。 私は「こうの史代」とか「とりのなん子」とか学級委員長みたいな漫画。 美味しいものを届けあった。
りりこさんは「いわきの筍」だとか「とらやのようかん」だとか田舎と都会の一級品で 私は「ありあけのハーバー」とか「萩の月」とかの地方のお菓子だった。 一緒に青梅線に乗って「各駅停車の小旅行」に行った。。
「ええい、降りちゃえ!」と「ぶらり途中下車の旅」みたいにして、 電車で「揚げたてメンチカツ」を持ち帰ったりした。いい匂いが…ヤバかった(汗 本当に、本当に時々、家族のご飯を作ってから一緒に生ビールを飲んだ。
カラオケで「海のトリトン」を一緒に歌った。 一緒にすずめ拾って、一緒にめじろ拾って、 私はめじろを放したけれど、 りりこさんは「飼っちゃいけない」すずめを 離さなかった。 「ちゅんちゃん」というそのすずめは、
りりこさんが帰省しなければならなかった夏に死にかけて、 預かった私が蘇生させてしまったものだから
私のことを「一生の恩人!」と呼んで涙を流して歓んでくれた。
そんなりりこさんが、 19歳と23歳と26歳の娘さんを、こちらでマンション借りさせて残し、 「ちゅんちゃん」だけは連れて
ご主人といわきに帰ってしまった。いろいろ、いろいろあって。
子どもが独立する頃になると、今度は
もうひと山、「思うようにならない」ことがでてくるんだなよなあ。 今は携帯のメールで、 お互い2、3日のブランクのあと、短いメールのやりとりをしてます。 「こちらのお年寄りは、自分で掘った筍を、もちろん放射能の検査なんかしないで 美味しく食べちゃってます(*^_^*)」 だって。
陽炎や荷台の犬の遠ざかる 千秋
これはりりこさんと「秘密基地ブログ」で遊んでたころの句。
私の作った俳句サークルに、りりこさんはとうとう入ってくれなかった。
いつかこの句のイメージ通りの画像が撮れたら…と思っていたのだけれど。
…いまいち。
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彼の地への祈りよ春の風となれ
何年か前に行った、松島の「カモメ遊覧船」の楽しさに味をしめ、
去年の夏は、宮古市「浄土ヶ浜のウミネコ遊覧船」に乗りに行った。
松島ではカモメにあげるのはかっぱえびせんだったけれど、
浄土ヶ浜では「海猫パン」を売っていた。
髪を二つ結びにしていたアルバイト(?)の女の子が、
「海猫パン」を大量買いするおばちゃん(私)に、何か笑いながら
話しかけてくれた。なんて言葉をかわしたんだったか。
「山田線」という、海岸線を走る電車に乗った。
大槌から釜石の間のどこかで、車窓からきれいな写真が撮れたと喜んだ。
前の日の昼も晩も魚介のご馳走をいただいたから、
釜石では小さな洋食店に入った。本当に小さな店だったけれど、
予想外の美味しさで、リピーターになりたい!と思うほどだった。
「また行こうね、東北!絶対行こうね!」と主人に話していた。
やっと各地の被害情報がネットでわかるようになって、
(というかパソコン立ち上げることじたい久々なんだけれども)
あの時泊った内陸部のホテルは無事で、避難している方々に大浴場を提供しているみたいだ。
釜石の、フランス語の名前のお店が入っていたビルも、無事なのかはともかく、今は
釜石駅周辺の救助・情報拠点になっているみたいだ。
だけど浄土ヶ浜の、あの可愛い娘さんに
お土産を買ったお店の威勢のいいおじさんに
ていねいなお仕事をしていた、小さなお店のマスターに
もう逢えないのだろうか、と思う。
そんなものは「一期一会」、お互い無事だって同じかもしれない。
でも、ほんの一瞬ふれあえた人たちのために、私は祈るしかない。
そして友だちの家族のために。
毎日誰かに呼び止められる。そして「聞いて聞いて」と。
避難所のお姉さんのこと。「父方は誰も連絡取れないの…」。壊れた実家のこと。
逢ったことのない、だけど縁のある人たちのために、祈ること。
一緒に助かった犬がいる。だから避難所を転々としている。非常時に、と言われようと
一緒に助かった命を置いては逃げられないのだ。
誰も連絡の取れない父方の土地は、彼女にとって、どんなに懐かしい土地だったんだろう。
壊れた実家に駆けつけたけれど何もできなかった無念。
「自分の実家だけじゃないんだし。東京で、まじめに働いてどんどん義援金振り込むしかないよ」
人と人とのつながりを分断しようとする
抗えない大きな力に、
私はお下げ髪の女の子の笑顔に祈る。
迷惑にならざるをえない、物言わぬ命に祈る。
友だちにとって懐かしい土地の、人々の無事を祈る。
一人ひとりが自分に「縁のある」ひとりのために祈り、
その人の役に立てよと祈りながら自分のお金を振り込む。
小さな「縁」だったものが
強い「絆」になれと祈る。
「絶対に負けない」模範は、被災地の人たちが見せてくれている。
推敲しないで書きました。とにかく今の気持ちです。
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あの子なんていふ子だっけな祭髪
今頃になってもまだ夏の句を微調整している。
「あの髪をキリリと結った子、いつもはもうちょっと目立たない、柔らかな印象だったな」
この気持ちを句にするまでに、苦しんだり悩んだりしなかった分、ダラダラと時間がかかってしまった。
一シーズンくらい舌の上で転がしてみて、違和感がないものしか自分にも残らない、と思ってしまっている。
でもそれじゃあいつまでたってもブログの定期更新は無理だね(汗)困ったもんだ。
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「ああいうものを長く続けるには、思ったことを書くんじゃなくて、起こったことを書く。思ったことを全部書いてたら、そりゃ三日もすりゃバテてしまいますな」 |
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「おばちゃん、ほら」 |




