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これからの旅行記を続けるにあたって、これだけはみなさんに知っていただかなくてはならないことを、今回まとめておこうと思いました。 自分で書こうと思ったけれど感情が入るといけないと、朝日新聞の桜井泉記者が書いた記事とニューズウィーク日本版のジェフリー・ケイン記者の記事から抜粋してお伝えします。 朝日新聞の記事はまだ韓国大統領が盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代の執筆ですが、事実関係は今も変わりません。 ソウルの戦争記念館は、制服姿の軍人らでにぎわっていた。そこでは、ベトナムへの派兵について「共産侵略者と戦う自由ベトナムへの支援は、集団安保のための国土防衛策の一環だった」と説明されている。洞窟(どうくつ)に潜んでいる「ベトコン」(南ベトナム解放民族戦線)をいかに掃討したかを、図入りで誇らしげに示している。 「ベトコンは米兵とは戦ったが、韓国兵を見たら恐ろしくて逃げたんだ」。高校生を引率した教師の声が聞こえた。 それにしても、遠く離れ、自国の安全保障とは一見、無縁に見える戦争に、32万人もの兵をどうして出したのだろう。 ベトナム参戦が韓国経済にもたらした影響を研究している静岡大の朴根好(パク・クノ)教授(45)はアメリカの外交文書を詳しく調べ、「韓国の派兵は大義名分と実利が結びついたものだ」と結論づける。「大義名分」とは、朝鮮戦争で米国が韓国側とともに戦ってくれたことの恩返しだったという。 では、「実利」とは? 当時のブラウン駐韓米大使は、ハンフリー副大統領に、韓国の派兵が「一石三鳥プラスアルファ」の効果をもたらすと報告していた。三鳥とは、韓国の経済発展、韓米関係強化、韓国軍の戦闘能力向上だった。 61年5月のクーデターで権力を握った朴正熙(パク・チョンヒ)・国家再建最高会議議長(後の大統領)は11月にアメリカを訪問し、ケネディ大統領=写真=にベトナムへの派兵を持ち出した。アメリカの歓心を買い、軍事政権の正統性を認めてもらうことが重要だったからだ。実際の派兵は、ジョンソン大統領に代わってからだ。64年9月、まず医療部隊とテコンドーの教官を送った。 当時の韓国は、米国の援助も減り、外貨不足が深刻だった。じり貧を脱出する手だてが、ベトナム参戦による米国からの特需や援助と、65年に実現した日本との国交正常化に伴う経済協力資金の導入だった。 ベトナム戦争は、75年の「サイゴン陥落」で終わる。朴大統領はその4年後に暗殺されたが、以後も全斗煥(チョンドゥファン)、盧泰愚(ノテウ)と軍人出身の大統領が登場する。しかも2人ともベトナムで指揮官として活躍した。戦争の負の側面を公然と語るのは、その時代では監獄行きを覚悟しなければならなかった。 主要な週刊誌である「ハンギョレ21」が「韓国軍が、ベトナムで老人や子ども、女性をたくさん殺していた」との記事を掲載したのだ。 記事を書いたのは、ベトナムに留学中だった歴史専攻の大学院生、具秀セイ(ク・スジョン)さん(41)。韓国は92年にベトナムと国交を正常化し、具さんは翌年に留学した。97年暮れには、長いこと軍事政権によって弾圧されていた金大中(キムデジュン)氏が大統領に当選。こうした状況でパンドラの箱が開けられた。 ホーチミン市で今も事件の調査を続ける具さんに会った。きっかけは、韓国軍による民間人虐殺を調べたベトナム当局の内部文書を入手したことだったという。「妊婦や子どもを殺したという内容に驚いた。生き残った人から話を聞き、文書の内容が間違いないことを確認した」。具さんは、自らの聞き取りをもとに虐殺の被害が少なくとも9000人に及ぶとみる。 事件は66年2月に起きた。朝9時過ぎ、集落に入ってきた韓国兵が、村人68人を1カ所に集め、うつぶせにさせた。一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂(さくれつ)させた。12歳だった妹のフォンさんは頭をやられ、母は両足を一瞬にして失った。そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私も足をやられ、動けなかった。母に何もしてあげられず申し訳ない」。村で生き残ったのはロンさんら3人だけだった。 なぜ、武装していない人をたくさん殺したのか。聖公会大の韓洪九(ハ・ノング)教授は、朝鮮戦争との関連を指摘する。「兵士たちは、朝鮮戦争を体験した。共産主義者は人間ではない、殺されなければならない、という反共イデオロギーの中で成長した。『アカ狩り』への心理的な準備が整っていたのです」 韓国では、具さんの記事によって市民たちが動いた。民主化運動の担い手も多かった。「ハンギョレ21」で告発キャンペーンを展開した高ケイ兌(コギョンテ)記者(40)は「私たちは、日本の植民地支配の被害者だった。ベトナム戦争でも兵士が枯れ葉剤を浴びるなど、あくまで被害者だと思っていた。しかし虐殺が明るみに出て、加害者だったことがさらけ出された」と話す。 98年、金大中大統領はハノイを訪れ、ベトナム戦争についてこう述べた。 「過去の一時期、不幸な時期があったことを遺憾に思う」 この言葉に対し、ベトナムのファン・バン・カイ首相は「過去に区切りをつけ、未来を見つめよう」と述べただけだった。共産党独裁のもと、ドイモイと呼ばれる改革開放で経済発展を進めるベトナムにとって、韓国は重要なパートナーだ。そうした配慮もうかがわれる。 韓国軍は虐殺について、きちんとした真相調査をしていない。「包括的な過去の清算」を掲げてきた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、軍事政権による人権侵害の調査などを進めてきたが、なおこの問題に手をつけるまでには至っていない。【以上、朝日新聞】 日本政府と違って、韓国政府は自国の過去の蛮行を公式に認めようとしない。「このような意図的で組織的な民間人の虐殺を韓国軍が行うことはあり得ない」と韓国国防省の広報官は言う。「あればとっくに公になっていたはずだ」 「韓国軍は共産化を食い止めるために戦い、規律正しく任務を果たした。ベトナム女性への性的搾取は一切なかった」とも。 専門家によれば、資料不足で韓国兵の関与は確認しづらい。アメリカでもベトナムでも、米軍のソンミ村虐殺事件や枯れ葉剤使用については精力的に調査が進められた。だが韓国は80年代後半まで独裁政権下にあったため、批判的な報道は存在しなかった。 今日、ベトナムと韓国は経済的に強く結び付いており、どちらの側にも過去をほじくり返す気はなさそうだ。ベトナムへの投資額で韓国は世界第4位、二国間援助額では第2位だ。ベトナムのグエン・タン・ズン首相も、韓国を今日の繁栄に導いたサムスンのような財閥の成功例に学びたいと公言している。 韓国人も、今さらベトナム戦争の話はしたがらない。韓国は民間人虐殺を認め、謝罪すべきかと問うても、韓国の学者や政治家は口を開こうとしない。 韓国のある女子学生に言わせると、ベトナム戦争などは過去の話で、今さら考慮に値しない。問題の根本にあるのは「人種差別」で、ベトナムなど歯牙にもかけない韓国人が多いという。 ただし日本は「本当に気に障る」らしい。占領統治の歴史と戦後のライバル関係もあり、日本の悪行を暴くといえばたちまち国民は団結する。 「格下」のベトナムに自ら行った蛮行は気にしないが、日本にされたことは絶対許せないというわけだ。 「韓国兵の行為にはメディアも人権活動家も目を向けなかったから、韓国側は知らぬ存ぜぬで通すことができた」と、ベトナム戦争の元従軍記者でベトナムや韓国についての著書もあるドナルド・カークは指摘する。「以前、ベトナムで戦ったことのある韓国兵が300人殺したと自慢げに話すのを聞いたこともある」
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ここがヘンだよ
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初めて通る規模の小さな露店街でした。 目的は偽ブランドバッグの写真と価格、直接行くのはヤバいかなと隣のジーンズショップにまず冷やかしに入ってみました。 ここでツボにはまってしまいました。 私のウエストサイズは20歳代後半から同じ32インチ、33インチはちょっと大きいかなと思いながらも欲しくなってしまいました。 決して古着ではありません。 でも、皮パッチがかなり古そう、『Levi's』ではなく大文字での『LEVI'S』ですからホンモノであればこれだけでもお値打ちでしょう。 「これ、いくらですか?」 「8万ドン。レビースだよ、○国製だよ。新品だよ」 私たちはリーバイスと呼ぶんですけど、おばさんにはレビースなんですね。 タグは、確かに付いています。 ラルフローレンのポロジーンズのタグは新しそうです。 「???」 どうも店主のおばさんはよくご存じないと見えました。 メーカー名ではなく、私のベトナム語が理解できなかった可能性もあります。 皮パッチにある反対向きの馬は、『リーバイスのジーンは2頭の馬で引っ張っても破れない丈夫さ』を誇っています。 この縫製は、あまりにも乱雑。 値引き交渉にはあら探しをするといいなどとガイドブックに書かれていますが、私はあまり好みません。 二つのメーカー名といい、ジーンズの素材といい、この縫製といい、条件は揃い過ぎています。 もうひとつのネタだったこの汚れ。 「洗濯すれば簡単(に落ちる)」 そう言われていたのに、この通り残ったままです。 今日からの大掃除に活躍中、感覚的にはジャージの方が動きやすい気はします。 丈夫さがウリのジーンズ、4日間の酷使に耐えてくれるだけでもいいんですけどね。 手前の商品は2万ドン(¥86)、左奥の肌に直接つける商品はその半額。 通いなれて顔を知られたいつもの露店街では、決して撮れない写真です。 決して病気などではありませんので、どうかご心配なく。 |
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午後5時過ぎ。 もうすぐチビが帰ってくる時間だとベランダに出てみたら、こんな黒煙が上がっていました。 こちらで暮らし始めてから丸8年が過ぎたけれど、直接火災の発生を自宅から見たのはこれが二度目です。 けが人もなく消し止められたので『ぼや』の範疇に入ると思います。 今回はわが家からは遠くて、間には川もあるので直接被害の及ぶこともなさそうですが、テトを間近に控えた季節ですから被害はできるだけ抑えてほしいものです。 この辺りには高層建築はありません。 初期消火はまず住民たちで、これは自治会長に当たる『地区担』さんから何度か聞かされました。 約10分後、煙は白くなってきました。 きっとバケツリレーなどの効果が現れてきたのでしょう。 煙が風に乗ってやってきました。 刺激臭があって、現場近くの人たちが心配です。 15分後、はっきりと水蒸気とわかる色になっていました。 チビがお父さんのバイクに乗って戻ってきて、興奮した声で言います。 「チャイ ニャー(火事)、アッタゾー。コワイゾー」 「もう前の道は広くなったし、クー ホア(消防署)も近いからだいじょうぶ。でも、気をつけような」 これがわが家から東北に1kmほどにある消防署です。 ベトナムでは公安(警察)に所属する消防署の電話番号は、114番。 チビに尋ねると公安の113番とともにちゃんと知っていました。 これは高圧的ではないからという理由はもちろんでしょうが、日本でも『地震・雷・火事・女房』と恐れられるのは同じだからだと思います。 夜の小宴会でも、今日の火事が話題になったのは当然です。 どうやらけが人もなく、延焼も最小限に食い止められたそうでした。 原因は屋内配線のショートからとか。 「ベトナムでは電気関連からの事故が火災原因のトップ。日本は?」 そうみんなから訊ねられたけれど、知らないと答えておきました。 まさか『放火・放火の疑い』が22%で第1位だとは、ベトナムの人たちは知らないでしょうから。 |
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ボードひとつだけで露店を出す人たちが多くいます。 クリスマスカードの時期が終わると、こんな商品に総入れ替え。 封筒付きですから、いわば『テト・カード』と呼べばいいのでしょうか。 そもそも『はがき』を個人が使うことがまずないと思います。 もちろん制度としては存在しているし、絵葉書もいっぱい売られて入るんですけどね。 露店街で目に付くのは、赤と黄色。 テトのお飾りとぽち袋です。 ふだんは日用品のお店でも、いちばん目立ちそうなところに置かれます。 季節商品ですから、この時期に売り切ってしまわないと一年持ち越しになってしまうからでしょう。 ベトナム名物の大型マスクがメインのお店でも、一角にはぽち袋やお飾りが並べられます。 量としては、決して多くありません。 私も準備をしておくことにしました。 いつもぽち袋を買うのはこのお店、理由はいくつかあります。 『外国人料金』を適用されないこと、おかみさんが私のベトナム語を理解してくれること、常設店であること、など。 子年にはミッキーマウス、猫年にはキティちゃんのぽち袋もこのお店で買いました。 隣店のおばさんが「(店主さんは)トイレに行ったから、座って待ちなさい」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにします。 食事が終わった直後みたいだし、この人が値段を知っていれば、お金を預けてもいいなと思いました。 「いくらか、知っていますか?」 「小さい方は知ってるけど、大きな方はわからない。去年は○○ドンだったけど」 いいんですか?そこまで言っても。 来年は巳年、イラストのかわいいこの3種類を選びました。 大きな袋は義母やお世話になっている大人向け、小さな袋は子供用です。 簡体字でおわかりでしょうけど、ベトナム製はまだまだ品質が大国製に及びません。
印刷はもちろん、プレコートの糊も接着力が弱いし紙質が悪いし。 これだけはまだずっと致し方なくの購入です。 左の袋を開けてみました。 1パックは6枚入り、普通は同じデザインの袋が入っているんです。 おめでたい文字や向きは違っても同じキャラクターのはず。 特に左の2枚目からの3枚が去年の辰年用、これはいくらおおらかなベトナムでも失礼に当たります。 すぐに引き返して嫌な交換交渉に臨みました。 「龍は…いけないよね。次に使えるまで11年もある」 交換だけは応じてもらえました。 「どこで龍が入ったんでしょうね?」 中華街で仕入れた箱は、まだ封を開けていない輸入専用パッケージだったそうです。 |
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南部では乾季でテト(旧正月)の始まるまでが、結婚ラッシュです。 1月だけでも4組の出席予定があるのです。 これでも私を直接指名されたり、夫婦で招待されたりする宴にだけに限らせてもらって、『この人、誰だったかな?』なご招待は、遠慮させていただいています。 もちろん面白くないからと言って不義理のできない場合もありますから、家内とは『ネバさん』なる隠語で区別するようになりました。 行かねばならない場合が、『ネバさん』です。 今月の『ネバさん』は、この四組。 下の新婦名にある『Ngoc Tien』さんは、まだ中学生だった頃から知っています。 記憶に残る名前だったからでもあります。 なぜかと言うと…直訳すれば『Ngoc=玉』、『Tien=お金』ですから。 娘さん時代から『玉』のように健康的で、積極性の富んだ子でした。 彼女のご両親が私たちの式に出席していただいているし、お付き合いもずっと続いているので一も二もなく出席させていただきます。 教科は違っても、二人は同じ中学校の先生同士。 職場結婚です。 会場は地域の会館のようで小ぢんまりしているけれど、10人掛けの円卓が20ほど。 私たちの到着が少し早かったので、スライドショーを見ていました。 小学生の頃はチビの体格そっくり、これは口には出しませんでした。 もちろん最初は白いウエディングドレス。 シャンパンフローとケーキ入刀が終わって、お色直しは黄色のドレスです。 会場のみなさんにお礼のご挨拶回りが始まりました。 私たちの席に来て、記念写真を撮った後にわかりました。 日本では『アドバイザー』や『スタイリスト』がいるから、こんなことはないでしょうね。 チビの服にも気配りします。 |


