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女傑記念館

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朝の宴会中に降り出した雨で気勢は削がれたけれど、予定通りに出発しました。
ベンチェー省出身のドライバーも第7義弟もまだ知らない記念館、それもそのはず完成していくらも時間がたっていないからです。
私なら出発前に確認しておくのに、やっぱりそこはベトナム人というか、地元という過信があるのでしょうね。
幾度か道を間違えて、ようやく到着しました。
結構広い敷地を使った記念館なのですね。



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入り口の門扉がすべて閉まっています、中に入らないと駐車場がないのに。
地元出身の責任者である第7義弟とドライバーが一緒に、中に見える警備員に話を聞いてみようと言います。
私も車を降りて、様子を拝見。



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警備員に声をかけるまでもなく、これを見ればすぐに分かるのに。
午前中は7時から11時まで、午後は13時から17時までが開館時間と表示されているじゃないですか。
今は11時を少し過ぎた時間、2時間も待たないといけないのか。

義弟とドライバーは盛んに『日本、日本人』を繰り返しています、ああいつもの手だわ…。
そのいつもの手が通って、『特別に12時から開けるからその間に昼ご飯を食べて来るように』と指示されたようです。
『日本人』をフルに活用なんて、私はずっとサイゴン暮らしをしているのに、いつまで通用するのでしょうかね。



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約束通り12時に開けてもらって入館、また雨が降り出したのでちょうどよかった。
案内は若い男性、昼ご飯は食べましたかと聞いてみました。
「食べたけれど、昼寝はしていません」
ベトナム語で問うたのに、返って来たのは日本語でした。
ベンチェー省にもたくさんKCN(工業団地)が出来て、外国語のできる若い人が戻ってきているんですね。



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正殿の中央にはやっぱり『女傑』の胸像、いつものパターンです。
みんなと一緒に竹ひご線香を3本ずつ、お供えしました。



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『女傑』とはこの人、名前はグエン・ティ・ディンと言って、ベトナムの近代史を学んだ人ならよくご存知かと思います。
南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の前身であるベトミンに若い時から参加して、フランスやアメリカ相手に戦ってきたから『女傑』と私は呼称しています。

ベトナムの女性闘士としては、パリ和平会談で活躍した北ベトナム外相だったグエン・ティ・ビン女史が世界的に有名でした。
ヘンリー・キッシンジャーとレ・ドク・トの事前協議については既述しているので、この記事では触れずにおきます。
ベトナムの近現代史ではこの二人が突出していますかね、他にもフランスやアメリカの統治に反旗を翻して立ち上がった女性はあまたで、このブログでも何人かご紹介してきました、でもこの二人は別格でしょう。



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退役後のお写真は肩章をご覧ください、筋なしの金地に星が一つありますね。
以前長文でご紹介したボー・グエン・ザップ元帥は星が三つでした、そうなんです、グエン・ティ・ディン女史は少将まで上り詰めたのです。

ここからの『』内は旅行前に買った『長髪の戦士』という本からの抜粋、ベトナム語からの拙訳です。
『1987年4月19日ベンチェー省の農家に生まれ、1992年7月19日没。
1940-43年のフランス植民地時代の政権によって逮捕投獄され、その間に夫と子供を失なった』

ベンチェー省は、南ベトナム解放民族戦線の発祥地としてよく知られています。
1940年11月にベンチェーを含む南部18省から一斉に反仏運動が起きた事件はほどなくフランス軍に鎮圧されたものの、今もこれをたたえられて解放運動の始まりとされているのです。
わが家から200メートルほど北に走る幹線道路にはナム・キー・コイ・ギア(Nam Ky Khoi Nghia/南圻起義)と名付けられ、今もこの運動をたたえられています。
もちろんグエン・ティ・ディン女史も参加して、指導したのでした。

ユーチューブ『https://www.youtube.com/watch?v=giPbVh3ncHg&list=WL&t=127s&index=40』のスタートから約40秒後に、現役の『将軍』として登場されています。
時間のある方は是非ご覧ください。
正しくは少将です、他にもファン・バン・ドン元首相など当時の指導者層の顔も見られます。



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『国民解放戦線の副指揮官として、「戦争で革命的な最も重要な南部女性」と言われていた。さらに、彼女はスパイと南ベトナム政府軍と米軍との戦闘に従事していた長髪軍として知られている南部全女性勢力の指揮官だった』

これはベトナム戦争時の記述、サイゴンの拠点に『パン店』とあるけど、まさかあの『ニューラン』ではないでしょうね。
当時の写真、長髪軍とは女性だけの『銃も爆弾もない軍隊』を差すようです。
つまりスパイなどの諜報や連絡などを担っていた、という訳でしょう。



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ホンダCS90ではありませんか、私も一時乗っていたバイクがこんな所にありました。
『サイゴンから西隣のカンボジア国境沿いにある激戦地だったタイニン省(クチトンネルの近く)に連絡将校として赴任していた当時に、実際に使われていたHONDA』
パネルにはそう書かれていました。

裏側も回って見ました、両側とも燃料タンクの膝パット(ゴム)がありません。
それに…ホンダのウィングマークが、私の乗っていたCSとは違うような気がします。
定かではないので確認してみたら、輸出仕様はこのマークが使われていたみたいですね。



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フェデル・カストロとのツーショット、いかに昔の事かお分かりになるでしょう。
ベトナム戦争のアメリカは、現地ベトナム女性に敗北した。
終戦から何度もささやかれてきた逸話、こうした裏話を振り返ってみるのもいい時期かも知れません。



おまけ。
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この記念館でも火炎樹が満開でした。
これが散り始めると子供たちは新学年、夏休みも終わります。



おまけ、その2。
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私のお土産、決して日常に使う事はない安い記念品です。
日本から来られた人が気に入ったら持って帰られます、それでもまだ20数個残っているかな。

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