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私の小・中学生当時にもありましたね、間の悪い所での登校日。 今日はそうではなく、私たちの住む14坊で『蚊撲滅大会』なるものがあるそうです。 そう言えば朝早くから遠くで何か音楽が流されていましたね、ホーチミン市では何かあるごとに公安(警察)の軽四輪トラックにスピーカーを付けた車が走りますからもう慣れっこ。 今日は今流行中のデング熱対策で、意識向上のための行進があるのだとか。 先導は公安の軽トラック、先頭を歩くのは小学高学年の子供たちでした。 わが家はベトナム戦争で『英雄』は出ていません、三男六女の戦争にはほとんど貢献できなかった家庭なのはご存じの通り。 その上次男がボートピープルでオーストラリアに難民亡命していたので、戦後しばらくは肩身の狭い思いをしてきた家族です。 こんな行事に参加指名があるのは珍しい事、外国人も一緒に暮らしているからちょっと浮いた存在の家庭でもありますからね。 やっぱり社会主義国家、赤旗を持って行進するのは中学生高学年だそうです。 今日は学校のジャージの上に白いTシャツが指定、補助金は出ません。 校庭は広さなどの規定もなく猫の額、週に一度の『全体朝礼』があってもドンと太鼓がなったら集合整列、また太鼓がなったらその場での解散です。 後姿も撮っておきましょう、続くのは父兄でも家内はおりません。 長く日本で暮らしていたので、復権するために苦労していました。 何せ(棄民でもないのに)自国に帰る時はビザが必要で、大阪に領事館ができるまでは東京の大使館まで行ってもらってから帰国。 富士山と新幹線の組み合わせは、堪能したはずです。 そこは社会主義国家、号令一下でこれほど人が集まるんですねぇ。 チビみたいにいやいや参加、なんて人がどれぐらいいるかは知る由もありませんけど。 本人がどうしても参加できない時は地区坦の許可をもらって代理人も参加できる、なかなか融通が利くではありませんか。 今はどうなんでしょう。 皆さんもうご高齢ですから、さすがに地区坦でも指示はできないだろうと思います。 この人も代理人かな、人数確保は至上命題なのはこういった類いの運動にはつきものなのだなとふと笑ってしまいました。 最後に歩くのは2ブロック先にある医院の若先生、声がかかったら断れませんでしょう。 どなたさまも、お疲れさまでした。 蚊はあまり減ったような気はしませんけどね、意識向上には役立ったかな。 おまけ。
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ワンコとアントゥ
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「あ、行き過ぎてる。ストップ!」 この給水タンクが私の目印になっていて、ちゃんと住所も目的地も告げておいたのに発音が悪いとよくこんな事があるんです。 急に右に付けられませんから、タクシーを降りたのは給水塔を少し過ぎた所でした。 ただし渋滞になればここにもバイクが、今回は正対しながら歩きますから大丈夫。 でも逆走してくるバイクは当たり前ですから、耳はそばだてていなければいけません。 正門近くで、振り返って撮りました。 正門左に学校の歴史を書いたプレートがあるんですけど、書かれている文字がフランス語でさっぱり分からないからパス。 私がこちらに来た年に生まれたチビはもう8年生、10年生が高校生ですからもう進学を考えなければならない年頃になりました。 「ユンボン(私の事)、コボン(家内の事)ニ、マリクリ イキタイト イッテクレルカ?」 どうやら友達と一緒に行きたい高校が、『マリクリ』のようでした。 もちろん私立の高校ですから、公立高校と違って授業料はかなりの割高になります。 それを子供ながらに心配していたのでしょう。 中庭だけなら入っていいし、写真も大丈夫だそうです。 中庭の奥が学校の入り口でしょうか、その前に胸像がありますね。 どうやら女性のようです、近付いて見ましょう。 『MARIE CURIE 1867−1934』とあります。 英語読みでは『マリー・キュリー』でもフランス語読みでは『マリ・クリー」だそうですから、ベトナムで『マリクリ』と呼んでもおかしくはないのです。 私も最初は「何、それ?」と聞き返したものですけどね。 ご存じの通りマリー・キューリーは放射能の研究で1903年にノーベル物理学賞、1911年にはラジウム・ポロニウムの発見で化学賞と、どこかの国だかだと悔しがりそうなダブル受賞をされています。 1918年開校ですから、二度目の受賞をされてからの事ですね。 インドシナ提督によって設立された当時はフランス人の女性と裕福なベトナム人だけを教え、学生たちはすべてフランス語で授業は行われたとベトナム版ウィキペディアにありました。 1941年から日本軍がベトナムへ進駐した時、この建物は接収されて日本人専用の病院になっていたとも書かれていました。 1975年の南北統一後はベトナム南部唯一の私立女子高校となって、幾多の女傑を輩出したのは私の独り言。 今年の初めに文化教育省が『週に1〜2度はアオザイを着るように』との通達を出したものの、チラホラと見かけるようになった程度です。 華奢でなで肩のベトナム女性に似合うアオザイ、現代の若い女性には…。 わがチビだって、絶対着こなせません。 もう少し奥に行こうとしたら、警備員さんから笛。 ずっと監視されていたみたいでした。 私立高校ですから許可があった中庭以外は進入禁止、ここまで許してもらえただけでも感謝ですかね。 公立の高校にはだんだんとエアコン付き教室が増えているのに、入学したら寄付金攻撃でしょうか。 木製の鎧窓が歴史を感じさせます。 決して先生が教えるのではないでしょうけれど、「いただきマンモス」や「マンモスラッキー」なんて言葉を覚えてくるのには閉口して別の学校に行かせるようにしました。 帰ってから家内にそれとなく『マリクリ』の情報を聞いてみる事にしました。 「昔はよかったけどね、私たちのあこがれの的。男女共学になってから、いい先生は公立高校に変わ移ってるらしい」 大学合格率もすっかり様変わりして、伝統のある有名校も散々な評価をされいてびっくり。 これはまずチビがどんな職業に就きたいのかを聞いてから、話を進めなければいけないようです。 揮毫はあの杉さま、杉良太郎氏です。 ベトナムでは9月が新学期、高校入試までちょうど2年。
家内と3人で、よく考えてみましょう。 作戦は、あります。 『マリクリ』はホーチミン市でたった3校だけフランス語が第一外国語になっている高校の一つ、これを使えば案外敵は簡単に落とせそうな予感。 |
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ゴ・クエン(呉権)は、ハノイを流れるハン川のバックダン江で当時の南漢(唐の次にできた中国南部の地方政権)に勝って、1000年に及ぶ朝貢関係に終止符を打ったのでした。 そんな由緒のある名前の学校の7年3組(中学一年生に当たります)が、チビ(ANH THU)の現状。 新学年になった9月から校長先生が変わって、チビの学校生活に異変が起こりました。 6年生では朝6時半に登校して補習のない火・木曜日は4時頃、補習のあるその他の曜日は5時過ぎに帰宅していたのです。 つまり、学校での補習は一切禁止という事、それに宿題もなくなりました。 今学期から校長先生が替わったので教育方針が変わったのかなと思ったのは、ずっと4時頃になるとチビが帰って来始めたからでした。 補習がなくなることを知っていた家内は夏休みのうちに塾の情報を集めていて、4時半から毎日2時間の英語や数学の勉強に通わせることにしたのです。 ところが9月半ばになってから、こんな通達が出ました。 これもベトジョーさんからのコピーです。 『ホーチミン市共産党委員会常務部は、学校での補習クラスの開講に関する規定について、小学生及び全日制の授業を受ける生徒を対象に芸術やスポーツ、社会的な実践スキルのトレーニングなどの補習クラスを開講することは認める一方、それ以外の補習クラスの開講は一切禁止することを指導した。 ただし、学生の要求に応じて芸術などを除く通常の補習クラスも開講が可能となる。補習クラスの開講にあたり、学校は学力によってクラスを分けるほか、生徒を本人の学力に見合ったクラスに入れなければならない。また、生徒自らが好きな講師を選べるように有利な条件を整えなければならない。 また、補習クラスの取り締まり強化に伴い、同委員会常務部は同市人民委員会に対し、講師に対する生活支援策を講じるよう指導した。』 校長先生の『実績・業績』とはいかに良い高校へ卒業生を送り込めるか、これは世界共通だと思います。 この指示で生徒たちからの『要望』を強制的に集める文書が出て、10月1日から補習が再開されることになりました。 10月1日は土曜日、それでもチビは学校に行きました。 普段より1時間遅い登校で、8月半ばから始まった7年生の授業を最初からの復習から始まったそうです。 一ヶ月半分の遅れを取り戻すためとか、しばらくは仕方ないのかなと思っていました。 もちろん給食はありませんから、昔懐かしい『半ドン』で。 自分のパソコンに向かうのはもう7時過ぎ、今までは食事中にテレビを見たりパソコンを触ったりするのは固く禁じて来たのに、これでは仕方ありません。 日本でも『ゆとり教育』などの試行錯誤がありました。 これは5年単位で見直す教育制度のせい、ベトナムホーチミン市政府は試行錯誤とは言えない朝令暮改。 被害を受けるのは子供たちと教員、行政はちっともお構いなしです。 ベトナムには古くからのことわざがありました。
『王の掟(おきて)も村の垣根まで』 社会制度が変わると、ここまで変わってしまうのかと思ったら違いますよね。 生徒・児童から要望させる形をとって、市政府の意向を無視するんですから。 |
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昨年はジグソーパズルに挑戦、まず247ピースから開始。 これだとガラス入りの額の方が高い、ベトナムには専用の薄いアルミ製の額はありません。 その代わり、倍のサイズになってもほとんど価格は変わらない不思議。 同時に買っておいた二枚目からは、お一人で。 なかなか捗りませんから、作業手順から教えます。 この子はある部分が分からなくなったら、徹底してピースを探すタイプ。 周囲の直線がある部分を完成させたら、背景は置いて、絵の部分から優先するセオリーは正解なんですけど。 この三枚目までが247ピース、集中力と根気を養うにはうってつけのジグソーパズルも、1日2〜3時間と決めておきました。 私一人だとエンドレス、この程度だと数時間あれば十分なんですが。 日本では2000ピースも完成させたこともありました、ひと月ほどかかったかな。 家内が嫌がるのは、この遊びは途中で『片づけ』ができないこと。 こうやって、そっくりそのままにしておかないと続きに取り掛かれませんからね。 5月末から8月半ばまでの夏休みには、うらやましいことに宿題がありません。 9月が新学年になるからで、教科書の発売も8月になってですから予習もこの間は必要なし。 日本も早く9月入学期にしてくれませんかねえ。 友だちのDちゃんがお兄さんと遊んでるのを見て、やってみたくなったそうです。 私も興味があったから大賛成、早速大手のトイショップに行って買ってきました。 カメラ付きで、できるだけ飛行時間が長くて、墜落しても壊れにくい物。 この三条件をトイショップの店員さん(一人しかいませんでした)に言うと、勧めてくれたのがこの機体でした。 「なぜ二つも買うの?この子になら安いもので十分でしょ、それに二つも要らない」 家内はそう言います、でも私だって遊びたいし、Dちゃんと一緒に飛ばして遊ぶ時に恥ずかしい思いをさせたくないものですから。 それに、二機あれば一機壊れたって大丈夫。 何しろ中華製です。 これがちょっと時間を喰いました。 付属品のアダプタは、どれを使っていいのか分からない。 一つは機体に取りつかないし、他の二つも知恵の輪状態。 もう直接付けてしまいました、ちょっとスイッチが入れにくいけど。 待ちなさい、動力がなければ飛ばないよ。 ただ…充電するのに100分以上かかるのは知らなかった。 電池は、最初の充電が肝要。 チビはDちゃんの家に、コツを聞いてくるそうです。 もちろん日本のメーカー、信頼できるのはこれだけかな。 準備、できました。 最初は屋内で練習、自信が付いたら外で飛ばしてみましょう。 ベトナムの国内法は、空港や軍関係から2キロメートル以内と公的施設近辺だけが禁止だと店員さんに聞いてあります。 ボタン一つで宙返りや元の位置に戻る機能も付いています、これは屋外でなければ試せません。 チビが戻ってくるまでに、ちょっと腕を磨いておかなければ。 スイティン号と名付けたヘリコプタで、なかなかの腕を見せてくれたチビ。 今度は赤外線操縦ではないから、陰に隠れても電波は届くので墜落して泣き出すこともないでしょう。 やっぱり私より操縦勘がいいのは悔しい、でも運動神経はあまりよくないのに。 ポリマー電池二つ分遊んで次は明日だというと不満げ、もう少し予備の電池を買いますか。 三日後のこと。
二つも買ってと言った家内がチビの操縦を見て「簡単みたい」と挑戦したそうです。 真っ逆さまに墜落させてしまって、一つのモーターが動かなくなりました。 トイショップに電話したらモーターの個別販売はしていないとのこと、仕方がないから、部品取り用にしますか。 ほら、二つ買っておいてよかったじゃないですか。 |
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どうしても試着したい気持ち、私にはよく分かりました。 前歯が…3本ともまだありません。 今度は私がびっくり、ずっと同じ制服で通うのが日本ですから。 これは五年生まで全部撮らなくちゃ。 チュアン・クアン・ジュー小学校の3年2組、席順は28番。 これは体操服。 いや、『体操』という授業などはありませんから、ジャージとしておきましょう。 週に二日は着て行きました。 もう三年生も終わり頃でした。 学校ではちゃんとルールがあるらしく、火・木曜日がジャージということ以外は知りません。 これだけは市政府からの無料支給、社会主義国家なのに教科書も副教材も給食費だって保護者負担なのは、みなさんご存じないはず。 もちろん低所得家庭と認定されれば、すべて無料になります。 35人学級が一学年に3クラス、1クラスに担任と副担任の先生がいます。 以前ご紹介したように、ベナちゃんのお母さんは少数民族のチャム族。 チャム族はイスラム教を信奉していますから、豚肉は禁忌です。 アレルギー食のない学校給食でも、イスラム色のあることを初めて知りました。 日本なら『卒業アルバム』があるのに、卒業証書を持った個人の写真とクラス全員が写った写真の二枚だけが彼女の記念。 ちょっと寂しい気もしますが、これでもいい方だと家内が言います。 この五年間、休んだのは四年生の時に罹った『手足口病』での一週間だけ、よく頑張りました。 保育園の三年間はいじめられっ子で心配したけど、小学校では泣いて帰ったこともなかったね。 副担任制度があったおかげだと思っています、先生方にもたくさんのありがとうを申し上げます。 おまけ。
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