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今は渋滞で、デタム通りまで行くのにわが家から1時間はかかります。 『サイゴン ニューラン』とググってみたら出るわ出るわの写真、その中で新しそうなものをお借りしました。 この店は中にテーブルが10卓ほどあって、すぐに食べられるのも特徴。 歩き疲れた観光客のオアシスでもあり、価格は周辺よりも高いけれどもサイゴンの味を楽しめる店でもあります。 中でも一番人気はベトナム名物にまでなってしまった『バインミーティット』で、私も79年から80年の7か月滞在した時に何度食べた事でしょう。 ホテルでは三食付きなのに、だんだん同じような味だと飽きが来ますからね。 この店と、滞在していたパレスホテルから歩いて5〜6分ほどの中華料理店『タイナム(西南)』で焼飯と焼きそばにはお世話になりました。 朝早くはこんな屋台で買えます、これは朝の7時半過ぎ。 フォーの屋台はたいてい人の集まるところ、バインミーを商うのは学校周辺やゲリラ的に出店するのが多いようです。 それほどベトナム人にとってはポピュラーな食べ物なのです。 小型のバケットの横から『ハサミ』で切り込みを入れて、ハムや生野菜、パテなどを挟んで店独特の調味料をかけるのがバインミーティット。 コーヒー文化とともに、なぜかフランス統治時代の遺産とされています。 輪切り唐辛子も、私は食べる直前にこれは取っておきます。 それでも十分に辛い、これが私にはちょうどなのです。 情報源はセオム(バイクタクシー)のLiem、最初の写真の時に書いた通りに『デタムのニューラン』に行きたいと言った時です。 「ニューランなら、ハイバーチュン通りに出来てるぞ」 私がサイゴンにいた当時はベトナム戦争後まだ4年で小麦粉を定期的に入手する事は困難な時代、建設現場のサイゴン港から国連の白いトラックが砂糖を積んで走ると袋めがけて手鉤でアタックするのを何度か見ました。 こぼれた砂糖を、それこそアリが群がるようにしてかき集める姿を眺めたものです。 そんな中で数量限定でも毎日フランスパンを焼いて販売するニューランには、きっと解放軍(ベトコン)とつながりがあると噂されていました。 本当のところは分かりません、当時のオーナーはもう亡くなっていますから。 ここがそのハイバーチュンに出来たお店、家内も義弟たちも知らなかったのです。 それに、ここではパンを焼いていない様子。 あの香りはベーカリー独特ですからね、きっと本店で作ったものをここで売っているのだろうと思いました。 画像を乗せようかと思いました、でもあまりみなさんにはなじみがないのとグロ過ぎるかなと…。 冠婚(葬祭にはあまり見かけません)時によく供される子豚の丸焼きは、この店が一番と言います。 店にあったこの画像だけで、逃げておきますかね。 他の店や屋台では廃棄された上質紙の書類を切って包装紙にしています、やっぱりニューランの誇りでしょうか、個装紙にも店名がありますね。 他のベーカリーでは12000〜15000ドンなのにここでは25000ドン(¥125)、高いのは当然かな。 他店のバインミーティットと違って、ずっしり重いのです。 まだ透明の袋に入ってる、これはちょっと過剰包装かななんて思ったり。 いっただきま〜〜す、おお、花付きニラも入ってる。 懐かしい味とともに、ちょっと昔話を。 私がホーチミンにいた79〜80年の米ドル-ベトナムドンの交換レートは1$=11ドン、闇だと13〜16ドンでした。 今は1米ドルが23000ドンほど、どれほどのインフレがあったか分かりそうなものです。 店のフォーが1〜1.5ドンの頃に、ニューランのバインミーティットは2ドンでしたから今とほぼ同じ格差でしょうか。 ドンの下に補助通貨としてスー(Xu)があった事を知る人も少なくなりました。 ベトナム戦争が終わっても79年2月に中越戦争が始まったし、79年1月にはカンボジアのキリングフィールドで有名なポルポト政権を追い落とした『カンボジア侵攻』の最中ですからインフレ圧力は大変なものだったろうと思います。 もっと書きたい事はあるけど、ここまで。 食べたのは11時前、もう昼ご飯は欲しくなくなりました。
あの頃は2個食べてもまだ昼ご飯は食べられたのに…これも年齢ですかね。 |
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