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右の子供さんも大きくて高価そうなツボをカメラに収めています、今からそんな趣味に頭を突っ込んでいたら、後々が大変ですよ。 これはどこのメーカーなんでしょうね、左下にエンブレムを拡大しておきました。 欧州の車メーカーを古いものからひっくり返すように検索してみても、見つけられませんでした。 これが二本で、尖った方を上にするとシトロエンですが。 公子の愛車と言いますから、2016−1974で少なくとも42年以上も前の車がこんなにきれいな姿で残されています。 コンダクターのN君に「今でも動くのですか?」と尋ねたら、館の説明員さんに聞いてくれました。 「ちょっと手入れしなければいけませんが、じゅうぶん動くそうです」 ご自分で運転されていたんでしょうか、それともやっぱり運転手付きだったのかな。 前席の窓ガラスは中折れ式、上の半分が外側に倒れるそうです。 この頃の車にしては珍しいキャンバストップですから、オープンカーにすれば自然の風をいっぱい満喫できます。 日本で最後に乗っていたスバルの軽オープン、「大事に乗ってくれよ」と差し上げた友人が昨年亡くなったけど、どうしているでしょう。 5年乗って、日本から離れて12年ですから今では17年モノとなりました。 早いものです。 後ろ姿はルノーの雰囲気もしないでもない…どこの車でしょう。 これでも自動車整備のシャーシは、二級整備士なんですよ。 オヤジが整備工場をしていたおかげで取れたバリューレスでも、基本だけは勉強させられましたからね。 タイヤも現代のものをはめています、ラジアルタイヤなんて確か1960年ぐらいに出始めたと記憶しています。 オヤッ!? オイルパンのドレーンバルブはプラスチックになっていても、ここまでは改造できませんからね。 第二次大戦で使われた軍用車は、すべて四輪駆動だったと聞いています。 民間で使われていたのは後輪駆動が殆んど、でも軍用車にキャンバストップなんて考えれれないし。 いったい、どこの車なんでしょう。 ナンバープレートも今使われている数字は4〜5桁だし、その前の数字もホーチミン市なら51〜59まで。 例えば義弟の居何回かえたバイクは『59 F1 653 60』です。 日本ならさしずめ『大 0018』だけなのかも知れません。 あれ、『0』が付いていたかどうかは忘れました。 もちろんこの車が使われていた頃にはなかったのは確か。 きっと白熱電球だったものを改造したのでしょう。 古い物を大切にしながらある部分だけでも新しくしてしまう、ベトナム人の器用さが、私は大好きです。 でも、いったいどこのメーカーなんでしょう。 ご存知でしたら、ぜひ教えてくださいませ。 【追記】 今日、親族で高校の社会科を教えている先生に聞いたところ、この車は『ハングプジョー』なのだそうです。 「フランスのプジョーなのですか?」 「いえ、ハングプジョーです」 余計に分からなくなってきました。 でも、公子には4人の奥さんがあったことや、そのほかにもたくさんの愛人がいたこと、その愛人の中の一人はサイゴンの『水売り』をしていた人の娘を一目ぼれだったとか、逸話はいっぱいあるようです。
酒席でのお話ですからどこまでが本当か、確認してからまた記事にしたいと思っています。 |
乗り物百態
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