ワンコとアントゥ

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パレード

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今年は5月20日から長い夏休みに入ったチビが起きてくるのは毎朝9時ぐらい、ところがこの日は6時に起きて来たので夏休み中の登校日かなと思いました。
私の小・中学生当時にもありましたね、間の悪い所での登校日。
今日はそうではなく、私たちの住む14坊で『蚊撲滅大会』なるものがあるそうです。
そう言えば朝早くから遠くで何か音楽が流されていましたね、ホーチミン市では何かあるごとに公安(警察)の軽四輪トラックにスピーカーを付けた車が走りますからもう慣れっこ。

今日は今流行中のデング熱対策で、意識向上のための行進があるのだとか。
先導は公安の軽トラック、先頭を歩くのは小学高学年の子供たちでした。



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地区坦(共産党の下部組織で、日本なら町内会の会長に当たり結構権力も持っています)からご指名があって、チビも初参加。
わが家はベトナム戦争で『英雄』は出ていません、三男六女の戦争にはほとんど貢献できなかった家庭なのはご存じの通り。
その上次男がボートピープルでオーストラリアに難民亡命していたので、戦後しばらくは肩身の狭い思いをしてきた家族です。
こんな行事に参加指名があるのは珍しい事、外国人も一緒に暮らしているからちょっと浮いた存在の家庭でもありますからね。

やっぱり社会主義国家、赤旗を持って行進するのは中学生高学年だそうです。



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HTV(ホーチミンテレビ局)のカメラマンが狙っている先にチビ、あがり症だから大丈夫でしょうか。
今日は学校のジャージの上に白いTシャツが指定、補助金は出ません。



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学校では体育祭も文化祭もないし、こんなところでないと集団で行進する場面なんてありません。
校庭は広さなどの規定もなく猫の額、週に一度の『全体朝礼』があってもドンと太鼓がなったら集合整列、また太鼓がなったらその場での解散です。
後姿も撮っておきましょう、続くのは父兄でも家内はおりません。
長く日本で暮らしていたので、復権するために苦労していました。
何せ(棄民でもないのに)自国に帰る時はビザが必要で、大阪に領事館ができるまでは東京の大使館まで行ってもらってから帰国。
富士山と新幹線の組み合わせは、堪能したはずです。



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昔は日本でも町内運動会ができるほどだったのに、今は伝統的な祭りさえ運営が難しくなったと嘆く声が大きくなったと聞きます。
そこは社会主義国家、号令一下でこれほど人が集まるんですねぇ。
チビみたいにいやいや参加、なんて人がどれぐらいいるかは知る由もありませんけど。



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青いTシャツは共産党青年団、『青年』とは呼べない人たちも混ざっているのはOBやOGだそうです。
本人がどうしても参加できない時は地区坦の許可をもらって代理人も参加できる、なかなか融通が利くではありませんか。



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青年団の後は婦人団、昔はこれに必ず軍服を着た人たちが行進の最後を締めくくったそうです。
今はどうなんでしょう。
皆さんもうご高齢ですから、さすがに地区坦でも指示はできないだろうと思います。



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最後は同じ赤いTシャツの壮年団、結構若そうな人もいますね。
この人も代理人かな、人数確保は至上命題なのはこういった類いの運動にはつきものなのだなとふと笑ってしまいました。
最後に歩くのは2ブロック先にある医院の若先生、声がかかったら断れませんでしょう。
どなたさまも、お疲れさまでした。
蚊はあまり減ったような気はしませんけどね、意識向上には役立ったかな。



おまけ。
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6時半スタートでよかったですね、10時半にはこんな気温になっていました。

マリクリ

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タクシー内で電話がかかって来たので、注意不足でした。
「あ、行き過ぎてる。ストップ!」
この給水タンクが私の目印になっていて、ちゃんと住所も目的地も告げておいたのに発音が悪いとよくこんな事があるんです。
急に右に付けられませんから、タクシーを降りたのは給水塔を少し過ぎた所でした。



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ここでは露店営業が市政府から禁止されていますから、ゆったり歩けます。
ただし渋滞になればここにもバイクが、今回は正対しながら歩きますから大丈夫。
でも逆走してくるバイクは当たり前ですから、耳はそばだてていなければいけません。
正門近くで、振り返って撮りました。



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創立が1918年、フランス植民地時代に創立された私立の高校が『マリクリ』なのです。
正門左に学校の歴史を書いたプレートがあるんですけど、書かれている文字がフランス語でさっぱり分からないからパス。

私がこちらに来た年に生まれたチビはもう8年生、10年生が高校生ですからもう進学を考えなければならない年頃になりました。
「ユンボン(私の事)、コボン(家内の事)ニ、マリクリ イキタイト イッテクレルカ?」
どうやら友達と一緒に行きたい高校が、『マリクリ』のようでした。

もちろん私立の高校ですから、公立高校と違って授業料はかなりの割高になります。
それを子供ながらに心配していたのでしょう。



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門の左にあった守衛室で聞いてみました。
中庭だけなら入っていいし、写真も大丈夫だそうです。

中庭の奥が学校の入り口でしょうか、その前に胸像がありますね。
どうやら女性のようです、近付いて見ましょう。



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プレートを拡大しようと思ったけど、左上に校舎の大きな文字が見えますからいいでしょう。
『MARIE CURIE 1867−1934』とあります。
英語読みでは『マリー・キュリー』でもフランス語読みでは『マリ・クリー」だそうですから、ベトナムで『マリクリ』と呼んでもおかしくはないのです。
私も最初は「何、それ?」と聞き返したものですけどね。

ご存じの通りマリー・キューリーは放射能の研究で1903年にノーベル物理学賞、1911年にはラジウム・ポロニウムの発見で化学賞と、どこかの国だかだと悔しがりそうなダブル受賞をされています。
1918年開校ですから、二度目の受賞をされてからの事ですね。

インドシナ提督によって設立された当時はフランス人の女性と裕福なベトナム人だけを教え、学生たちはすべてフランス語で授業は行われたとベトナム版ウィキペディアにありました。
1941年から日本軍がベトナムへ進駐した時、この建物は接収されて日本人専用の病院になっていたとも書かれていました。

1975年の南北統一後はベトナム南部唯一の私立女子高校となって、幾多の女傑を輩出したのは私の独り言。



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今は男女共学になって、私が来た頃は目立っていた白いアオザイ姿がもう見かけなくなりました。
今年の初めに文化教育省が『週に1〜2度はアオザイを着るように』との通達を出したものの、チラホラと見かけるようになった程度です。
華奢でなで肩のベトナム女性に似合うアオザイ、現代の若い女性には…。
わがチビだって、絶対着こなせません。

もう少し奥に行こうとしたら、警備員さんから笛。
ずっと監視されていたみたいでした。
私立高校ですから許可があった中庭以外は進入禁止、ここまで許してもらえただけでも感謝ですかね。



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舗道に戻って歩くと瀟洒な建物が校舎、エアコンはなく天井ファンだけなのはチビの中学校と同じ。
公立の高校にはだんだんとエアコン付き教室が増えているのに、入学したら寄付金攻撃でしょうか。
木製の鎧窓が歴史を感じさせます。



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教室と道を挟んで向かい側にあるのが、チビが小学二年生の時に3ヶ月ほど通った日本語学校です。
決して先生が教えるのではないでしょうけれど、「いただきマンモス」や「マンモスラッキー」なんて言葉を覚えてくるのには閉口して別の学校に行かせるようにしました。

帰ってから家内にそれとなく『マリクリ』の情報を聞いてみる事にしました。
「昔はよかったけどね、私たちのあこがれの的。男女共学になってから、いい先生は公立高校に変わ移ってるらしい」
大学合格率もすっかり様変わりして、伝統のある有名校も散々な評価をされいてびっくり。
これはまずチビがどんな職業に就きたいのかを聞いてから、話を進めなければいけないようです。



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見えますかね、私の背より高い石碑に『さくら日本語学校』とあります。
揮毫はあの杉さま、杉良太郎氏です。

ベトナムでは9月が新学期、高校入試までちょうど2年。
家内と3人で、よく考えてみましょう。
作戦は、あります。
『マリクリ』はホーチミン市でたった3校だけフランス語が第一外国語になっている高校の一つ、これを使えば案外敵は簡単に落とせそうな予感。

朝令暮改

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チビが通っている中学校の名はバックダン(BACH DANG)、名前の由来は938年に漢軍を打ち破って長い中国支配から独立のきっかけを作った戦いの地名から。
ゴ・クエン(呉権)は、ハノイを流れるハン川のバックダン江で当時の南漢(唐の次にできた中国南部の地方政権)に勝って、1000年に及ぶ朝貢関係に終止符を打ったのでした。

そんな由緒のある名前の学校の7年3組(中学一年生に当たります)が、チビ(ANH THU)の現状。
新学年になった9月から校長先生が変わって、チビの学校生活に異変が起こりました。
6年生では朝6時半に登校して補習のない火・木曜日は4時頃、補習のあるその他の曜日は5時過ぎに帰宅していたのです。



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これはベトジョーさんのホームページからスクリーンショットしたものです。
つまり、学校での補習は一切禁止という事、それに宿題もなくなりました。
今学期から校長先生が替わったので教育方針が変わったのかなと思ったのは、ずっと4時頃になるとチビが帰って来始めたからでした。

補習がなくなることを知っていた家内は夏休みのうちに塾の情報を集めていて、4時半から毎日2時間の英語や数学の勉強に通わせることにしたのです。
ところが9月半ばになってから、こんな通達が出ました。

これもベトジョーさんからのコピーです。
『ホーチミン市共産党委員会常務部は、学校での補習クラスの開講に関する規定について、小学生及び全日制の授業を受ける生徒を対象に芸術やスポーツ、社会的な実践スキルのトレーニングなどの補習クラスを開講することは認める一方、それ以外の補習クラスの開講は一切禁止することを指導した。
 ただし、学生の要求に応じて芸術などを除く通常の補習クラスも開講が可能となる。補習クラスの開講にあたり、学校は学力によってクラスを分けるほか、生徒を本人の学力に見合ったクラスに入れなければならない。また、生徒自らが好きな講師を選べるように有利な条件を整えなければならない。
 また、補習クラスの取り締まり強化に伴い、同委員会常務部は同市人民委員会に対し、講師に対する生活支援策を講じるよう指導した。』

校長先生の『実績・業績』とはいかに良い高校へ卒業生を送り込めるか、これは世界共通だと思います。
この指示で生徒たちからの『要望』を強制的に集める文書が出て、10月1日から補習が再開されることになりました。



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右が数学(TOAN)から始まる教科書、左が宿題(Bai Tap)となる問題集です。
10月1日は土曜日、それでもチビは学校に行きました。
普段より1時間遅い登校で、8月半ばから始まった7年生の授業を最初からの復習から始まったそうです。
一ヶ月半分の遅れを取り戻すためとか、しばらくは仕方ないのかなと思っていました。
もちろん給食はありませんから、昔懐かしい『半ドン』で。



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朝6時半にお父さんのバイクに乗って登校、10月からは下校が何と夕方6時半以降。
自分のパソコンに向かうのはもう7時過ぎ、今までは食事中にテレビを見たりパソコンを触ったりするのは固く禁じて来たのに、これでは仕方ありません。

日本でも『ゆとり教育』などの試行錯誤がありました。
これは5年単位で見直す教育制度のせい、ベトナムホーチミン市政府は試行錯誤とは言えない朝令暮改。
被害を受けるのは子供たちと教員、行政はちっともお構いなしです。

ベトナムには古くからのことわざがありました。
『王の掟(おきて)も村の垣根まで』
社会制度が変わると、ここまで変わってしまうのかと思ったら違いますよね。
生徒・児童から要望させる形をとって、市政府の意向を無視するんですから。

夏休みのテーマ

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3年前の夏休みはクロールで25メートル泳げるようになること、これは水泳教室で賞状を貰うほど頑張りました。
昨年はジグソーパズルに挑戦、まず247ピースから開始。
これだとガラス入りの額の方が高い、ベトナムには専用の薄いアルミ製の額はありません。
その代わり、倍のサイズになってもほとんど価格は変わらない不思議。



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最初は私が手伝って一週間で出来ました。
同時に買っておいた二枚目からは、お一人で。
なかなか捗りませんから、作業手順から教えます。

この子はある部分が分からなくなったら、徹底してピースを探すタイプ。
周囲の直線がある部分を完成させたら、背景は置いて、絵の部分から優先するセオリーは正解なんですけど。



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水泳教室は私が口出しすることもなかったけど、これは私が家にいたら諄いぐらいに聞きに来ますから私の部屋で遊びます。
この三枚目までが247ピース、集中力と根気を養うにはうってつけのジグソーパズルも、1日2〜3時間と決めておきました。
私一人だとエンドレス、この程度だと数時間あれば十分なんですが。
日本では2000ピースも完成させたこともありました、ひと月ほどかかったかな。



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長い夏休みでも、チビだってトモダチ同士の遊びもあるし、姪っ子や甥っ子とも映画館へ行ったりなどの約束があるから、この475ピースが最終になりました。
家内が嫌がるのは、この遊びは途中で『片づけ』ができないこと。
こうやって、そっくりそのままにしておかないと続きに取り掛かれませんからね。

5月末から8月半ばまでの夏休みには、うらやましいことに宿題がありません。
9月が新学年になるからで、教科書の発売も8月になってですから予習もこの間は必要なし。
日本も早く9月入学期にしてくれませんかねえ。



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今年のテーマを聞いてびっくり、クアッドコプター(日本ではドローンと言った方が通じるかも知れません)を上手に操縦したいと言い出すのです。
友だちのDちゃんがお兄さんと遊んでるのを見て、やってみたくなったそうです。
私も興味があったから大賛成、早速大手のトイショップに行って買ってきました。

カメラ付きで、できるだけ飛行時間が長くて、墜落しても壊れにくい物。
この三条件をトイショップの店員さん(一人しかいませんでした)に言うと、勧めてくれたのがこの機体でした。

「なぜ二つも買うの?この子になら安いもので十分でしょ、それに二つも要らない」
家内はそう言います、でも私だって遊びたいし、Dちゃんと一緒に飛ばして遊ぶ時に恥ずかしい思いをさせたくないものですから。
それに、二機あれば一機壊れたって大丈夫。
何しろ中華製です。



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録画用の2メガバイトのマイクロSDカードを入れて、カメラを機体に取り付けます。
これがちょっと時間を喰いました。
付属品のアダプタは、どれを使っていいのか分からない。
一つは機体に取りつかないし、他の二つも知恵の輪状態。
もう直接付けてしまいました、ちょっとスイッチが入れにくいけど。



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これで完成、チビは早く飛ばしたくてうずうずしています。
待ちなさい、動力がなければ飛ばないよ。



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これがポリマー電池、1200mAhですから店員さんのいう事が本当なら15分程度は飛ばせます。
ただ…充電するのに100分以上かかるのは知らなかった。
電池は、最初の充電が肝要。
チビはDちゃんの家に、コツを聞いてくるそうです。



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コントローラ用の単3電と4本x2台分で、8本も買ってきました。
もちろん日本のメーカー、信頼できるのはこれだけかな。

準備、できました。
最初は屋内で練習、自信が付いたら外で飛ばしてみましょう。
ベトナムの国内法は、空港や軍関係から2キロメートル以内と公的施設近辺だけが禁止だと店員さんに聞いてあります。



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ホバーリングも、なかなか好調。
ボタン一つで宙返りや元の位置に戻る機能も付いています、これは屋外でなければ試せません。
チビが戻ってくるまでに、ちょっと腕を磨いておかなければ。



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Dちゃんの家から戻ってきて、早速の腕試しに入ります。
スイティン号と名付けたヘリコプタで、なかなかの腕を見せてくれたチビ。
今度は赤外線操縦ではないから、陰に隠れても電波は届くので墜落して泣き出すこともないでしょう。

やっぱり私より操縦勘がいいのは悔しい、でも運動神経はあまりよくないのに。
ポリマー電池二つ分遊んで次は明日だというと不満げ、もう少し予備の電池を買いますか。

三日後のこと。
二つも買ってと言った家内がチビの操縦を見て「簡単みたい」と挑戦したそうです。
真っ逆さまに墜落させてしまって、一つのモーターが動かなくなりました。
トイショップに電話したらモーターの個別販売はしていないとのこと、仕方がないから、部品取り用にしますか。
ほら、二つ買っておいてよかったじゃないですか。

小学校卒業

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小学校一年生、制服が届いた日のことです。
どうしても試着したい気持ち、私にはよく分かりました。
前歯が…3本ともまだありません。



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これが二年生の制服。
今度は私がびっくり、ずっと同じ制服で通うのが日本ですから。
これは五年生まで全部撮らなくちゃ。



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三年生。
チュアン・クアン・ジュー小学校の3年2組、席順は28番。

これは体操服。
いや、『体操』という授業などはありませんから、ジャージとしておきましょう。
週に二日は着て行きました。



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同じ体操服、ずいぶんくたびれてきましたね。
もう三年生も終わり頃でした。



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同じ三年生の制服、本人はこっちの方がお気に入りのようです。
学校ではちゃんとルールがあるらしく、火・木曜日がジャージということ以外は知りません。



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どの制服でもジャージでも、これはホーチミン市の小学生には欠かせません。
これだけは市政府からの無料支給、社会主義国家なのに教科書も副教材も給食費だって保護者負担なのは、みなさんご存じないはず。
もちろん低所得家庭と認定されれば、すべて無料になります。



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四年生の制服、もう…分からん。
35人学級が一学年に3クラス、1クラスに担任と副担任の先生がいます。



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最終学年の五年生、親戚のベナちゃんと初めて同じクラスになって大喜びです。
以前ご紹介したように、ベナちゃんのお母さんは少数民族のチャム族。
チャム族はイスラム教を信奉していますから、豚肉は禁忌です。
アレルギー食のない学校給食でも、イスラム色のあることを初めて知りました。



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卒業式の日に、保護者の参加もなく終わって持って帰った写真です。
日本なら『卒業アルバム』があるのに、卒業証書を持った個人の写真とクラス全員が写った写真の二枚だけが彼女の記念。
ちょっと寂しい気もしますが、これでもいい方だと家内が言います。

この五年間、休んだのは四年生の時に罹った『手足口病』での一週間だけ、よく頑張りました。
保育園の三年間はいじめられっ子で心配したけど、小学校では泣いて帰ったこともなかったね。
副担任制度があったおかげだと思っています、先生方にもたくさんのありがとうを申し上げます。


おまけ。
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主要五教科はすべて満点で卒業してくれました。

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