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何かきっかけがないと昔の写真なんて見ないし、ちょうどいい機会だだからご紹介してみましょう。 これはわが家から北にある大通り、空港からホーチミン市中心部に行くにはこの道を通らないと行けません。 回り道や抜け道はあります、でも一直線ならこの道。 左に公衆電話ボックスが見えますね。 ベトナムでも携帯電話が爆発的に広まったのはこの少し前、まずシンガポール系の公衆電話会社が撤退して、残っていた地場系の会社もこの波には耐えられなかったのでしょうね。 今は1社もありません、携帯電話のバッテリーが切れたら一巻の終わり。 四輪車が圧倒的に増えた事、お分かりいただけるでしょうか。 道幅が拡張されて双方の舗道に街路樹が植えられ、中央分離柵も出来ています。 この柵が不便で仕方がない、横断歩道があるのは運河の橋から500メートルほども歩かないといけません。 交通量も爆発的に増えたから、仕方がないのかも知れないけれど。 日本円なら…政権交代後で円安に振れて1ドル125円ぐらいだったかな、バイクタクシーもまだずいぶんと安かった時代です。 レギュラーがなくなったわけではありません、バイオ燃料が添加されての販売を義務付けられたガソリンが評判悪いだけ。 今は1ドルが23000ドンを少し割る程度ですから95セントほどかな、日本円だと今朝のレート110円ほどでしょうか。 原油価格が高騰した時の政府の補助が縮小されて、今ではほとんどないはずでこの価格なんです。 日本は高過ぎじゃありませんかね、産油国でも自国の消費は賄える量はまだ確保できていない中でですよ。 いくつかの不祥事を起こしたからでしょうか、この写真から1年も経たない間に閉鎖されました。 この先100メートルほど西にバス停があって、反対の100メートルほど東が露店街。 酷暑の中で露店街をぶらつく前に「お邪魔しま〜す」と入ると、冷たい蓮茶をサービスしてくれたものでした。 三菱というだけあって、日本人には優しい店だったのに。 お茶をサービスしたせいで閉店に追い込まれたわけではないと思います、念のため。 来た頃は12%以上で、銀行に行くとよく言われたものです。 「ベトナムドンに替えて定期預金にされたらいかがですか。○○億ドン以上を定期にしていただくと、プレミアムで1.5%追加しますよ」 その頃の消費者物価指数(CPI)はそれ以上でしたから、外貨で持っている方が絶対安心でした。 今朝の金利は12か月物で6.4%、米ドルや日本円は金利ゼロ。 一番右にあるレートは日本ではなじみのない金預金、すなわち金地金を預けておくと1年後には5%増えるというシステム。 需給の関係で東南アジアでも金地金の価格は高い方の国、確かに街中にも金地金を扱うお店がたくさんあるのも東南アジアと同じ特徴。 店頭に『本日の価格』なんて売買価格の数字が並んだ店は、サイゴンのあちこちに見かけました。 法律の改正で金地金は許可された店でしか扱えなくなったのは何年前でしたか、でも闇に潜っただけなのはご想像通り。 家内、1枚37.5グラム(ベトナムではこれを1テールと呼びます)をお持ちです。 本人はヘソクリらしいけれど、ベッドの下に置いてあれば掃除する私にはすぐに分かるのに。 もちろん写真を撮った後は、元の場所に。 夫婦の間にも不可触領域は存在します。 今はもうペットボトルとアルミ缶が全盛、義弟の店でもガラス瓶に入った飲み物はありません。 「だって割れるし、デポジット料金なんて面倒な事、誰もしたくはないよ」 あまりこの方面は、先進国並みになって欲しくはないけど。 |
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先日接近した台風1号(日本では4号:アジア名イーウィニャ)がちょうど大潮の時期に重なってこんな事態に、義弟7は電話で事情を知っていたのに私たちには何も言わず。 「だって、最近は年に一度は起きるから」 そう言えば初めてベンチェーに来た時、メコン川の水量が上流国家に複数のダムが出来てから減って、米作が難しくなったとは聞いました。 海水の塩分が遡上して、この一帯では椰子やカカオの他に養豚に主力を変えつつあるとも。 今はもうソクチャン省に行っても川岸にチラホラしか高床式住居は見かけなくなりました、一方新しくメコンデルタを開墾したキン族(狭義のベトナム人)はレンガ造りの家。 今回の洪水は床面までは届かず、「放っておけば元通りになる」のだそうです。 私が歩くとサンダルが沈むのに、野鳥はいいですね。 小魚を探しているそうです、あれ、もう干魚になってるはずだけど。 私たちが来るからと、砂を入れてくれていました。 手前は塩分に強いとされているブーイの木、いくら強いと言っても「1週間以上浸水すると持たないよ」なのだそうです。 「今回は大潮と高潮が重なっただけだから、3日で引いた」 ずいぶん葉が茶色くなっています、洪水も『試し』なのだそうでした。 元気で大きくなっています、でも毎年何度か来るのにその都度通過儀礼をしなくてはいけないのはなぜなんでしょう。 フウリンブッソウゲ、これからが時期です。 3つだけ咲いていました。 この実は食べられます、薄味の梨風味です。 帰りのお土産候補、ナンバーワン。 ここには8頭の子ブタ、私が近づくと全員集合。 8頭も生まれて、子だくさんの親豚ですねと言ったら…。 「ブタは10頭以上生んでくれないと、笑えない」 つまり、うれしさも半ばという事なのでしょう。 子供も一緒にお手伝い、微笑ましい光景ではありませんか。 「あの子、帰りには荷台に乗って帰るよ」 それでもいいじゃないですか、私だったらこの荷台に乗ると昔氷屋さんのリヤカーに乗せてもらった思い出が蘇えりそう。 さて、昼ごはんの準備、応援しなきゃ。 |
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Win10にしてからアップデートをするたびに何かと不都合が起きてきたけれども、重要で緊急らしいから、いろんなソフトが動作中でもすぐデータバックアップ。 今回のアップデートはかなり長くて、スタート画面が再表示されるまで2時間半もかかったのです。 いや〜な予感が的中、ファイルエキスプローラを開いてデジカメの映像データを見たらこの有様。 それに大昔のロータス1-2-3から引き継いできたエクセルも、データは引き出せて表示するのに入力すると勝手に落ちてしまう。 こりゃいかん、何とかしないと仕事に関するデータや日記などのわが財産が…。 いったんPCから今まで使っていたパーソナルのセットを削除して、これを再インストールしました。 ワードや(今はもう使わない)アウトルックは動くのに、エクセルは削除する前と同じく入力すると消えてしまいます。 ここまで一連の作業は逐一デジカメに撮っておきました、ソニーのサービスセンターに行ったらこれを見せると説明が半分で済む事は体験済み。 これは内緒の話、パワーポイントは町のコピー屋で買った5万ドン(¥250)のパチ物。 この際最新の正規版を買っておこうかと思って、何度もご紹介しているPCショップに出かけました。 古くたって正規版、サイゴンのCD屋にはいっぱいコピー物の廉価版Win10が出回っているのに。 これが200万ドン(1万円)、この7月から公務員の最低賃金139万VNDに引き上げられたばかりの国で、ですよ。 でもこれで私とチビ、それに大学生の姪っ子が使えればその分安くなると自分に納得させます。 え?CDもDVDも、入ってない。 これだったらわざわざPCショップに出かけて買う事もなかったし、今まで何度も「バージョンアップのご案内」が来た時に、素直に応じていればよかった。 そうすれば半額ちょっとで済んだのに、後悔してももう遅いですよね。 Wifiのルーターを更新した時に、はがき大の案内書が入っておりました。 やはりこれと同じ、『このアドレスに…』って。 ネットに繋がないと認証・登録しないと使えないのに、どうするんやってボヤいた事を思い出しました。 きっと画面構成やアイコンがずいぶん変わるしなぁ、でも仕方がないから英語を選択。 もちろん入力や読み出しは日本語で出来ます、それだけは会社のPCで確認済みです。 これでひと安心、次はデジカメの画像データです。 ファイル名の『DSC3201』から『DSC3330』まで、この画面だけでも129枚飛んじゃってる。 他にもあちこち同じことも起きていて、なくなってしまったのが総数で300枚ほど。 次のブログ記事用にと思っていた写真がほとんどアウト、ぐやじぃ。 何とか再生できないかと、ハードディスクからデータ再生をしてもらった事のある専門家に電話したらけんもほろろ。 「あなた、SDスロットに何度もカードを抜き差ししませんでしたか?」 「はい、(写真の番号が)文字化けしているからおかしいなと思って、何回か」 「PCとカードがアクセスしてしている間に抜き差しすると、内部破壊が起きてもう使えません」 抜き差しした時には、タスクバーでPCが認識していないことを確かめたのに。 確かにこのカードをデジカメに入れて写真を撮ると、『メモリにセーブできません』と表示されました。 これは…私が悪いんですよね、でもなぜファイルエキスプローラが動かなかったのか、疑問は残りますけど。 やっぱりアップデートは大嫌いだ。 PCの起動も購入して必要なソフトを全部入れた後でも15秒でした、さすがソニーのバイオだ、インテルのi7だと思っていたのに。 それが度重なるアップデートした今では1分半もかかります。 電源を入れてトイレに行って戻るとちょうどいい加減、まだ3年ぐらいしか使っていないのに例のタイマーが働き出したのかな。 画像のないおまけ。
大学生の姪っ子に、オフィスの正規版を買ったから入れるかと声をかけました。 「私のPCはウインドウズもオフィスもみんなコピー物、アップデートを停止してウイルスバスターを入れてるから必要ない」 ベトナムでウインドウズのインストールされたパソコンが売れない理由、マイクロソフトさんご理解されてますかね? |
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今年の旧暦4月30日は、新暦だと5月29日でした。 多少の期待はしていたんです、でもやっぱりお寺での儀式だけで終わったみたいでした。 ホーチミン市11区にあるダムセン公園では、佛誕祭の時期になるとお釈迦様ゆかりの蓮をイメージした灯りが池に浮かべられました。 ダムセンとは蓮池の意味、本物の蓮もいっぱいあるけど、やっぱり雰囲気が違います。 今年も開催されていたのかは不明、メディアでは各地方での賑やかな様子は伝えられていました。 後ろに立っておられるのがお釈迦様のお母さん、マーヤーとされています。 『釈迦はマーヤーの脇の下から生まれた』という話と、『生まれてすぐに7歩だけ歩いて、右手で天を、左手で地を指し、天上天下唯我独尊と唱えた』という伝説があるのはご存知ですよね。 その有名な場面を再現したものでしょう。 ここは同じホーチミン市でもずいぶんとサイゴンから離れた場所、もしかしたらと聞いてみたけど大掛かりな催しはないそうでした。 わが家前のお寺はホーチミン市でも5本の指に入る名刹、その裏手に集合したのは花電車ならぬ花自動車です。 公安(警察)が四輪車の通行止めをするぐらいに有名な行事、毎年行われていた行事とききました。 わがファミリーみたいに熱心な仏教徒でもない私だって、毎年盛り上がっていたそうです。 小さいものは軽四輪ほどのトラックから大きなものは4トン車ほどでしょうか、市内巡行のスタートをここで待っていました。 練り歩くのは中心部、練り歩くという表現はおかしいですかね。 夜の10時ぐらいまで、この行列は続くのでした。 交差点には警官が出て赤信号でも進めます、それほど市も公安も協力を惜しまない行事だったのです。 ただこの年の佛誕祭は風邪が強くて、アドバルーンがメインストリートに落ちかけて交通がストップしてしまい、公安から大目玉を食らったという笑い話もあります。 上流にあるクメール寺からは運河に蓮の形をした灯篭流しも行われ、たくさんの川面に揺れる灯りが幻想的でした。 これも河川局から『控えるように』とのお達しで、年ごとに減ってきて去年には見かけなくなりました。 旧暦の15日ですから満月なのは当然、満月と佛誕祭が重なる日はお寺では『鳥屋』がいくつもの籠に入った鳥が準備されています。 日本でも蛍や金魚を放つ行事はあったと思います、考えてみればこれもおかしな行事なんですけど。 そう秘かに思っていたら、これだってお寺が『推奨できない』となって下火になりました。 義弟に言われたとおりに水溶き米粉をそばに置いていても、何日かすると埋めてやらないといけなくなったのでした。 この行事は止めて正解かな。 お寺に向かって手を合わせた後、魚を放流する姿がありました。 持っていたスマホで撮ったけど、ちょっとズームアップし過ぎましたかね。 でも、部屋に戻ってデジカメを取って来たら間に合いませんから通話を切ってシャッターを。 チョー(市場)には生魚もたくさん売られているサイゴン、これならまだ許せるかなと思ったりしました。 でも…ですよ、この運河で生き延びられる魚だといいけど。 上げ潮に乗ってゆらゆらと二つの蓮灯篭が、名残りの佛誕祭を演じていました。 歴史が消えてゆくのを目の当たりにするのは、淋しいなぁ。 悔しいおまけ。 裁判が始まって否認に転じてからは、殺人以外に幼児暴行まで伝えられ始められたのです。 日越関係をおもんばかっての事でしょうが、事実が伝えられると風向きがもっと悪化してきたように感じます。 「インドと変わらないじゃないか」 リィ・ティ・ニャット・リンちゃんのニャットとは日本の事なのを知る人は少ないでしょう。
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今は渋滞で、デタム通りまで行くのにわが家から1時間はかかります。 『サイゴン ニューラン』とググってみたら出るわ出るわの写真、その中で新しそうなものをお借りしました。 この店は中にテーブルが10卓ほどあって、すぐに食べられるのも特徴。 歩き疲れた観光客のオアシスでもあり、価格は周辺よりも高いけれどもサイゴンの味を楽しめる店でもあります。 中でも一番人気はベトナム名物にまでなってしまった『バインミーティット』で、私も79年から80年の7か月滞在した時に何度食べた事でしょう。 ホテルでは三食付きなのに、だんだん同じような味だと飽きが来ますからね。 この店と、滞在していたパレスホテルから歩いて5〜6分ほどの中華料理店『タイナム(西南)』で焼飯と焼きそばにはお世話になりました。 朝早くはこんな屋台で買えます、これは朝の7時半過ぎ。 フォーの屋台はたいてい人の集まるところ、バインミーを商うのは学校周辺やゲリラ的に出店するのが多いようです。 それほどベトナム人にとってはポピュラーな食べ物なのです。 小型のバケットの横から『ハサミ』で切り込みを入れて、ハムや生野菜、パテなどを挟んで店独特の調味料をかけるのがバインミーティット。 コーヒー文化とともに、なぜかフランス統治時代の遺産とされています。 輪切り唐辛子も、私は食べる直前にこれは取っておきます。 それでも十分に辛い、これが私にはちょうどなのです。 情報源はセオム(バイクタクシー)のLiem、最初の写真の時に書いた通りに『デタムのニューラン』に行きたいと言った時です。 「ニューランなら、ハイバーチュン通りに出来てるぞ」 私がサイゴンにいた当時はベトナム戦争後まだ4年で小麦粉を定期的に入手する事は困難な時代、建設現場のサイゴン港から国連の白いトラックが砂糖を積んで走ると袋めがけて手鉤でアタックするのを何度か見ました。 こぼれた砂糖を、それこそアリが群がるようにしてかき集める姿を眺めたものです。 そんな中で数量限定でも毎日フランスパンを焼いて販売するニューランには、きっと解放軍(ベトコン)とつながりがあると噂されていました。 本当のところは分かりません、当時のオーナーはもう亡くなっていますから。 ここがそのハイバーチュンに出来たお店、家内も義弟たちも知らなかったのです。 それに、ここではパンを焼いていない様子。 あの香りはベーカリー独特ですからね、きっと本店で作ったものをここで売っているのだろうと思いました。 画像を乗せようかと思いました、でもあまりみなさんにはなじみがないのとグロ過ぎるかなと…。 冠婚(葬祭にはあまり見かけません)時によく供される子豚の丸焼きは、この店が一番と言います。 店にあったこの画像だけで、逃げておきますかね。 他の店や屋台では廃棄された上質紙の書類を切って包装紙にしています、やっぱりニューランの誇りでしょうか、個装紙にも店名がありますね。 他のベーカリーでは12000〜15000ドンなのにここでは25000ドン(¥125)、高いのは当然かな。 他店のバインミーティットと違って、ずっしり重いのです。 まだ透明の袋に入ってる、これはちょっと過剰包装かななんて思ったり。 いっただきま〜〜す、おお、花付きニラも入ってる。 懐かしい味とともに、ちょっと昔話を。 私がホーチミンにいた79〜80年の米ドル-ベトナムドンの交換レートは1$=11ドン、闇だと13〜16ドンでした。 今は1米ドルが23000ドンほど、どれほどのインフレがあったか分かりそうなものです。 店のフォーが1〜1.5ドンの頃に、ニューランのバインミーティットは2ドンでしたから今とほぼ同じ格差でしょうか。 ドンの下に補助通貨としてスー(Xu)があった事を知る人も少なくなりました。 ベトナム戦争が終わっても79年2月に中越戦争が始まったし、79年1月にはカンボジアのキリングフィールドで有名なポルポト政権を追い落とした『カンボジア侵攻』の最中ですからインフレ圧力は大変なものだったろうと思います。 もっと書きたい事はあるけど、ここまで。 食べたのは11時前、もう昼ご飯は欲しくなくなりました。
あの頃は2個食べてもまだ昼ご飯は食べられたのに…これも年齢ですかね。 |



