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「日本の援助で建てられた学校に行きたいんです」 「いいよ、水(ミネラルウォーター)を持って行かないと」 近くだと思い込んでいる私、お父さんの助言を無視しました。 走り始めたのは農道ではなく国道(QL)1A号線を南に。 B.SON(ボンソン)とはクアンガイ省の北端にある郡の名前、デュックフォー郡は南端です。 「あ、違う」 そう思ったけど、キムチパパに任せることにしました。 学校も公的施設、ベトナムでは勝手に入ることは許されません。 キムチパパが校内に入って許可を求めている間、夏休み中でなかったらもっと子供たちの声が聞こえて来るだろうなと思っていました。 10分近く待たされたあと、ようやく男性が迎えに来てくれました。 ということは、キムチパパはまたどこかで話し込んでいるのでしょう。 「どうぞ、ご案内します」 流ちょうな英語にびっくりしました。 男性から一番先に案内されたのは校長室でもなく、教室でもなく、正面のコンコースでした。 『JAPAN』と『ODA(Official Development Assistance)』、1988年の文字ぐらいかな。 1998年に日本のODAで建設された学校は、地域住民の子供たちに勉学の場を提供することと、もうひとつ重要な意味がありました。 「同じ建物の5倍以上、セメントが使われた」 こんな噂話がまだ残っているほど。 案内してくれた男性の話によれば、翌年のこの辺りでは最悪とされた大洪水時に多くの避難民が収容され、救援活動の拠点にもなったそうです。 手前の列が一年生、次に二年生、奥が三年生だと言われても、私には区別がつきません。 「複数学級ですね」 「出席日数が足らない子たちです、午後にも同じような授業をしています」 やっぱりキムチパパはここで話し込んでいたようで、校長先生に向かってお茶の催促。 確かに私も喉が渇いていたので、お言葉に甘えることにしました。 スアン・アイ(Xuan Ai)先生、スアンとは『春』、アイとは『愛』の意味。 「日本では、きっと『はるな』と呼ばれるでしょう」 「ハルナですか、サウンド・グッドですね」 通訳の男性を通じて、とっても喜んでいただいた様子が伝わります。 日本からのODA、1年後には穴ぼこだらけになる道路や橋などと違って、15年経った今でも感謝され続けているのです。 私が自慢することでもないけれど、やっぱりいい気分になったのは仕方ありません。 おまけ。
時限を知らせるチャイム代わりに叩かれます。 |
ちょい旅
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