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以前はスーベニアショップのある所がロビーへの入り口でした。 なぜ知っているか、『バックリュウ公子』の記事に書いた「予約していたホテルにドタキャンされた」というのがこのホテルなんです。 チビが一歳の誕生日にバックリュウ省に初めて来た日、急に省の共産党会議が開催されて満室状態。 「どこかホテルを紹介してください」 「外国のかたが泊まれるホテルは、カマウ省にまで行ってもらわないといけません。私たちも突然のことで困っているんです。どうか親戚のお宅に泊まっていただくか、カマウにまで行ってしか方法がないんです」 当時はまだ外国人の宿泊に関しては、いろいろと制限があったものでした。 今はもうパスポートを預けて公安に届けを出すなんて、七面倒くさいことはしなくて済みます。 エントランスへの通路には『宿泊客以外、進入禁止』の掲示がありました。 ひと言ぐらい、11年前の嫌味一つぐらい言ってやらないと。 無視して入って行きました。 「実は……」 さんざん言った後で、相手は持ち主の共産党ですから仕方ありませんよねと、ちゃんとオチだけはつけておきました。 「失礼しました。二階や客室はご案内できませんが、どうぞオープンエリアならご覧になってください。それと、私は撮らないでください」 ちょっと遅かったですよ、あとで写真は加工して顔は分からないようにしましょう。 この棟は公子のお客様が宿泊していた、いわば『迎賓館』に当たります。 調度もフランス風の高級品ならば床も総大理石張り、わが家みたいな大理石風タイル張りではありません。 さすがフランス留学もした公子、ここに泊まりたかったなぁ。 もちろん昔はなかったそうです、これも共産党のセット替えなんでしょうか。 この椅子も猫足になっているから、アールヌーヴォー調かな。 とにかくプレイボーイでならした公子、最初の奥様は留学中に知り合ったフランス女性だそうです。 生涯に四度結婚されて他に愛人も多数、子供は数知れずの艶福家だったとベトナム版ウィキペディアにありました。 まさか主人が客人が寝泊まりしている館にまで来て、なんてことはあり得るのかな。 とにかくどれも猫足、活けられているのはどれも造花などではありませんでした。 ちょっと探してみます。 ここだってやっぱりフロアは大理石、客室はすべて二階でした。 時間があってコーヒーを飲むならここでしょう、でも誰もいない。 客室は十だけの小さなホテルでも、四つ星よりずっと趣きがあります。 いただいた名刺にあった携帯の番号に電話して、アウトサイドからありがとうを述べました。 「またバックリュウに来られる節は、ぜひメールか電話でご予約ください」 「ダブルベッドで、一室いくらでしょう?」 「すべてツインになっていて、75万ドン(¥3750)です。小さなホテルですので、お断りしないといけないこともあります。今度は他のホテルをご紹介しますから」 「ああ、隣のバックリュウホテルですね?」 「イエス」 もちろん家内やチビもいて何事かと聞いたら、この方がバックリュウ公子のお孫さんだと言います。 あんまり品のなさそうなお顔をされていた(失礼)ので、眉唾物だなと思いながら遠目から眺めていると、近づいてこられて「日本人ですか?」と聞いてこられました。 きっと家内が告げ口したのでしょう。 その時は公子に四人の奥様や、たくさんの愛人がいたなんてまだ知りません。 それにまだお孫さんだなんて信じられなかったのは、写真にあった公子を思い浮かべるだけの相似点がなかったからです。 こんな長い記事を正確に読むには、私のベトナム語力では2〜3時間はかかりそう。 『11万ヘクタールと10万ヘクタールやバイクのピアジオ』の数字と文字だけは読めます。 掲載されている写真は、ずっと若い頃の彼に間違いありません。 ここは家内の出番です。 聞いていると、日本の『農地改革』で広大な農地を失った豪農たちの話と重なって来ました。 「今乗っているバイクは、ホンダですか?」 「バイクなんてありません、いつもここまで歩いて来てみなさんに話を聞いてもらうんです。小さなエリア(土地)さえ、革命解放後は私にはありません。お話代をいただいて暮らしています」 貰ったコピー紙を返そうとすると、受け取ってもらえません。 持って帰れと言います。 財布の中にあった十ドル札を、代わりに渡しました。 サンキューと言って握ってくれた手は、私のゴツゴツした手と違って柔らかでした。 おまけ。
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ちょい旅
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