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カマウ省の北隣に当たり、明日行く予定のソックチャン省の南隣。 ウィキペディアには『稲作・漁業が盛ん』とありますが、海水の遡上でほぼ全域が稲作も出来なくなりました。 漁業は今も盛ん、特に海水を引き込んだエビの養殖が主力となっていて、チビのお祖父さんも早くから取り組んできたそうです。 日本資本のエビ冷凍加工会社にも出荷しているそうですから、みなさんのお口にも入っているかも知れません。 ここを訪ねるのはなんと10年ぶり、チビが1歳の誕生日でお母さんの里に顔見世するために来たのです。 予約していたホテルに断られ、ラブホテルのような怪しげな宿に家内と一泊したものでした。 二日目は何とか宿泊所を見つけてもらったけれど、もちろんこんな立派な四つ星ホテルなどは当時ありません。 十年ひと昔とは言いますが、バックリュウも発展の恩恵を受けているようです。 ベトナムの獅子舞はほとんど中華風、しばらく拝見していたけれど、やっぱりサイゴン・チョロン地区の獅子舞には及びません。 この辺りは中国文化よりカンボジアのクメール文化の名残りが色濃く残っていて、昔はクメール王朝の支配下にあったとも聞いています。 実際、中国風のお寺よりクメール風のお寺の方が多いし、キン族やチャム族の次に多いのがクメール族と資料にもありました。 獅子舞は銀行の開店祝い、私も取引している国営銀行でした。 『CONG TU』とは『公子』のこと、この地方に君臨していた日本風にいうと『豪族』でしょうか。 今はホテルとレストランになっていて、『公子』の住んでいた館が博物館のようになっています。 省の所有ですから、働いておられるみなさんは公務員なんでしょうね。 あとで集合までの時間があれば、コーヒーでもいただきましょう。 ここが公子が暮らしておられたお屋敷で、『コ』の字型になっています。 バックリュウ省の約三分の一が、代々の公子と呼ばれるお家の所有だったとか。 日本でも戦前は「ここから見えるところは、すべてわが家の土地」なんてあったそうです。 公子の土地も、きっと同じようなものだったのでしょう。 お名前が『TRAN TRINH HUY』、きっと『殿下』なのでしょう。 奥様は『NGO Thi DEN』、どちらも品の漂うお顔をされています。 姓の『TRAN』は『陳』で『NGO』は『呉』、どちらもベトナムでは由緒あるお名前です。 公子は1900年に生まれ、1974年にお亡くなりになったと表示されていました。 北ベトナム軍の『南部解放』でベトナム戦争が終わったのは1975年4月30日ですから、その1年前に当たります。 メコンデルタでも50年代から民衆の共産党蜂起があって、60年以降は大混乱だったはず。 お亡くなりになった原因はどなたからも聞くことはできませんでした、後に書籍で調べてみても不明のままです。 連発でご紹介します。 趣味のある方は、ご堪能ください。 欠けた陶器は、きっと当時ではない筈です。 接収されたのは解放後の1975年、お皿たちにたどってきた運命を聞きたくなってきました。 どれか一つを選ぶならぶら下がったランプ、ではなく、左の方にある背の高い茶壷(急須をこう呼ぶそうです)ですよね。 釉薬が信じられないほど盛り上がって、触ってみたい誘惑にかられました。 どんな花を活ければいいのか、私には分かりません。 次回は、もっと珍しいものをお伝えします。 おまけ。
何よりダイヤルが12個もあるなんて、昔は1から0までの10個でしたからね。 危なく騙されそうになりました、これがベトナムの喰えない所なんです。 |
ちょい旅
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