クチ少数民族文化村

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4年半で

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この4年半で消えてしまったもの。

釣り堀。



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台湾のお古がずらりと並んでいた、ゲームセンター。
クレーンゲームは、まだ3本爪でした。



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6頭立て、子豚のレース。
ここまではいいんです、何とか許します。



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レンタルハンモック、これがなければ本格的な休息は出来ません。



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炭火で焼いたサツマイモ。
ベトナムでも女性に人気、わが女系家族では失望感がありありでした。



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彼女の後ろにある民族衣装用の織物、もう織り手はいませんでした。
今はペットボトルを利用したこの組紐だけ。



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ろくろの代わりにご自分がぐるぐる回って仕上げる、土器作り。
おばあさんには、お歯黒のあとがありました。



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一番残念なのは、これ。
ギターと民族楽器を駆使した音楽に、民族舞踊です。
今は劇場には、売店だけが残っています。



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お父さんと一緒に農耕ダンスを踊っていた少女、今は故郷で本当の農作業をお手伝いしているのかも知れません。

このダンスは飛び入り大歓迎、中央後ろで教えてもらいながら踊っているのは観光に来た少女です。
甥っ子や姪っ子たちもよく踊っていました。
いちばん小さな姪っ子は、経験することは出来なくなりました。

誤解のダンス

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以前はダチョウだけのエリアがありました。
10数羽はいて、ダチョウの養殖を手掛けているなどとまことしやかな情報が流れたそうです。
真偽を確かめることはしませんでした、確かめても何にもならないと思ったからです。

ひとりで園内漫歩に出かけると、今は1羽だけが金網に囲まれた中にいました。
別に声を掛けたわけではないのに寄ってきます、人恋しいのかも知れません。



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私はダチョウのエリアには行かなかったので、決してこのダチョウとは顔見知りではありません。
扉には金網がないので、万一アタックされるとこの長い首ですから逃れられないと考えて、金網の張られた方から近づいてみました。
背の高さは、私がかなり角度のある見上げ方をしなければならなかったから、ゆうに2メートルはあるでしょう。

移動すると、ダチョウもついてきます。
人慣れしたダチョウなのでしょうか。



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ダチョウの鳴き声は聞いたことがありません。
ここまで近づいてくれても聞こえるのは鼻息だけ、金網を突っつくようなことはせずに私の顔を見つめます。
ちょうど私の顔の高さ。

決して威嚇しているような雰囲気ではありませんし、鼻息に加えて、クチバシのカタカタとする音も聞こえます。
これは餌をねだっているのだと思いました。



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顔を見定め終わったのか、突然ダチョウが踊り出しました。
足の向きを見てお分かりになると思います、私を正面にして羽根をバタバタ、首を大きく左右に振っています。
姿勢はごくごく低く。

これはやっぱりお腹が空いているのだと思ったけれど、あいにく私が持っているのはカメラだけ、みんながいるところに戻らないと何もないし、勝手に餌をあげてはいけないかも知れません。
「何もないよ、あげられないよ、餌」



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初めてそう声を掛けると、いよいよ姿勢が低くなります。
目も、悲しそうに見え始めました。
これ以上続けてみていると、きっと餌を与えてしまいそうになります。

ダンスの途中で悪いけど、後ろ髪を引かれる思いでサヨナラを告げることにしました。


飼育員さんも減りました、その飼育員さんが帰路にいたので、家内に聞いてもらいました。
「ダチョウが餌をねだって、ダンスをしていましたよ。これは教えたんですか?」

飼育員さんが不思議そうな顔をするので、デジカメのモニタに再現して見てもらいました。

胸のポケットからメガネを出してみた瞬間言った飼育員さんの言葉に、わがファミリーからどっと笑い声が上がりました。
私だけが蚊帳の外。

「彼、なんと言った?」
「正直に言って、怒らない?」
「もちろん!」
「……このダンスは、求愛のダンスらしいよ……」

1羽だけ残されたこのダチョウが、雄なのか雌なのかは聞かずに帰りました。
どちらにしても大きな誤解なんですから。


クチ少数民族文化村。

バンブーハウスたち

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ベトナムは多民族国家であるであることは、すでにお伝えしました。
ほかに、居住する区域の違いによるふたつの分け方も、存在していました。
平地民と山地民という分け方です。
今は住み分けが難しい環境になって、ほとんど使われることはなくなりました。

高地に住む民族の家は、構造の違いはあっても基本は高床式が大きな特徴。
素材に竹を多用することから、「バンブーハウス」と呼ばれます。
少数民族文化村に移設されたバンブーハウスを、いくつかご紹介します。

特集にしたロングハウスのバナ族は、もともと焼き畑農業で生計を立てていました。
1年のうち10ヶ月を農作業に充て、残りの2ヶ月は結婚を含む儀式や家の建築・補修をしていたそうです。



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ここには若いカップルがいて、お茶のサービスがありました。
有料ですが焼き芋も、ルーカンというモチ米から造られた濁り酒も振る舞われていました。
うつぶせられた瓶が、ルーカンの入っていたものです。

これは、比較的平地に近いところに住んでいたザライ族の家だそうです。



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椰子の葉影になるバンブーハウス、お分かりになりますでしょうか。
きっと涼しい生活ができたと思います。



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日本の古い農家でもよく見られた鍵屋。

規模にもよるのは当然でしょうが、ガイドさんの説明では、この程度の家なら1週間ほどでできるそうです。
もちろん部族の人たちが揃って協力するのは当然、きっと人海戦術だったのでしょう。



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典型的な高床式、窓も扉も竹製です。
この下に家畜を飼っていました。

いろいろな民族のバンブーハウスがあります。
開園からずっとここでそれぞれの民族が暮らしていたと、ある英語のガイドブックに書かれています。
本当は近くに宿泊施設があって、みなさんはそこで寝食をされていました。
今は、ほとんどの方がもとの村に戻られています。



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おまけ。
もちろん昔ながらのベンチではありません。



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ここはコムラムやティットヌーンを食べさせてくれるレストラン。
以前は釣り堀で釣った魚も、ここで料理してもらえました。
床もテーブルも椅子も竹製、おまけのおまけです。

バナ族のロングハウス

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どんなテーマパークや遊園地にも、ひときわ目立つ高さのある構造物があると思います。
それはお城風なモニュメントであったり観覧車だったりさまざまでも、園内のどこからでも見えるように配慮されています。
以前にアミューズメントパークを設計された方とお話をさせていただいた中で、それはシンボルであると同時に、園内のお客様に現在の場所と方角を示すためだとも聞いて、なるほどと思ったことがありました。

「だから」と彼は言いました。
「京都タワーや神戸のポートタワーのような構造物は、広大なアミューズメントやテーマパークには相応しくないんです」

バナ族のロングハウスがクチ少数民族文化村のシンボルに当たります。
漢字では「巴那族高脚屋」とありました。



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確かに園内のどこからでも見えるバナ族のロングハウスは、高さ24メートル。
以前にこれをご紹介した時に、「バナ族って、そんなに背が高いんですか?」というツッコミを戴きましたが、今回はご容赦下さい。
バナ族だって、日本人の平均身長よりずっと小さいんです。

権力の象徴はどこも同じ、巨大な建物に住むのが首長の証でもあったのです。



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開園当時はこの前で水牛を交えた伝統の踊りや、ロングハウスの屋内では結婚式が再現されたと、古いパンフレットには書かれています。
今は何の催し物も行われていません。

椰子の葉を使った屋根材もところどころにほころびが見え、スコールの時にはきっと雨漏りがあるはずです。



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確かに、どこの位置からもロングハウスの屋根が望めます。
ここはロングハウスを取り囲むように設定されている養殖池を兼ねた遊園池の東端、入口とはほぼ逆の位置になります。

ベトナムは54の民族からなります。
その中で広義のベトナム人とされるキン族が87%を超え、同じ平野部に競合して住居を構える中国系(華人)やクメール系のベトナム人を含めると、ほぼ90%になります。
残り10%の約80万人が高地山岳地帯に暮らしていました。

クメール系のバナ族もその1民族、20年前の古いデータでも136000人でしたから、今はもっと減少しているでしょう。



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ロングハウス前の広場に繋がる竹橋です。
フェスティバルが盛大に催されていた頃は、ここから次の出番に向かう民族衣装の列が見られました。
今は少数民族の娘さんたちも、渡ることはなくなりました。

80年に公布されたベトナムの憲法前文に、こうあります。拙訳です。

『各民族は自らの言語と文字を使い、自己の風俗、習慣、伝統及び麗しい文化を受け継ぎ、表現することの権利を有する』



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民族の融和を念頭に置いたはずのテーマパークならば、外資に頼らずに民族資本や政府の主導のもとで始まっていたら、もっと違った現在になっていたかも知れません。

2年前は渡れた竹橋もあちこちで破損していて、私もここまでで諦めました。

続:少数民族文化村

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前回来たのは去年の2月ですから、『続』の文字が入っていてもほぼ1年半ぶり。
施設や従業員が激減して、まだ営業しているのかさえ疑問でした。
ゲートには女性の警備員がいて車の進入方向を指示してくれたので、ようやくひと安心しました。

開園時間を15分ばかり過ぎているのに、駐車場はこの有様でした。
私たちが一番乗りです。
大型の観光バスに乗って遠足に来ていた子供たちは今長い夏休み中、静けさを求めるにはちょうどいいかも知れません。



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ホーチミン市が拡大されて市政圏に組み込まれたクチ郡、その中心部にあるバスターミナルから約10km東の、観光ポイントになっている戦跡クチトンネルへ行く途中にあります。
開園当初はテレビでも紹介されて、大混雑だったそうです。
今はこの通り、閑古鳥の声さえ聞こえてきません。

理由はいくつかあると思います。
一番大きな原因とされているのがアクセスの悪さ、いくらベトナムの人たちがバイクを多用すると行っても、ファミリーで移動するには距離が長すぎます。
ダムセン公園やスイティン公園には中心部からバスが出ていて、安価でゲートまで運んでくれます。
クチバスターミナルからは1時間2本の小型バスはあります、この最寄り駅からも子供の足ではとうてい無理なところに、この施設はあります。



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入園料金は小さなベトナム語で書かれています。
大人は「HAI MUOI NGAN DONG」、つまり2万ドン(¥110)。
ベトナム流は年齢ではなく、身長で子供料金が設定されます。
身長1mから1.4mまでが「MUOI HAI NGAN DONG」の1万2千ドンで、1m以下の子供は無料となっています。

これはベトナム語の読めるひと、つまりベトナム人料金です。



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一方外国人は、大人の欄はプライステープが剥がれて見えませんが、子供料金だって同様の規制で4万ドン、ベトナム人の3.3倍になります。

私は、黙っていればベトナム人です。



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チケット売り場に横にはプルメリアの花があって、ほのかな香りが漂ってきます。

写真のタイムスタンプからは、最初の駐車場を撮影してから8分経過、それでもチケット売り場には人影が現れません。
ファミリーが「どこか別の場所に行こうか」と言い出した時、ようやく制服を着た女性が現れました。



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表示されている開園時間から25分も遅れて、チケットを手にしました。
姪っ子たちはたくさんのプルメリアの花を集めて、とっても喜んでいました。

人気がなくなったのは、交通の便が悪いだけではないようでした。

それでも、それなりの面白さや楽しさはあるんですよ。
リゾートが『静かで風光のいいところで時間の高級な無駄遣い』とするなら、ここは立派なリゾート施設だと言えるかも知れません。

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