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「おい、Liem、いつもとちょっと様子が違うぞ」、そう言ってしばらく待ってくれるように頼みました。 いつもなら店員さんや料理人さんのバイクが10台近く停まっているはず、それが表に2台と店内に1台だけ。 「やばい!」 私と同時にLiemも声をあげて、二人とも両手を胸の前で交差させてバツ印。 だるまのホームページを見たら、最近は新規開店ラッシュでちょっと気になってはいたんです。 朝の(正式な)開店前には毎日BIDV(ベトナム投資開発銀行=りそな銀行と提携しています)の現金輸送車が来ていて、けっこう売り上げがあるのだなと思っていました。 でも、でもですよ、二階席が閉鎖になったり英語や日本語のできるスタッフが櫛の歯が抜けるようにいなくなったり。 長い間こんな仕事をしていると、ちょっとした雰囲気で察するのも悲しい習性になっています。 『効率化』とは違うんです。 食べ物商売ほど難しいものはありませんよね、『美味しい・安い・サービス』が主要産条件だと言われていますが。 レストランの料理長をしている義弟7に言わせると、『美味しい』と感じるのは十人十色だし出身地によっても家庭によってもそれは違うから、どこで折り合いをつけるかが食べ物屋の落としどころだと申します。 確かに高級レストランなら美味しいのが当たり前、それでもハズレがあるから世の中難しい。 『だるまナム・キー・コイ・ギア店は閉店、清算中です』 意訳すればそんな短文、サイゴンではこんな貼り紙なしに閉めてしまう店も多いからまだマシな方かな。 「そこそこ美味しいし、安いのがいい」 そう言って、会社のメンバーを引き連れてよく来ていた店でもあります。 大阪王将が見つけたパートナーがだるまチェーン、正確には大阪王将が雇用したコンサルタントがお世話したものだと思います。 現在は第二次日本食ブーム、サイゴン市内だけでも数百店の日本人オーナーとされるお店があるそうです。 怪しげなコンサルやブローカーと呼ばれる人に引っかかって、1年以内に店をたたむ人がどれだけ多い事か。 日本人が日本人を食い物にする、そんな構図がサイゴンでも見受けられるのは悲しい話です。 HUTONGなるベトナム語はありません、タクシードライバーに訊ねたら中国の鍋料理店だそうです。 だるまと大阪王将の2店舗分を借り切って、鍋専門料理を提供しているそうでした。 日本料理が中国料理に負けた、いわばそんな構図でしょうか。 ただし、この店が何年も続いていたら、のお話。 ナム・キー・コイ・ギア店からも2人のメンバーが移動で勤務、「この店で働くことになりましたから、ぜひ一度来てください」と言われていたのに。 二ヶ月も経たないうちに経営母体が破産してしまうなんて、誰が思ったでしょうか。 ここは市内でも一等地とされていて、きっと家賃が相当高いからでしょうか。 ナム・キー・コイ・ギア通りと言えば、今は狭い道路に引っ越したダイソー1号店もありましたっけ。 HPからアクセスして問い合わせたら『20万ドン(¥1000)以上なら、3区だと無料で配達します』と返事をもらってから、毎週1回は配達してもらっていたのに。 いえ、私ではなく、チビの大好物になったからです。 これの原因は…日本で食べる焼き餃子とはいささか違うのに、日本人街に店を出してしまった事ではないでしょうか。 もっともいまだにネットで調べたら、『餃子の帝王 ホーチミン 閉店』のトピックはあってもどこにも記事には閉店とは出ていませんけどね。 電話は繋がらないし、行ってみたら跡形もありませんでした。 私が羽根つき餃子を食べたのも恥ずかしながらここが初めて、妙なものがあるんだなと思って食べたら…美味しかったのが病みつき。 ここは新聞にも『日本名物屋台村誕生』として紹介され、一時は順番待ちの行列まで出来たのです。 サイゴンっ子は新しい物好き、私たちが言ったのはこの騒ぎがひと段落した3ヶ月後。 二階席は『赤坂』『六本木』などの名前の付いた小宴会場もあって、日本人グループにも人気でした。 話によると何人かの日本人が寄り集まって始めたこの屋台村、グループ内での争いごとがあっての解散となったと聞きました。 単一資本で良きパートナーを見つける事、これが海外出店する時の基本でしょうか。 長い間放置されていたこの跡地に、現在では高層ビルが建ちつつあります。 オーナーは日本の大学に4年間留学した男性、初めてお会いした時はベトナム南端の省に進出すると意気込んでおられたのに。 今はどうされているんでしょうか、でもベトナムは容易に再起のできる国ですからね。 |
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