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ここから900m先、ドライバーのDさんもほっとした表情を浮かべました。 案内板は村道からの進入路にあった1枚だけ、実にお粗末としか言いようがありません。 「鍵もチェーンもありません、大丈夫ですから開けてみてください」 車の中からDさん、確かにベトナムでは入ってはいけない所には必ずチェーンや鍵が付けられています。 レールのある左の扉を押すと、簡単に開きました。 「入って、いいんですよね?」 『ビンアン虐殺遺跡案件』とでも訳すのでしょうか。 その中ほど少し下からの、拙訳です。 『(前記された事件の中で)一番悪烈な事件は1966年2月26日の午前に起こった。 ゴダイで1時間にも満たないうちに、南朝鮮軍が380人の罪なき人たちの惨殺を完了したのだ。 以下のような野蛮な形式で。 :婦女子を暴行し、終わると撃ち殺す。 :子供たちを放り投げ、火に投げ入れる。 :防空壕に降りていた人たちには手榴弾を投げて、(屋根など、家に使われている)稲わらに火を付けた…。 ビンアン虐殺事件は典型的なビンディン省における罪悪として、遺跡としてすべてに公開するものである』 【注】( )内は訳者の追記です。 事実だけに重点を置き、かなり感情を抑えた文章だと感じます。 ベトナム語は句読点だけで長文ですから勝手に文章を分割しました、ご了承ください。 訪ねた時は床に砂埃がいっぱいあって、私たちの足跡がくっきりと付きました。 慰霊碑の後ろにあるのが朝日新聞の記事にもあったモザイクの壁画です。 左の方にいる兵士の目が吊り上がっているのは、作者が強調したかったのでしょう。 兵士の肩章を拡大しておきました。 これは作者がご存じなかったのか、猛虎部隊が付けるワッペンは通常横向きの虎なのです。 火の中に投じられた少女でしょうか。 日本でも原子爆弾による犠牲者は記録に残され、いまだに亡くなった方の名前が追加記入されているはずです。 これが本来あるべき姿、記録に残すとはこういった作業を指すはずでしょう。 どこかの国では30万人の犠牲者を出したとされる『虐殺事件』が、政府首脳によって流布されています。 「戸籍制度が整っていなかったから」 これが氏名を残せなかった理由だとか。 ならば30万人という根拠は、ないに等しいとも思えてなりません。 痛ましいことです。 ここにある『NAM』は『南』、『TRIEU TIEN』は『朝鮮』の意味です。 入り口にあった表示板とともに、通常使われている『韓国』の『HAN QUOC』ではないところに注目しないといけません。 『南朝鮮』に含ませた意味を、私たちは感じ取らないと。 最後にソンミ村記念館で買った小冊子に記されていたクアンガイ省文化情報局長の言葉(拙訳)を、もう一度お読みいただきたいと思います。 これがベトナムとしての姿勢、今も変わっていないはずです。 『1968年3月16日、アメリカ軍の一部隊がソンミ村に侵入し、一瞬のうちに504人もの罪もない老人、女性、子供を虐殺しました。 18ヶ月後、この虐殺がアメリカ国内で暴露され、全世界の人たちや人間の良心に大きな衝撃を与えました。 世界中の人たちは激怒し、第二次世界大戦のオラドゥール、ゲルニカ、シェイプビル、カティン、リディチェ、広島などの野蛮な行為と比較して非難しました。 事実、ソンミ事件はベトナム人のみならず、人類のこうむった鋭い痛みの歴史として留められています。 しかしながら、伝統的に慈悲心豊かで寛大なベトナム人は、今も鋭い痛みがあるにもかかわらず、ソンミ事件は過去のものとして考えています。 現在、ベトナムとアメリカの関係は国交正常回復にいたっていますが、しかし冷戦が終わっても、世界情勢はいまだ安定したものではありません。 今、過去のこころ痛むソンミ事件を振り返るのは憎しみを甦らせるためではなく、歴史上の忘れてはならない出来事を理解しておくためであり、もっと重要なことはソンミ事件のような出来事が世界で目にすることのないよう警戒し、平和のために戦い、祈るためなのです。 これらの目的のため、私たちはこの本(ソンミ村虐殺詳史)を読者にご紹介し、平和と幸福を祈りたいと思います。 クアンガイ省文化情報局長 ホアン・ナム・チュウ(Hoang Nam Chu)』
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