結婚式 in クアンガイ

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披露宴:おひらきの後

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キムチがお色直しに控室に消えると、新郎や双方の両親が席を回って個々にご挨拶して回ります。
本来なら一緒のほうがいいんでしょうけれど、これだけの数ですから手分けした方が効率的なのでしょう。

私はキムチパパに付いてご挨拶廻りに参加しました。
従業員さんがひとりずつ、ビール瓶を持ってこれをフォローしてくれます。
この写真は披露宴がもう後半に差しかかったぐらいの時間、さすがのキムチパパも目が据わってきたようです。
それでも背筋をピンと伸ばしているのは、さすがです。
これからが、強いんです。



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時間を巻き戻します。

友達と作ったドレスの1着目、長年キムチのデザイン画を見てきた私には、やっぱり地味に見えます。
大好きな光り物も少ないし。



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このドレスで各席を回って乾杯、同時に記念撮影。

キムチはアルコールを飲みません。
「(両親からの)遺伝子がアクティブになるのが、心配だから」だそうです。
新郎はと言えば…キムチパパの気に入られたぐらいですから、きっとみなさんのご想像通りです。



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2度目おお色直し。
たぶん入場からかなり時間は経過していると思います、この画像以降は家内のカメラです。

私はキムチがカラオケを歌っていた時の記憶がありません、すみません。
きっと友だちに「一緒に歌おう」と促されたのだと思います。
座を盛りたてるのは上手な子でした。



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ここで初めてキムチのお兄さんタンさんが登場、ずっと裏方に徹していたのに、初めてみんなの前でご挨拶代わりのカラオケ披露です。
タンさんは軍を除隊してから写真の専門学校を卒業した変わり種のプロカメラマン、この日は大きなカメラを3台首からぶら下げて妹の晴れ姿を撮影していました。
だからジーンズ姿。

午後7時15分から始まった披露宴、たぶん私たちが引きあげたのは10時ぐらいだったと思います。
わが居候だったキムチの披露宴に、おつき合いいただいてありがとうございました。



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披露宴が終わると、わが家での『お疲れ様でした宴会』が控えています。

これはキムチパパたちがやってきた初日の夜宴、私以上にエアコン嫌いの人ですから初めて玄関先で行いました。
同じ光景をご想像していただければ…。

パンシロンが必要であることは、ご理解いただけると思います。



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新婚旅行を終えて、マレーシアから直接故郷に戻っていた新郎新婦が、ご挨拶に来てくれました。

わが家に来るのはいつもバイクだったから、新郎が車を持っていることを知りませんでした。
キムチは「彼の収入で買ったクルマ」だと主張しますが、エンジニアって、そんなに儲かる仕事じゃないはずなんですけどね。



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私に買ってきてくれたお土産は、これでした。

長い間、キムチの披露宴話におつき合い下さってありがとうございます。
見事な尻切れトンボで終わりました。

披露宴:料理編

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新婦がお色直しに入ると、料理が供されます。
この席は新婦キムチの友人席、いちばんステージに近いところにあります。
この人たちがこれからご紹介するキムチのお色直し用ドレスも縫い上げてくれた、いわば陰の応援者。
空席が見えるのは、この先に見える『控室』でお色直しのお手伝いに入っているからです。

ステージ上ではバンドが音合わせが始まりました。



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反対側、暗くなっていて分からなかった間に、席はほぼ埋まっています。
お箸を持っている方もありますから、料理も配膳され始めているはずです。

それではお料理画像を。
ただし、うろちょろしなければいけない宴席だったので、撮り漏らしが3点あります。
ごめんなさい。



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まずは定番の左がチャーゾー(揚げ春巻き)、上が揚げえびせん、右はゴイゴーセン(蓮の茎、茹でた豚肉やエビを和えたものに落花生のトッピング)です。



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おめでたい席にはつきもの、逆から撮りました。
美味です、料理っているところはみたくないんですけど…。
周囲は、蒸しパンです。



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ココナッツジュースで茹でたあと、もう一度塩焼きしてありました。



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もう、この頃になるといけません、ふたつほど飛ばしているはずです。
周囲の赤いごはんは、ソイガック。
ガックの実で色づけされた、甘いおこわです。



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台風鍋、ではなく、タイ風鍋。
エビ、イカ、白身魚に、中央はアヒルの肉だと思います。
他に野菜が山盛り、私は手をつけずじまいでした。

この前あたりから記憶が断片的で、これは家内にお願いしていた画像です。
お願いしていたことも、覚えていません。



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ニャン(リュウガン)、他にもカットフルーツがあったはずです。
私はブーイを食べた記憶があるんです。



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ステージでは、歌手(のタマゴ)たち4人が入れ替わり立ち替わりで雰囲気を盛りたてていました。
もちろん『V - pop』が主流、でも、まだベトナムでは『60s’』や『70s’』の歌が愛されています。
この女性が唄った曲が、いちばん印象に残っています。
『WHAT A WONDERFUL WORLD』、このバンドでは、ちょっと無理があった気がしました。
とても上手に唄われていたんです、このかたのお年でこの歌を理解するにも少しお若すぎるのではないかとも。

披露宴:花嫁の父

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この日の司会者だった女性のマイク放送があって、会場の照明がいっせいに消えます。
スポットライトを浴びてバージンロードから登場したのがダンサーたち、バレエ風であったりベトナム伝統衣装のアオヤイであったりしますが、この日はモダンな衣装のダンサーが男女6組。

きっとキムチの選択だったと思います。

ステージの中央でひとしきり踊ってたあと、またバージンロードに戻って行きます。
新郎新婦の登場です。



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ダンサーたちにエスコートされて、二人が登場しました。
バージンロードには花火が自動点火。

やっぱり二人の表情には硬さが見られます。



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いちばん左が司会者、新郎KY(キーさん:空気の読めない方ではありません、念のため)さんのご両親中央にまだ表情の硬い二人、そしてキムとのご両親。
奥にはプロジェクターでのサービスもあります。

この中ではキムチパパが一番緊張しているように思えます。
これからお客様に向かってのご挨拶が控えているからです。
自己主張やこういった席でのスピーチには長けているのがベトナム人、それでも一世一代のはなむけになるご挨拶ですから、私はキムチパパの心境が手に取るように分かります。



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いつもの表情ではありませんし、話す語感はとっても強そう。
あとで家内に聞くと『いつもとはまったくの別人だった』そうですから、やっぱり緊張のピークだったのでしょう。
あまりの緊張に、キムチの表情が緩んだところです。

やっぱりキムチは、誰もが認めるお父さん似。



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ご両家の挨拶が終わると、シャンパンフローです。
いつもなら1本のシャンパンで済むのに、グラスが大ぶりなのでこの日は2本のシャンパンが開けられました。
何か意味でもあるのかと思ったけれど、切り出せませんでした。

ある式場では、このあとのシャンパンが奪い合いになることがあって、驚いたことがあります。
地方によっていろんなしきたりがあるのは、たぶんどの国も同じなのでしょう。
ドライアイスが入っているのできっと甘くなるだろうとは予測できます、でも、そんな理由ではないとは思います。



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これは家内に言わせると『固めの杯』、両家の絆を結びつけるという意味では確かにそうなんですけど。

ステージで行われる最大の責務は、1分弱で終わりました。
この頃からキムチパパの緊張がほぐれてきたことがありありうかがえました。
『カタブツ』と言われるようになったのも私と同じく歳を取るに従って得た評判だと、これは家内の言。
今も嘱託で陸軍に月のうち半分は出勤しているそうです。



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さすが強者ぞろいのファミリーの中でも酒豪と呼ばれるだけあって、乾杯の勢いはキムチパパがいちばん。
もちろんこんな式典には慣れっこですから、姿勢も美しく見えます。

言葉はほとんど通じないのに、同じ年齢ということもあってか不思議に気が合います。
ただひとつ困ることはすぐに手をつなぐ癖があること、サイゴンでご挨拶廻りの時もですからこれは恥ずかしくて文字通り手を焼きました。



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ウエディングケーキに入刀。
この時に日本では万雷の拍手のはず、ベトナムでは私ひとりになります。
ご覧の通り、双方のご両親も退席されるんですから、式次第は似ていても大きな違いがたくさんあります。
BGMのいちばん盛り上がるのは同じです。

これで披露宴のセレモニーは終わって、食事に移ります。
お偉い方たちのかしこまって聞かなければならない『祝辞』は、まずありません。
私が気楽に披露宴に参加できるのは、ここにも原因があります。

今回はキムチパパのレポートを含めて、次回は食事をご紹介します。

披露宴:プロローグ

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ここがキムチたちが選んだ披露宴会場です。
日本なら『○○殿』とか表現される披露宴会場も、ベトナムではレストランの範疇に入っているのは結婚式と披露宴が明確に分離されているからだと思います。

ホーチミン市で披露宴会場の集中しているのがタンビン区、タンソンニャット空港のある行政区です。
この会場もそのうちのひとつです。



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ここには17の会場があっても、『お日柄のいい』とされる週末に会場を押さえるには1年前から予約しないといけないとか。
もちろんこの日もおそらく満員御礼状態だったと思います。
このカップルはアオザイ姿の男女が5組、出席者を歓迎していました。

キムチの披露宴会場はこの右で『ルームF』、日本なら『△△の間』などと呼ばれるんでしょうけれど、私にはこの方が覚えやすくていいかな…。



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『VAN KY』さんと『KIM CHI』さんの会場とあります。
ベトナムでは同姓が多いので、『□□家と◇◇家』といった表現はされません。
もし日本流の表示をすれば、大混乱間違いなしでしょう。

受付は新郎新婦の友人たちが担当します、女性の座っていることがほとんどです。
キムチもずいぶんたくさんこの席に座っていましたから、ベトナム語に疎い私が出席する場合、キムチの姿を探すのが一番の早道だったこともしばしばでした。

それが、今回は主役です。



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受付の反対側にはもうひとつの目印、事前に撮影されたパネルも飾られています。
この習慣はここ15年ぐらい前からでしょうか、今ではどんな田舎の、自宅で行われる披露宴でも目にします。

これは、記念写真にはなっても式場では無駄かも知れません。
なぜかといえば…。



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実物が、入口に立ってお客様を歓迎してくれるからです。
記念写真も、ビデオ撮影も、同時に行われています。

これがベトナムでの披露宴で、新郎新婦がいちばん疲れる作業です。
家内がメモに『疲労宴』と書いた昔が、懐かしく偲ばれます。

やっぱりプロのカメラマンとの差は歴然ですね。
自分でデザインして仲間たちと縫い上げたウエディングドレスがあまりにシンプルだったのが、私には驚きでした。



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私たちの到着は予定時刻の45分前、まだ出席者より会場のスタッフのほうが多い気がしました。
10人掛けの丸テーブルが30卓、これがちゃんと予定通り満席になるのでしょうか、ちょっと心配でした。

私たちは正面に向かって左、新婦側縁者の席に着きました。
いちばんステージに近い席には親友たちが座って、次ぎに大切な親戚が陣取るのがしきたり。
たいていここには血縁の本家筋、それも長老といわれる方が座る席だと知っていたので、案内のキムチパパに家内とともに固辞しました。
「ここ!」
初めて座る席になりました。



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ステージの前にはシャンパンフロー、その向こうにベトナム式のウエディングケーキ、今日の主役を待ち受けます。
タワー式の巨大なウエディングケーキは、まだベトナムでは見たことがありません。



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ステージへのバージンロードは約20メートル、キムチにとって長いロードに感じるのか短く感じるのか。
定刻より15分遅れで場内の明かりが消えました、ベトナムではとても優秀な部類の披露宴が始まりました。

【続く】
ようやくこの日のお酒が抜けてきました。
二日酔いから脱出しても、明日はキムチファミリーが故郷に戻られる日。
今夜はさよならパーティーになります。
また「ウィ〜!」です。

キムチの気持

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わが家の居候だったキムチ(Kim Chi:金枝の意)の、初登場です。


2004年に服飾デザインの専門学校を卒業した9月からわが家の居候をしながら、私の目から見れば『気ままな修行生活』を送っていました。
キムチにすれば決してそうは思っていなかったでしょう、夜の9時が門限などのいろんな制限を私から付けられて不平をこぼしていたことも人づてに聞いたことがあります。

遠くクアンガイに暮らすご両親から預かった大事な娘さんですから、時には厳しく叱ったことだってありますし、いくらデザイナーのタマゴだからと言っても、あまりに奇抜な服装への注文も付けたこともありました。
おかげで顔を合わせてもぷいと目をそらされることが何日か続いたことも、幾度か経験。

もちろん英語の勉強がしたいと言い出した時には全面的に応援したこともあるし、ファミリーでの旅行にはいつも声をかけることも忘れませんでした。

キムチから「折り入っての相談がある」と申し出があったのは一昨年の年末、これは私たちにとっては想定内のこと。
服装から奇抜さが影をひそめてきたし、土・日曜には門限いっぱいまで出かけることが多くなっていたからです。
家内と顔を見合わせて、「やっぱりか…」

メモに書かれたレストランに出かけると、あらためてやっぱり。



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これはいただいた披露宴の招待状です。
二人で相談して決めたそうで、キムチにしてはかなり地味。


キムチのデザイン画が大手のアパレル会社に売れたのは、たった一度だけ。
メールマガジンの『サイゴンニッキ』でご紹介したのは、もう5年前のことになりました。

「展示即売会に出ているから、見に来て!」
弾んだ声で招待状をくれたのに、商品となって並べられていたのはなんと『特売品』コーナー、気が強いのがひとつのウリでもあったキムチが涙目になったのは後にも先のもこの時だけでした。
デザイン画の買い取り価格が10万ドン(¥500)、売られていた『特売品』の値札が25000ドン。
きっと傷ついたと思います、でもこれが現実なんです。

それでも部屋にこもりっきりになったのはたった2日だけで、見事に復活。
へこたれないし、気持の切り替えが早いのはベトナム女性の特性でもあると思います。
またデザイン画に取り組むし、試作の足踏みミシンの音が聞こえ始めました。
もちろんバイクを使っての『特攻売り込み』も。



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故郷の慣習に従って、『嫁取り式』と結婚式は4月29日に済ませました。
私たちに声がかからなかったのは新婦側の遠戚だから、この地方では送り出す側はごく簡素に身内と友人だけで、迎え入れる側はとても派手な式が執り行われます。
詳しくは『結婚式 in クアンガイ』の書庫にあります。


「背が高くてハンサムで、お金持ちでないと結婚なんかしない」
キムチは、お母さんを前に言い放ったことがあるそうです。
私は笑いながらお母さんに言いました。
「たぶん、いつか逆転劇が用意されていますよ、心配いらないと思います」
予言は、当たりました。

お相手は同郷クアンガイ省、サイゴンでエンジニアとして働いているそうです。
「理想の男性なのかい?」
ちょっかいを入れるつもりで聞いてみました。
「優しいし、面白いし、ユンボン(私のこと)と同じ外国での仕事の多いエンジニアだから、出張している間に私の仕事を自由に続けていいって。イメージは(10点満点の)ようやく6点かな」
たぶんこの『イメージ』とは、描いていた『理想像』との格差を彼女なりに表現したものだと思います。

「ご両親には?」
「これからです」とは、お相手のKyさんから。
二人にとって私がどんな人物像になっているのかは分かりません、引き取った家内が「あなたがいちばん『イシアタマ』だからでしょう?」
確かに自由を好むベトナム人にとって、日本式のルールはかなり堅苦しかったのかも知れません。
「イシアタマって?」
家内が説明すると大笑いの二人、「シュア!」

古くからブログを読んでいただいている方はご存じの通り、少数民族の同級生と結婚したいと甥っ子から相談された時には『できちゃった婚』をそそのかしたほどなのに、です。
私にも相手が女性と男性では二重人格的アドバイスをするのだと心当たりがゴツン。
思わず言ってしまいました、「シュア!」



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これがサイゴンでの披露宴招待状、5月15日(土)の19時からです。
自分でデザインをして、友人たちの協力で作り上げたというウエディングドレス、とっても楽しみです。


結婚式を挙げる前に引っ越していったわが家の空き部屋に、10日からご両親が逗留されています。
お昼はキムチがお世話になった方々へのご挨拶に同行、私も一緒に『サイゴンのパパ役』をこなす毎日。
披露宴当日に初めて顔を合わすことも珍しくない日本と比べて、地縁血縁を重んじるこのご挨拶は大変です。
連日3軒以上のお宅をタクシーで回ります、カンボジア旅行よりずっと気疲れするのは間違いありません。

そして夜は、中部からの美味しい海の幸で連日の宴会。
いろんなお客様もやってきてくれますから、三日三晩続くベトナム中部の結婚式には及ばなくとも、それに近いものになりつつあります。
今日はキムチのお兄さん、タンさんも到着。
また海産物の差し入れがありました、ひとりで持ってきたのが不思議なほど。
15日が終わるまでは、休肝日はなさそうです。

ブログに投稿の許可もいただきましたから、披露宴の写真は酔いつぶれるまで撮り続けます。

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