ちょい旅

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お土産交換

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出会いは初めて義弟の実家に来た時、ちょっと散歩と言って1時間ほど歩こうとした時の事。
昔はグーグルアースだってこんなジャングルの中は『表示できません』と出るし、どこに行っても土地勘がいいと自慢する人間ですから。
時計を見ながら30分経ったら引き返そうと思って、何を見たいとも考えずに長兄さんの家を出ました。
ところがいくら歩いてもほぼ同じ光景、当時はコンクリート舗装もされていない地道。
ある三叉路でどちらから来たのか、恥ずかしながら分からなくなってしまったのです。

この辺りはほとんどが農家、家を見つけて声をかけても返答がありません。
その中で1軒だけ吠えられた犬を叱りに出てきたご主人がいて、事情を話すと笑いながらカブに乗せてくれて長兄さんの家まで送ってくれたのでした。
それからというもの、長兄さんの家に行くたびに日本産の何かとタバコをもってご挨拶に、これが恒例行事になっています。



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目印は8本のバナナ、この木はこれからたくさん実を付ける事でしょう。
他の7本はもう刈り取ったのですかね、葉しかありませんでした。
バナナは地下茎で増えます、もういくつかの幼木が生えていました。
これが大きくなるとその7本は燃料行き、バナナは捨てる所がありません。



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ブーイ(ザボン)の向こうにミッツ(ジャックフルーツ)が大きくなっています。
ここで気付いたワンコが来ました、もう吠えられません。



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屋根の下の壁際に置かれている壺は雨水を貯めるため、この辺りは当然上水道など来ていませんからね。
長兄さんや次兄さんのお宅には井戸が掘られて、生活用水はこれで賄っています。
このお宅にも確か井戸があったはずなのに、まだ雨水を利用しているのでしょうか。



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ミッツの大きさが分かるように、手を触れてみました。
これでもまだ食べられないのかなと思って後で聞いてみると、もうすぐ子供と孫が帰って来るから残してあるそうなんです。



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ほら、こっちの庭には井戸があるでしょう。
これは聞いてみなければ。



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ワンコの気配で、奥さんが出て来てくれました。
「お茶、飲みなさい。主人を起こしてくるから」
カブで私を長兄さんの家まで乗せてくれたご主人、ちょっと早いお昼寝でしょうか。



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お茶をいただきながらまず水の話、井戸の水はやっぱり生活用水でした。
「壺の水は?」
「植木に遣る水さ、井戸水は冷たいから、花や果物にはよくない」
ふ〜ん、サイゴンの水道はそんなに冷たくないから、義弟たちは何も言わないのかな。

私は年に少なくとも2回はベンチェーに来ます、そのたびにご挨拶するので息子さんより訪れる回数が多いと、これはきっとぼやき。
「ベンチェーにもKCN(工業団地)がたくさんできたから、帰ってこられるのでは?」
「あいつらは都会の方がいいらしい。テト(旧正月)に帰って来ても何もすることがないと言って、3日以上いた事がない」
何だか日本と同じような構図になっているようですね。

帰りにいただいたのがミッツではなくブーイ、長兄さんの家にもたくさんブーイの木があるんですけど、このお宅のはちょっと違うんです。



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薄皮も剥いて撮ればよかったかな、ベトナムのブーイはたいてい日本の夏みかんと同じような色をしています。
このお宅のブーイは温州ミカンより赤っぽい色、それに甘いのでチビもお待ちかねでした。
「ヒトツ ダケカァ」
お世話になった人に、もう少し下さいなんて言えませんよね。
汗もたくさんかいたし、私も昼寝しますか。



おまけ。
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久し振りに撮れた蝶、逃げなかったのはジャスミンの蜜が美味しかったからですかね。

女傑記念館

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朝の宴会中に降り出した雨で気勢は削がれたけれど、予定通りに出発しました。
ベンチェー省出身のドライバーも第7義弟もまだ知らない記念館、それもそのはず完成していくらも時間がたっていないからです。
私なら出発前に確認しておくのに、やっぱりそこはベトナム人というか、地元という過信があるのでしょうね。
幾度か道を間違えて、ようやく到着しました。
結構広い敷地を使った記念館なのですね。



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入り口の門扉がすべて閉まっています、中に入らないと駐車場がないのに。
地元出身の責任者である第7義弟とドライバーが一緒に、中に見える警備員に話を聞いてみようと言います。
私も車を降りて、様子を拝見。



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警備員に声をかけるまでもなく、これを見ればすぐに分かるのに。
午前中は7時から11時まで、午後は13時から17時までが開館時間と表示されているじゃないですか。
今は11時を少し過ぎた時間、2時間も待たないといけないのか。

義弟とドライバーは盛んに『日本、日本人』を繰り返しています、ああいつもの手だわ…。
そのいつもの手が通って、『特別に12時から開けるからその間に昼ご飯を食べて来るように』と指示されたようです。
『日本人』をフルに活用なんて、私はずっとサイゴン暮らしをしているのに、いつまで通用するのでしょうかね。



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約束通り12時に開けてもらって入館、また雨が降り出したのでちょうどよかった。
案内は若い男性、昼ご飯は食べましたかと聞いてみました。
「食べたけれど、昼寝はしていません」
ベトナム語で問うたのに、返って来たのは日本語でした。
ベンチェー省にもたくさんKCN(工業団地)が出来て、外国語のできる若い人が戻ってきているんですね。



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正殿の中央にはやっぱり『女傑』の胸像、いつものパターンです。
みんなと一緒に竹ひご線香を3本ずつ、お供えしました。



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『女傑』とはこの人、名前はグエン・ティ・ディンと言って、ベトナムの近代史を学んだ人ならよくご存知かと思います。
南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の前身であるベトミンに若い時から参加して、フランスやアメリカ相手に戦ってきたから『女傑』と私は呼称しています。

ベトナムの女性闘士としては、パリ和平会談で活躍した北ベトナム外相だったグエン・ティ・ビン女史が世界的に有名でした。
ヘンリー・キッシンジャーとレ・ドク・トの事前協議については既述しているので、この記事では触れずにおきます。
ベトナムの近現代史ではこの二人が突出していますかね、他にもフランスやアメリカの統治に反旗を翻して立ち上がった女性はあまたで、このブログでも何人かご紹介してきました、でもこの二人は別格でしょう。



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退役後のお写真は肩章をご覧ください、筋なしの金地に星が一つありますね。
以前長文でご紹介したボー・グエン・ザップ元帥は星が三つでした、そうなんです、グエン・ティ・ディン女史は少将まで上り詰めたのです。

ここからの『』内は旅行前に買った『長髪の戦士』という本からの抜粋、ベトナム語からの拙訳です。
『1987年4月19日ベンチェー省の農家に生まれ、1992年7月19日没。
1940-43年のフランス植民地時代の政権によって逮捕投獄され、その間に夫と子供を失なった』

ベンチェー省は、南ベトナム解放民族戦線の発祥地としてよく知られています。
1940年11月にベンチェーを含む南部18省から一斉に反仏運動が起きた事件はほどなくフランス軍に鎮圧されたものの、今もこれをたたえられて解放運動の始まりとされているのです。
わが家から200メートルほど北に走る幹線道路にはナム・キー・コイ・ギア(Nam Ky Khoi Nghia/南圻起義)と名付けられ、今もこの運動をたたえられています。
もちろんグエン・ティ・ディン女史も参加して、指導したのでした。

ユーチューブ『https://www.youtube.com/watch?v=giPbVh3ncHg&list=WL&t=127s&index=40』のスタートから約40秒後に、現役の『将軍』として登場されています。
時間のある方は是非ご覧ください。
正しくは少将です、他にもファン・バン・ドン元首相など当時の指導者層の顔も見られます。



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『国民解放戦線の副指揮官として、「戦争で革命的な最も重要な南部女性」と言われていた。さらに、彼女はスパイと南ベトナム政府軍と米軍との戦闘に従事していた長髪軍として知られている南部全女性勢力の指揮官だった』

これはベトナム戦争時の記述、サイゴンの拠点に『パン店』とあるけど、まさかあの『ニューラン』ではないでしょうね。
当時の写真、長髪軍とは女性だけの『銃も爆弾もない軍隊』を差すようです。
つまりスパイなどの諜報や連絡などを担っていた、という訳でしょう。



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ホンダCS90ではありませんか、私も一時乗っていたバイクがこんな所にありました。
『サイゴンから西隣のカンボジア国境沿いにある激戦地だったタイニン省(クチトンネルの近く)に連絡将校として赴任していた当時に、実際に使われていたHONDA』
パネルにはそう書かれていました。

裏側も回って見ました、両側とも燃料タンクの膝パット(ゴム)がありません。
それに…ホンダのウィングマークが、私の乗っていたCSとは違うような気がします。
定かではないので確認してみたら、輸出仕様はこのマークが使われていたみたいですね。



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フェデル・カストロとのツーショット、いかに昔の事かお分かりになるでしょう。
ベトナム戦争のアメリカは、現地ベトナム女性に敗北した。
終戦から何度もささやかれてきた逸話、こうした裏話を振り返ってみるのもいい時期かも知れません。



おまけ。
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この記念館でも火炎樹が満開でした。
これが散り始めると子供たちは新学年、夏休みも終わります。



おまけ、その2。
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私のお土産、決して日常に使う事はない安い記念品です。
日本から来られた人が気に入ったら持って帰られます、それでもまだ20数個残っているかな。

椰子のロープ

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年に三度も収穫できる稲作が出来なくなりつつあるのはお伝えしました、そこで現金収入を考えないといけなくなったみなさんは知恵を絞ります。
これは椰子の葉を乾燥させてから編んだ籠、試作品ですから骨組みは長兄さんが拵えた針金。
日本の農協に似た組織で認められたら、良さそうな竹を探して作るとか。
長兄さん、それなら最初から竹でこしらえた方がよくないですか。
そう言ったらここで会話が中断、またいらぬことをと家内に叱られました。



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これは次兄さんが作っている椰子の実で作った小物入れ、今度は何も言いませんでした。
もちろんまだ仕掛り品。



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二つ切りにしたふたを開けると、こうなります。
これから塗料を塗るとか、どんな手作り感が出せるかがカギかな。
どうやらその農協に似た組織でコンクールが催されているみたい、何かいいアイデアはないかと急に言われてもねぇ。
ベンチェー省ですぐ手に入る材料で、第一それがまだ理解できていません。



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これは長兄さんの奥さんが昔からされているいわば手内職で、椰子の実繊維をまとめたもの。
こんなにきれいになるんですよね、こっちの方が何か考えるには早そうではないかな。



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今はこんなロープしか作っていません、それでも前に来た時よりも進化しています。
昔は古い自転車の車輪とペダルを利用した手動、モーターに変わっていても停電時には復活するそうで、巻取り器の向こうに置いてありました。
見栄えは悪くても長兄さんのお手製、ベトナム人は器用なんです。

奥さんがこの仕事をするのは朝食前、食事の準備は次兄さんの奥さんが担当とか。
始まりはだいたい朝の4時半、私の起きる時間とほぼ同じです。
いつもは早朝散歩に出るけど、明日はこちらの納屋を拝見させてもらい約束をしました。



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起きてからすぐに顔を洗って行ってみると、もう作業は始まっていました。
何だか蚕から取れた絹糸を糸撚り器にかけている昔の映像を思い出させる雰囲気、違うのは撚りをかけるために回転するのがモーターである事ですかね。



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長兄さんがモーターに替えてから、作業はずいぶん早くなったそうです。
「どれぐらい早くなった?2倍?5倍?」
「10倍ぐらい」
モーターは使わなくなった脱穀機の中古、プーリーだって何かの流用品だそうですから元手はほとんどかからず。
「1日に何メートルぐらいロープに出来る?」
「何メートルかは分からない、だいたい朝の2時間で5〜6キロ(グラム)ぐらいかな。あとは畑仕事もあるし」



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喋っている間でも、モーターは遠慮なしに同じ速度で回ります。
奥さん、追われてる。
「喋りながら(仕事を)したことはないからねぇ」
邪魔して、すみません。



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早朝散歩を終えて帰ってきたら、玄関にロープの束が置かれていました。
これが1週間の成果、仲買人が今日引き取りに来るそうです。
ベトナム女性は働き者、それに引き換え…。



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朝食からこのありさま、お客様として歓待してくれるのはありがたいけど、先ほどの仕事を拝見した後では気が引けます。
それでも飲みますけどね、ご好意を無駄にしてはいけません。

左が長兄さん、右のボケてしまったのが次兄さん、次兄さんの隣がドライバーでその隣が村長さん。
もちろんドライバーはアルコールなし、今日も運転してもらわないといけませんから。
行先はベトナム戦争で有名になった女傑の博物館、近くの村出身ですからよく自慢話を聞かされました。



おまけ。
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長兄さんが購入したビデオカメラのケース、日韓ふたつの会社名を足して二で割った大陸製。

高潮に大潮

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義弟7の実家、今は長兄さんが跡を継いでおられる家がいつもとは違う雰囲気。
先日接近した台風1号(日本では4号:アジア名イーウィニャ)がちょうど大潮の時期に重なってこんな事態に、義弟7は電話で事情を知っていたのに私たちには何も言わず。
「だって、最近は年に一度は起きるから」

そう言えば初めてベンチェーに来た時、メコン川の水量が上流国家に複数のダムが出来てから減って、米作が難しくなったとは聞いました。
海水の塩分が遡上して、この一帯では椰子やカカオの他に養豚に主力を変えつつあるとも。



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大昔から住んでいたクメール人は高床式の家、メコン川の氾濫がたびたびあったから。
今はもうソクチャン省に行っても川岸にチラホラしか高床式住居は見かけなくなりました、一方新しくメコンデルタを開墾したキン族(狭義のベトナム人)はレンガ造りの家。
今回の洪水は床面までは届かず、「放っておけば元通りになる」のだそうです。

私が歩くとサンダルが沈むのに、野鳥はいいですね。
小魚を探しているそうです、あれ、もう干魚になってるはずだけど。



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こちらは私たちの宿舎、次兄さんの家です。
私たちが来るからと、砂を入れてくれていました。
手前は塩分に強いとされているブーイの木、いくら強いと言っても「1週間以上浸水すると持たないよ」なのだそうです。
「今回は大潮と高潮が重なっただけだから、3日で引いた」



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試しにと植えられたココナッツの木、これは聞いた通りダメージが大きそう。
ずいぶん葉が茶色くなっています、洪水も『試し』なのだそうでした。



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覚えておられますかね、私が付けたニックネームが『ウケグチ君』です。
元気で大きくなっています、でも毎年何度か来るのにその都度通過儀礼をしなくてはいけないのはなぜなんでしょう。



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昼食前に、お庭を拝見。
フウリンブッソウゲ、これからが時期です。
3つだけ咲いていました。



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水椰子の花、相変わらずおどろおどろしい感じ。
この実は食べられます、薄味の梨風味です。



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手の届かない高さの、バナナ。
帰りのお土産候補、ナンバーワン。



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長兄さんの家は養豚業に挑戦中、まだ豚舎は6つでも奥に拡張準備されています。
ここには8頭の子ブタ、私が近づくと全員集合。
8頭も生まれて、子だくさんの親豚ですねと言ったら…。
「ブタは10頭以上生んでくれないと、笑えない」
つまり、うれしさも半ばという事なのでしょう。



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ベンチェー省の主力農産物でもある椰子、集積場まで運ぶ姿がありました。
子供も一緒にお手伝い、微笑ましい光景ではありませんか。
「あの子、帰りには荷台に乗って帰るよ」
それでもいいじゃないですか、私だったらこの荷台に乗ると昔氷屋さんのリヤカーに乗せてもらった思い出が蘇えりそう。
さて、昼ごはんの準備、応援しなきゃ。

ベンチェーに

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朝7時の出発予定、でもこのドライバーは必ず15分ぐらい前にはわが家に到着しています。
旅行会社のドライバーから独立してもう5年ですか、おなじみになったハイエースに乗るのも10回以上になるでしょう。
もうすぐこの車を同業者に売って新しいハイエースを買うとか、勢いがありますね。
新車になったらこけら落としに、またどこかに行く計画を立てましょう。



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メーターパネルにはいつも蛇、交通安全のお守りなのだそうです。
ベトナムではキリスト教ならマリア様やキリスト像…は少ないけど、仏教徒なら観音様や仏座像がダッシュボードの上におられるのに。
そう言えば日本でも蛇をお祀りする神社がありましたっけ、ベトナムには蛇単体が祀られた寺院は見た事がありませんけど。
ドライバーの個人的な信仰なのでしょうか、それとも巳年生まれなのかな。



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トンドクタン通りまでは混雑していて30分もかかりました、でもここまで来れば車は一気に少なくなります。
国道1号線を少しだけ走ってから、高速道路に乗って南下してメコンデルタへ。
ベンチェーも、近くなりましたね。



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普段ならこの高速道路を終点まで走っているはず、同乗者の一人が腹痛を訴えて途中で降りたんです。
まだベトナムの高速道路にはサービスエリアなどありません、給油はもちろん食事やトイレ休憩が出来ないのが困りもの。
べつに時間的な制約はありませんから、下の道でもいいんですけどね。



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ホーチミン中心部ではほとんど見られなくなったこんなバイクも見られるし。
いえ、市内を走っていない事はないんです。
深夜から早朝のCSGT(交通警察)がいない時間にシフトしただけ、ベトナム人民がやすやすと公権力に屈するはずはありません。



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2008年に日本のODAで架けられたラックミエウ橋、ここを通らないとベンチェー省より南には行けません。
これが完成するまではこのメコン川前江はフェリーで、乗船まで早くても30分はかかりました。
バイクは無料、おカネを支払っても時間以上に安全には代えられないのは当然の事。
ODAだからといって無料で作って差し上げたわけではありませんからね、通行料で借款を返済していかなければいけません。
安いけれど金利も支払っています、どこかの大国みたいに『負債トラップ』は仕掛けられておりません、念のため。



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橋の下りからメコン川前江の上流、橋ができたせいか船が少なくなった気がします。
視界内に橋らしきものは見えませんね、ここから50キロほど遡らないとありません。
どれだけこの橋が出来て喜ばれたか、想像していただければ。



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ラックミエウ橋を渡るとベンチェー省、開発が進んで立派な道路も出来ています。
ちょっとだけ走って旧道に、こんな道を通るとベンチェーらしさが見えてきますね。
ブタをリヤカーに乗せて走る光景も見られるし、何より車が少ない事がストレスを感じさせない気がします。
この先の橋を越えて、右に行くと第7義弟の実家。



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毎年数回はお邪魔するけれど、そのたびに道の表情が変わっています。
コンクリート舗装になった道を歩くのは1キロほど、お土産と荷物は迎えのバイクに積んでもらって手ぶらで歩いて行くのが常。
彼の実家にはバイクが4台あるけど、みなさんが最近できたKCN(工業団地)に勤め始めたから残りの1台がフル稼働します。

バナナや椰子の畑には金網の柵が設けられました、前回来た時にはなかったのに。
これがあると勝手に取って食べられないのがベトナムのルール、だんだん田舎も変わりつつあるのでしょう。

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