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「あ、行き過ぎてる。ストップ!」 この給水タンクが私の目印になっていて、ちゃんと住所も目的地も告げておいたのに発音が悪いとよくこんな事があるんです。 急に右に付けられませんから、タクシーを降りたのは給水塔を少し過ぎた所でした。 ただし渋滞になればここにもバイクが、今回は正対しながら歩きますから大丈夫。 でも逆走してくるバイクは当たり前ですから、耳はそばだてていなければいけません。 正門近くで、振り返って撮りました。 正門左に学校の歴史を書いたプレートがあるんですけど、書かれている文字がフランス語でさっぱり分からないからパス。 私がこちらに来た年に生まれたチビはもう8年生、10年生が高校生ですからもう進学を考えなければならない年頃になりました。 「ユンボン(私の事)、コボン(家内の事)ニ、マリクリ イキタイト イッテクレルカ?」 どうやら友達と一緒に行きたい高校が、『マリクリ』のようでした。 もちろん私立の高校ですから、公立高校と違って授業料はかなりの割高になります。 それを子供ながらに心配していたのでしょう。 中庭だけなら入っていいし、写真も大丈夫だそうです。 中庭の奥が学校の入り口でしょうか、その前に胸像がありますね。 どうやら女性のようです、近付いて見ましょう。 『MARIE CURIE 1867−1934』とあります。 英語読みでは『マリー・キュリー』でもフランス語読みでは『マリ・クリー」だそうですから、ベトナムで『マリクリ』と呼んでもおかしくはないのです。 私も最初は「何、それ?」と聞き返したものですけどね。 ご存じの通りマリー・キューリーは放射能の研究で1903年にノーベル物理学賞、1911年にはラジウム・ポロニウムの発見で化学賞と、どこかの国だかだと悔しがりそうなダブル受賞をされています。 1918年開校ですから、二度目の受賞をされてからの事ですね。 インドシナ提督によって設立された当時はフランス人の女性と裕福なベトナム人だけを教え、学生たちはすべてフランス語で授業は行われたとベトナム版ウィキペディアにありました。 1941年から日本軍がベトナムへ進駐した時、この建物は接収されて日本人専用の病院になっていたとも書かれていました。 1975年の南北統一後はベトナム南部唯一の私立女子高校となって、幾多の女傑を輩出したのは私の独り言。 今年の初めに文化教育省が『週に1〜2度はアオザイを着るように』との通達を出したものの、チラホラと見かけるようになった程度です。 華奢でなで肩のベトナム女性に似合うアオザイ、現代の若い女性には…。 わがチビだって、絶対着こなせません。 もう少し奥に行こうとしたら、警備員さんから笛。 ずっと監視されていたみたいでした。 私立高校ですから許可があった中庭以外は進入禁止、ここまで許してもらえただけでも感謝ですかね。 公立の高校にはだんだんとエアコン付き教室が増えているのに、入学したら寄付金攻撃でしょうか。 木製の鎧窓が歴史を感じさせます。 決して先生が教えるのではないでしょうけれど、「いただきマンモス」や「マンモスラッキー」なんて言葉を覚えてくるのには閉口して別の学校に行かせるようにしました。 帰ってから家内にそれとなく『マリクリ』の情報を聞いてみる事にしました。 「昔はよかったけどね、私たちのあこがれの的。男女共学になってから、いい先生は公立高校に変わ移ってるらしい」 大学合格率もすっかり様変わりして、伝統のある有名校も散々な評価をされいてびっくり。 これはまずチビがどんな職業に就きたいのかを聞いてから、話を進めなければいけないようです。 揮毫はあの杉さま、杉良太郎氏です。 ベトナムでは9月が新学期、高校入試までちょうど2年。
家内と3人で、よく考えてみましょう。 作戦は、あります。 『マリクリ』はホーチミン市でたった3校だけフランス語が第一外国語になっている高校の一つ、これを使えば案外敵は簡単に落とせそうな予感。 |
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2017年03月19日
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