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2018年07月

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お土産交換

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出会いは初めて義弟の実家に来た時、ちょっと散歩と言って1時間ほど歩こうとした時の事。
昔はグーグルアースだってこんなジャングルの中は『表示できません』と出るし、どこに行っても土地勘がいいと自慢する人間ですから。
時計を見ながら30分経ったら引き返そうと思って、何を見たいとも考えずに長兄さんの家を出ました。
ところがいくら歩いてもほぼ同じ光景、当時はコンクリート舗装もされていない地道。
ある三叉路でどちらから来たのか、恥ずかしながら分からなくなってしまったのです。

この辺りはほとんどが農家、家を見つけて声をかけても返答がありません。
その中で1軒だけ吠えられた犬を叱りに出てきたご主人がいて、事情を話すと笑いながらカブに乗せてくれて長兄さんの家まで送ってくれたのでした。
それからというもの、長兄さんの家に行くたびに日本産の何かとタバコをもってご挨拶に、これが恒例行事になっています。



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目印は8本のバナナ、この木はこれからたくさん実を付ける事でしょう。
他の7本はもう刈り取ったのですかね、葉しかありませんでした。
バナナは地下茎で増えます、もういくつかの幼木が生えていました。
これが大きくなるとその7本は燃料行き、バナナは捨てる所がありません。



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ブーイ(ザボン)の向こうにミッツ(ジャックフルーツ)が大きくなっています。
ここで気付いたワンコが来ました、もう吠えられません。



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屋根の下の壁際に置かれている壺は雨水を貯めるため、この辺りは当然上水道など来ていませんからね。
長兄さんや次兄さんのお宅には井戸が掘られて、生活用水はこれで賄っています。
このお宅にも確か井戸があったはずなのに、まだ雨水を利用しているのでしょうか。



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ミッツの大きさが分かるように、手を触れてみました。
これでもまだ食べられないのかなと思って後で聞いてみると、もうすぐ子供と孫が帰って来るから残してあるそうなんです。



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ほら、こっちの庭には井戸があるでしょう。
これは聞いてみなければ。



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ワンコの気配で、奥さんが出て来てくれました。
「お茶、飲みなさい。主人を起こしてくるから」
カブで私を長兄さんの家まで乗せてくれたご主人、ちょっと早いお昼寝でしょうか。



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お茶をいただきながらまず水の話、井戸の水はやっぱり生活用水でした。
「壺の水は?」
「植木に遣る水さ、井戸水は冷たいから、花や果物にはよくない」
ふ〜ん、サイゴンの水道はそんなに冷たくないから、義弟たちは何も言わないのかな。

私は年に少なくとも2回はベンチェーに来ます、そのたびにご挨拶するので息子さんより訪れる回数が多いと、これはきっとぼやき。
「ベンチェーにもKCN(工業団地)がたくさんできたから、帰ってこられるのでは?」
「あいつらは都会の方がいいらしい。テト(旧正月)に帰って来ても何もすることがないと言って、3日以上いた事がない」
何だか日本と同じような構図になっているようですね。

帰りにいただいたのがミッツではなくブーイ、長兄さんの家にもたくさんブーイの木があるんですけど、このお宅のはちょっと違うんです。



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薄皮も剥いて撮ればよかったかな、ベトナムのブーイはたいてい日本の夏みかんと同じような色をしています。
このお宅のブーイは温州ミカンより赤っぽい色、それに甘いのでチビもお待ちかねでした。
「ヒトツ ダケカァ」
お世話になった人に、もう少し下さいなんて言えませんよね。
汗もたくさんかいたし、私も昼寝しますか。



おまけ。
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久し振りに撮れた蝶、逃げなかったのはジャスミンの蜜が美味しかったからですかね。

十年経つと(2)

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ちょうど10年前になる2008年7月、サイゴン駅構内の写真です。
珍しいからか、子供がおねだりして買ってもらう光景が見られました。
初めて公共施設に設置された飲み物の自動販売機、これから増えるかも知れないけど街中には欲しくないなと思っていました。
露店は衛星的に…とおっしゃるなら、缶飲料をそのまま口に付けて飲むのもあまり衛生的とは言えません。

そういった不毛な論争をするまでもなく、この種の自動販売機はサイゴンからほとんど姿を消しました。
高級ホテルには、各階のフロアスペースに残っていると聞きます。
ただし、使う側にはいくつかの条件があるのは後述しますけどね。



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1年後、日系食品店に置かれていた自動販売機。
駐車場の片隅に置かれていたけれど、電源は入っていません。
はい、もう使われていないのでした。



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もうこの頃には『National』ブランドは国内でも使われていないはず、海外ではもっと早くから『Panasonic』ブランドです。
きっと日本からの中古品をベトナム用に改装・改造して置かれたものでしょう、日本語の注意シールが残っていますね。
左のシールにバツ印があって、お札の入れる方向まで指定されています。
日本だと裏表でも前後逆でも受け付けてくれる機械がほとんど、こちらでは一定方向で入れなければ受け付けてくれませんでした。
硬貨ならどちらでも大丈夫でも…。



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これは街で見かけた光景、硬貨の発行は私が来た2004年の事です。
5000ドン(¥25)硬貨は発行当時にとても人気、ベトナム人(だけではないでしょうが)の愛する金色だったから。
それが4年も経つと、こうしてコンクリートで磨かないと2000ドン硬貨と間違えるほど色変わりしてしまうのでした。
コンクリートで磨いても、色は元に戻りませんけどね。

もともと町の小売店では嫌われていて、政府は「受け取り拒否をすると罰せられる」とテレビでコマーシャルを流すほど。
チビもブタの貯金箱にこの5000ドン硬貨を貯めていたもの、まさか政府が発行した硬貨がこの年に使用禁止となるとは誰も思いませんでした。
自動販売機が使えなくなった理由は、これだけではありません。



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紙幣から材質がポリマーに変わったのも私が来てから、それまでは空港使用税をベトナムドンで払おうとしたら受け取り拒否に遭った事もあるほどでした。
もちろん印刷された某国でもポリマー紙幣が通用しています、これからはきれいなお札が使えるかなと喜んでいたら…この始末。
『熱源に近づけてはいけません』『折り曲げてはいけません』などの注意書きはどこの銀行にもまだ貼ってあります。
おい銀行さんよ、ならばこんな判別しづらい紙幣は市中に流すなよ。

と言う事で自動販売機はサイゴンで見かけなくなりました、これは喜ぶべきか悲しむべきか。
紙幣は国家の顔、偽札の多寡も国家の信用にかかわる事は言うまでもありません。
だからですよね、米ドルと金地金に対するベトナム人の信仰が厚いのは。
米ドルだって、いや、米ドルが世界に流通している偽札では一番多いはずですけどね。



おまけ。
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関数計算機は日本メーカーの物が一番使いやすくて価格も安い、これは誰もが認めるところ。
日本から持って来たものが液晶の表示が欠けるようになって、某デパートで買いました。
買ってから2ヶ月で2つ目のボタンが…取れた。
次はドイツ製にするしかないな。

続・ネズ公め

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Wifiの光ケーブルがネズ公に齧られて交換したのは約ひと月前、今度はわが家の固定電話が不通になりました。
ベッテル(Viettel=軍隊通信会社)とは違って、ベトナムポスト(郵政通信j公社)は同じ国営なのに動きが遅いのです。
家内が電話してからエンジニアが来たのは4日後、これはほとんどは日本とそっくりですよね。

二階に入っている電話線を3メートルほど替えてもらって、通話できるかを確認して作業終了。
「断線の原因は、ネズミです」
「ここは二階だし、ネズミは上がってこないと思うけど」
「ほら、ここに糞がありますよ」
お食事中の方はおられませんよね、見苦しい写真ですみません。
「電線でも、ネズミは伝わって来ます」
なのだそうです、証拠を見せられたらぐうの音も出ませんね。



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週に一度棚の掃除をしている時、ここにも糞があるではないですか。
日本の桜が満開になった時、家内がアオザイを着て撮った記念写真の前に。

小さな頃は天井裏にネズミが『運動会』をしていた記憶があります、時々野良猫も参加して目覚めた事もありました。
この歳になって…天井裏はない建物でもネズ公と一緒に暮らすのは嫌ですから、捕獲器でも買おうかと義弟に相談してみたのです。



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「これがいいと思う」 
買って来てくれたのは韓国の会社がベトナムで生産している『マット式』の捕チュー紙、日本製は見当たらなかったそうです。
ゴキブリホイホイのネズミ版ですかね、記憶があります。

会社で生まれた野良猫の子供をそれぞれ1匹ずつ持ち帰ることが決まって、私もその一人でした。
何日かしてその子猫が捕まったのです、暴れたからか粘着シートが布団蒸し状態に。
手に負えずメーカーさんに電話したら「灯油かベンジンかで少しずつ拭き取るように、なければサラダオイルでも。あとは(猫は嫌いでも)湯あみさせてください」との回答でした。
途中略。
洗面器の縁に手を乗せてニャーニャーとうれしそうに鳴く子猫が会社で評判になって、わが家にいたのは2週間だけ。



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今度はネズミ、習性としては隅を歩くらしいので買って来てくれた3枚とも通りそうな壁際に置く事にしました。
風呂場に1枚、寝室に1枚、家内の写真の前に1枚にしましょう。



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何という接着力、大の男が目を剥いて引っ張らないと開かない。
これならネズ公もちょっと踏み込んだだけで逃げられないだろう、それぐらいよくくっ付いているのです。



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真ん中に餌らしきもの、きっとネズ公の好きそうな匂いがするんでしょうね。
ちょっと期待していいかな。



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ところが、です。
絵にはきれいな直角に開いているのに、あれだけの接着力を無理に剥がしたものですから、両方ともこんなに丸くなってしまいました。
私がネズ公なら、ヤバそうなところは通らずに裏の隙間を通りますけどね。

3枚とも現在までまったく効果なし、義弟にそう告げるとこんな答えが返って来ました。
「たくさんいたら引っ掛かるけど、きっといるネズミは片手以下だろ」
そんなにいるのなら、もっとイヤだわ。



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どうせ義弟や家内に頼んでもネズミ慣れしているから無理、わたしゃ私の考えで動こう。
日本の日用雑貨を売っている店に、ちょっと遠いけど参上。
ありました、ネズミ用の『どくいりきけん、たべたらしぬで』が。
ついでにアリンコ対策も、屋上の菜園には現在大量発生中ですから。

ついでに買い物したら、何と福沢さん1枚ほどの無駄遣い。
いけませんね、日本のホームセンターで買ったら半分もしないでしょうけど、ほぼ2倍の価格なのに欲しい欲しい病が出てしまうんです。



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開けてみるとネズ公用は麦の形をした赤い小粒、アリンコ用はもっと小さくてピンクと白の二色構成。
何とわが本籍地和歌山にある会社製ですか、きっとこれは効果があるに違いないと信じてしまう単細胞なのです。
さて戦いはこれから、心配なのは殺鼠剤を食べたネズ公がどこでご昇天なされるか。
明るい所に出てきてくれればいいけど、人知れず、いやネズミ知れずに昇天されたら…。
臭いなどの始末に困るけど、これに関しては何も書かれていませんでした。



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少々毒々しい色ですね、毒でしょうからいいのか。
これは毎日強制的に飲まされているビタミンC剤のキャップ、壊血病の初期症状と言われればイヤでも飲まないと仕方ありません。
ふたつありましたから、これはどちらもベッドの下に。
朝起きてもうひと眠り欲しいなと思った頃に、この辺りで小さな異音がしたからです。



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3日後、毒々しい餌が減っているではありませんか。
さすが日本製、効果はすぐに表れた模様です。
でも…その効果を確かめようがない。
まさか、釣りの餌みたいに食い逃げってことはないでしょうな。

女傑記念館

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朝の宴会中に降り出した雨で気勢は削がれたけれど、予定通りに出発しました。
ベンチェー省出身のドライバーも第7義弟もまだ知らない記念館、それもそのはず完成していくらも時間がたっていないからです。
私なら出発前に確認しておくのに、やっぱりそこはベトナム人というか、地元という過信があるのでしょうね。
幾度か道を間違えて、ようやく到着しました。
結構広い敷地を使った記念館なのですね。



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入り口の門扉がすべて閉まっています、中に入らないと駐車場がないのに。
地元出身の責任者である第7義弟とドライバーが一緒に、中に見える警備員に話を聞いてみようと言います。
私も車を降りて、様子を拝見。



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警備員に声をかけるまでもなく、これを見ればすぐに分かるのに。
午前中は7時から11時まで、午後は13時から17時までが開館時間と表示されているじゃないですか。
今は11時を少し過ぎた時間、2時間も待たないといけないのか。

義弟とドライバーは盛んに『日本、日本人』を繰り返しています、ああいつもの手だわ…。
そのいつもの手が通って、『特別に12時から開けるからその間に昼ご飯を食べて来るように』と指示されたようです。
『日本人』をフルに活用なんて、私はずっとサイゴン暮らしをしているのに、いつまで通用するのでしょうかね。



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約束通り12時に開けてもらって入館、また雨が降り出したのでちょうどよかった。
案内は若い男性、昼ご飯は食べましたかと聞いてみました。
「食べたけれど、昼寝はしていません」
ベトナム語で問うたのに、返って来たのは日本語でした。
ベンチェー省にもたくさんKCN(工業団地)が出来て、外国語のできる若い人が戻ってきているんですね。



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正殿の中央にはやっぱり『女傑』の胸像、いつものパターンです。
みんなと一緒に竹ひご線香を3本ずつ、お供えしました。



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『女傑』とはこの人、名前はグエン・ティ・ディンと言って、ベトナムの近代史を学んだ人ならよくご存知かと思います。
南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の前身であるベトミンに若い時から参加して、フランスやアメリカ相手に戦ってきたから『女傑』と私は呼称しています。

ベトナムの女性闘士としては、パリ和平会談で活躍した北ベトナム外相だったグエン・ティ・ビン女史が世界的に有名でした。
ヘンリー・キッシンジャーとレ・ドク・トの事前協議については既述しているので、この記事では触れずにおきます。
ベトナムの近現代史ではこの二人が突出していますかね、他にもフランスやアメリカの統治に反旗を翻して立ち上がった女性はあまたで、このブログでも何人かご紹介してきました、でもこの二人は別格でしょう。



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退役後のお写真は肩章をご覧ください、筋なしの金地に星が一つありますね。
以前長文でご紹介したボー・グエン・ザップ元帥は星が三つでした、そうなんです、グエン・ティ・ディン女史は少将まで上り詰めたのです。

ここからの『』内は旅行前に買った『長髪の戦士』という本からの抜粋、ベトナム語からの拙訳です。
『1987年4月19日ベンチェー省の農家に生まれ、1992年7月19日没。
1940-43年のフランス植民地時代の政権によって逮捕投獄され、その間に夫と子供を失なった』

ベンチェー省は、南ベトナム解放民族戦線の発祥地としてよく知られています。
1940年11月にベンチェーを含む南部18省から一斉に反仏運動が起きた事件はほどなくフランス軍に鎮圧されたものの、今もこれをたたえられて解放運動の始まりとされているのです。
わが家から200メートルほど北に走る幹線道路にはナム・キー・コイ・ギア(Nam Ky Khoi Nghia/南圻起義)と名付けられ、今もこの運動をたたえられています。
もちろんグエン・ティ・ディン女史も参加して、指導したのでした。

ユーチューブ『https://www.youtube.com/watch?v=giPbVh3ncHg&list=WL&t=127s&index=40』のスタートから約40秒後に、現役の『将軍』として登場されています。
時間のある方は是非ご覧ください。
正しくは少将です、他にもファン・バン・ドン元首相など当時の指導者層の顔も見られます。



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『国民解放戦線の副指揮官として、「戦争で革命的な最も重要な南部女性」と言われていた。さらに、彼女はスパイと南ベトナム政府軍と米軍との戦闘に従事していた長髪軍として知られている南部全女性勢力の指揮官だった』

これはベトナム戦争時の記述、サイゴンの拠点に『パン店』とあるけど、まさかあの『ニューラン』ではないでしょうね。
当時の写真、長髪軍とは女性だけの『銃も爆弾もない軍隊』を差すようです。
つまりスパイなどの諜報や連絡などを担っていた、という訳でしょう。



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ホンダCS90ではありませんか、私も一時乗っていたバイクがこんな所にありました。
『サイゴンから西隣のカンボジア国境沿いにある激戦地だったタイニン省(クチトンネルの近く)に連絡将校として赴任していた当時に、実際に使われていたHONDA』
パネルにはそう書かれていました。

裏側も回って見ました、両側とも燃料タンクの膝パット(ゴム)がありません。
それに…ホンダのウィングマークが、私の乗っていたCSとは違うような気がします。
定かではないので確認してみたら、輸出仕様はこのマークが使われていたみたいですね。



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フェデル・カストロとのツーショット、いかに昔の事かお分かりになるでしょう。
ベトナム戦争のアメリカは、現地ベトナム女性に敗北した。
終戦から何度もささやかれてきた逸話、こうした裏話を振り返ってみるのもいい時期かも知れません。



おまけ。
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この記念館でも火炎樹が満開でした。
これが散り始めると子供たちは新学年、夏休みも終わります。



おまけ、その2。
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私のお土産、決して日常に使う事はない安い記念品です。
日本から来られた人が気に入ったら持って帰られます、それでもまだ20数個残っているかな。

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