Kiyoshirooのブログ書と文章と時事

書と自然(生物)と音楽、そして時事に関するブログです

日記

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   究真 汲情    真を究め 情を汲む
  ずっと以前に 勤めていた 高校の校訓  簡潔で 学ぶことの必要・目標を 尽していると
  ついで に 言っておくと 校訓のいい学校は 「校歌」も いいですね 忘れたけど(笑)

 自分を いつもよく見せたいと 構えている人物は 自分の 知らない事柄に

 ついては 必要以上に 冷淡に 反応するものだ  ラ・ロシュフーコーのことば
                   これ 本当に 「あるある」ではーーー
                 私の場合 何度か訪ねてこういうことを感じたら 疎遠になってしまう

 We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
 僕らは 自分の すばらしさ と 不完全さの なかで 何よりも 自分自身を 愛することから
 学ばなければ いけない。      ジョン・レノンの ことば
           * そうだ しかし 自分自身に ついては 愛し過ぎても 良くない のでは と
              自分を愛する とは 自分に 誠実である ことか と

 I think our society is run by insane people for insane objectives.
 僕らの 社会は ばかげた目的の ために あきれた人々に よって 動かされて いる。
                     これも 同じくーー
 イギリスのリバプールに 生まれた ジョンは そのままなら ちょっと 音楽の 出来る
 不良っぽい ただの 青年で 終わったかもしれない 上の ことばは そうならなかった
 彼の 切実な 内省として 読めば 一層 奥行きを 増すように 思われる

                ある方 の ブログから 筆写したものが 含まれて います

 



 8月27日 朝6時 まだ丸い月が 西南の方向に 幾分 ひんやりとした かすかな風

 幾日も 雨が 降っていない

 もう咲く力も ないのか と 思っていた ムクゲの花が 急に また一斉に

 咲き始めた そうか 花木も 暑かったんだ  少し 涼しくなって 元気を 取り戻した? 

 午前9時40分 カミサンと 病院へ

 すぐに 入院手続き 3階の ナースセンターの 直ぐ前の 部屋

 30分後に 麻酔医からの 明日の 説明  13時15分 手術開始 予定 と

 私には 12時半には 来てくれと  麻酔が 完全に 覚める 4時くらいまでは 居ることに

 とくに 話すことも なくなり 11時くらいに 帰って来た

 8月28日 朝 長男から メール 昨日は 突然の ゲリラ雷雨で 帰りが 遅くなったと

 線路を くぐった 低い トンネルが 灌水して 15分の ところが 1時間かかった と

 「手術終わったら 仕事は 暇な日なので いつでも いいから メール下さい」 と

 モーニングショー で 日米地位協定 の 解説 かなり詳しく しかし 「殆んどの日本人は

 知らないでしょう」って おい それは 誰に どこに 原因が?? そう 20年前に

 こんなこと TVで流しても おかしくなかった 政府は自分の口からは 言えまい

 だからこそ マスコミに それを 解説する 責任があった このての 話題には 果敢な

 玉川氏 曰く 「日本は ずっと アメリカの植民地みたいなものですよ 敗戦以来」 そう

 シャワー 浴びて 時間ぎりぎりに なったが 病院へ 急行   が 余裕だった

 13時20分 カミサン 手術室へ それからの 時間の 長いこと  なかなか 立派な

 休憩室(談話室)で TV見ながら待つ アジア大会の ニュース やってたが 昨日夜 見た

 日本も 頑張ってる らしい 金43個と 言ってたが その上に 中國が 86個は スルー か

 誰も 居なかったので 教育TVに 合わせてーー 高校英語の講座 見ていた

 カミサンの 身体に メスが 入って行く ところを つい 想像して しまう いかん  で

 持論公論まで 見ていた  「帝王の娘・スベクヒャン」も ちょうど 見れた

 15時40分 呼ばれて 術後の 先生の 説明を 聴く すべて 予定通り と

 目の前に 私の 手の平を 広げた くらいの 切除部分が 「大事な カミサンの 身体の

 一部ですから 下さい アルコール漬けに します」 と言いたくなったが 我慢した (変人だ

 と 思われること 間違いないしーー)

 談話室に戻って 少し 残っていた 「スベクヒャン」の 続き 見る   「そうだ」と 息子にも

 メール 「終わった よ」 と

 夜 義妹 M から 電話 カミサンのスマホから 私の 携帯番号 送っていた 明日見舞いに

 来るというのだ 以前も そうしていた ように 近くの バス停まで 来てくれれば 車で

 一緒に と 最初 固辞していたがーーなにを 遠慮する

 8月29日 朝?1時半に 目が覚めた 外に出ると まだ まあるい月が南の空に

 コーヒー飲んだり よそのブログ訪問したり  朝 点てた コーヒーが 「今日は 旨い」 と

 感じられる こと こんな国で こんな 政府の もとで 生きてれば 他に 何の幸せがある?

 以前も 書いた  NHKのニュースなぞ 嘘くさくて 見てられん いちいち文句呟くのも飽きた

 さて 朝ドラ見て 朝食も済ませ 庭の あちこちに 水を撒き 一息いれて モーニングショー

 「報ステ」壊滅で これくらいか ヤレヤレ 大日本帝国 バンザイ!

 最近 睡眠時間 不規則で 朝食のあと 眠たくなる こりゃ いよいよ お迎え がーー

 なんとか 昼食のあと 目覚めて あわてて 携帯に 電源を きたきた 着信 「今どこ?」

 「ええとね ○○だって」 と義妹  ゲッ 5分もない 慌てて 車に乗り バス停に いたいた

 待たせること ほんの 数分で済む よしよし  病院には 面会時間の2時より 30分も

 早く着いたが 別に何も言われなかった 姉妹の 話もあるだろう 私は 談話室に行って

 出来るだけ 二人にしておいた

 8月30日 朝3時半 起床 空には アーモンドの月

 病院から 戻り すぐに 町の ホールに 「あん」の 上映会に どこか デジャブー?が

 予告編?見ていたか

 樹木希林 市原悦子 永瀬正敏 内田伽羅 ら 河瀬直美 監督

 河瀬監督の 映画作りの 調子が 見えたように 感じた 画面に「山」を 作らない

 そこに 流れる 「日常感」を 大切に しているのか?

 8月31日 朝4時 深夜ラジオ 白井聡X保坂正康 「平成という時代」(その1)を 聴く

 昭和天皇 平成天皇

 平成という 時代  アメリカの庇護から はずれて(東西冷戦の終わり)

 平板に流れた 平成の時代 冷戦構造がなくなっても 属国という 実態 人々の無自覚

 アメリカン・デモクラシーの実態・体

 保坂 天皇機関説を 大学で実演と

 9月1日(土) 今日も昨日と 同じ 朝から 雨降り ようやく 観劇の チケット 取りに

 届ける 洗濯物は なかったが 病院へ 昨日夜 勤務先の幹部3人 見まいに 来てくれた

 とか 夕方 カミサンに 「ブラタモリ」あるぞ と メール

 ところが 自分も 「ブラタモリ」見るつもりが ETVに 行ってみると 「パパママの学校}?と

 いった 番組に ぶつかって 思わず 引き込まれた どこ?アメリカだろうか いろんな人種の

 親が いそうな 学校で 1週間 6年生の 保護者だけの クラスを つくり 子どもと同じ

 時間で 学校生活を 経験してもらう という 試み これは 興味深かった(あとで詳述)

 あとは ブラタモリ 後半を 見 さらに すぐに 始まった 「不惑のラグビー」というドラマ

 やっぱり NHKは いいドラマ 作るんだな これがーーニュースは嘘くさいがーーあはは



                         つ づ く

 命日に 飾る 花さえ 庭に なく

  まだ まだ 暑い 今の時季は ただでさえ 花が 少ない うちでは ムクゲくらいは

   咲いて いるが これは 次の日には しぼんでしまう 一日花だ やむを得ず

   近くの お店で 花を 買った


 8月18日 早朝4時過ぎに 起きた
 
 戸外に 出ると この間までの ムッと する 暑さじゃない 膚に涼しい 空気
 
 昨夜 8月17日11時頃 外では 西南方向に 半月が 輝き 周りにも 星々が

 昨日は 息子が ヒマそうに していたので

 もと 教え子の 食堂に 連れて 行った

 帰り道 息子は 〇〇ダムが 見たい と言ったが 結局 私は 同意しなかった

 職場にも 関係し 何度も 来たことのある そのダムでも 見ておこうか というのは

 分からなくは ないが 私の 車は 小さい こんなので あんな 山の 方まで 登れるかい と

 それに 明日は 帰るんだぞ で 書店に 行こう と なり 二人で  立ち寄った

 息子は 向こうの 文庫の コーナーの方へ

 私は 単行本の 新刊の 辺りを 見ていた

 ここは 全く 品揃えが 合わない  無論 私に

 畳 一枚分ほどの 平台に 積まれた 本の 半分は 要は 「処世術」 の 本だ

 どう 職場の先輩と付き合うか どうやったら 「力のある」?人に気に入られるか ??

 処世術って 昔 〇・カーネギー とか いう 人の 「人を動かす」とかいう 本 必死で

 読んでた 友人が いたが 仮に その本が 「正解」だったとしても そこに書かれたことを

 実践して 上手く行っても それは その本の説いていたことが 正しかったことの 証明?に?

 いや  読んで 実行に 努めた 人間には なにが 残る?

 私は そこに なにか 不遜な ものを 感じて 好きに なれなかった

 日本人 まことに いじましい ぞ −−−対人関係に ばかり 気 使ってるうちに もっとーー

 そんな ことを 考えながら ボンヤリと 書棚を 眺めて いると

 右(入り口の方)から 一人の 初老の なかなか 立派な 身なりの 人が やって来る

 チラッと見て すぐに それが Kクンだと 気付いた 随分 昔の 私の 書道の お弟子の

 Kクン 息子と 向こうの娘が 同級だった それからも20年 最初に出会ってからは30年

 しかし 何十年ぶりに 出会って 今更 落胆するのは 身体に 良くないぞ シミジミ

 そういえば 15日 息子と ちょっと 出かけた 帰り 例の 国道沿いの 韓国料理の

 店に 立ち寄った オバチャン 居た居た 「これ 息子です」 と 紹介 「若いねぇ

 20代にしか 見えないよ」と 言われた 「今 白菜が 高くてねぇ ネギキムチ しか ないよ」と

 言われたが 息子 「ネギキムチも 好きですよ」 と言う オバチャン 「そうー じゃぁ」と

 冷蔵庫から 白菜キムチに 比べると 小さい 樽を 引っ張り出して 丸い プラ容器に

 500円玉 出したら 「悪いねぇ オツリが 足りないよ」 と また 一掴み 足してくれた

 300円 だって 充分に 安いのに こんな オバチャン いまどき 日本人に 居るかな

 「あの オバチャンがな オフクロに 似てるんだ」 と言うと 息子 「−−」 神妙な顔で 頷く

 ネギキムチ 大事に まだ チビチビ 食べている

 夜9時過ぎ

 息子が 「となりのトトロ」でも 見ましょう と言って チャンネル 変えた

 もう 始まって いたが まだ 親子(お父さん と 娘二人)が 田舎の家に 越して来て すぐ

 懐かしい音楽と 登場人物  一瞬にその場が和む 「真っ黒 クロスケ」 「オジャマジャクシ」

 「カンタァー」 など 私も 口真似 これに 出てくる 名シーンは たくさん ある 最後の方

 ホラ 出たぞ ネコバス 一体 足 何本 あるんだ!

 宮崎 駿 は偉大だ 奥行きも大きさもある 「埼玉の狭山に トトロの里ってあるよ」と 息子

 「狭山でなくったって これ 昔の日本だよ どこにもあったような 自然と家庭さ」 と 私

 庭や 野原の 草1本まで いかにも ありそうな 姿を 描き出しているのだ どれだけ

 観察したのか 具体的に 写真とか 参考にしたのか と 想像する



 さて 8月18日  今日 夕方 息子は 埼玉に 戻って行く

 家からは 15キロほど 離れた(田舎では すぐ 近く?) 従弟の 家に 訪ねる 叔父の初盆

 そのまま こちらを 発つ 息子も 同道 じつは 以前から この 従弟には 息子を

 紹介して おきたかった 彼は役場勤務は 卒業したが 教育畑が長く ナカナカの

 知識人だ 息子も 感心していた 談笑 1時間 また是非会ってやって と 言いつつ 辞去

 そこから 2キロの 大型マーケットに 息子 職場への 土産を 買う こちらは パンを少し

 午後 4時半 電車の駅まで 息子を 送る

 8月19日 1週間ぶりの 息子の いない 朝 

 遅れていた カミサンの車の オイル交換に

 気が付けば いつの間にか アブラゼミの 声は ほとんど 聴かれず

 ツクツクばかりが 五月蠅いほど 鳴き立てている

 息子は 夏の暑さを 道連れに 帰って行ったのか そうかーー

 気の抜けた こころに 穴の 空いた気分 さぁ 日常を 取り戻すぞ

 大河より 韓ドラ 「オクニョ」 ではーー    NHKで 夜11時から と 少し遅いが

 「オクニョ(獄女ーー玉女)」 は 面白い 大河「西郷どん」 には 少々 飽きてきた

 オクニョ は たまたま 典獄舎(チュノクソ)を お忍びで 訪ねて来た 王さま を

 識る  このあたり 「トンイ」の パクリかという 気もするが まぁ いいだろう ともかく

 ようやく 物語が ダイナミックに 動き出した 気がする 以前から オクニョを 憎からず

 思っている ユン・テウォン と 捕盗庁(ポドチョン)の 長 と 王さまの 三人の

 オクニョ を めぐって の 関係 と 悪女 チョン・ナンジョン と ユン・テウォン の

 攻防 と  いくつかの 伏線が さらに 増えるのか −−さて

 どこかの ブログには 韓ドラーー以前は よく見ていたが 日本に イチャモンばかり

 付けて来る 韓国に 嫌気が さして 最近は 見なくなった という コメントが

 あったのだが 大きな お世話を 承知で 言わせて 頂けば 「勿体ない」と 思った

 この人 何新聞 読んでるんだろう  こうした 大衆的な ドラマの 中にこそ その国の

 民度 も 国民性も 顕れるのでは? 「韓国は 熱い」 そして 「義理堅い」 国 だと 思う

 私は そう思っている 出来れば あの男 と 文さんを とっかえたい?? あははーー

 大河の方は これは まぁ 原作 か 脚本か ちょっと ねぇーー 日韓の 歴史ドラマ

 というものに 対する 態度の 違いが よく 分かる と 思う

 一見 本当らしくて その実 小さな嘘が 積み重なって 最後は 大きな 嘘に 終わる?

 これ どこかの国の 政権の 模倣か?

 日本教 いまだ 死なず この間に NHKも 珍しく 良心的な 番組 いくつか しかし

 日本教は 健在なり 中國・韓国には どこか 不自然なほど 意地悪い 番組も

 今日 たまたま 見た 民放では 例のタイの洞窟に 閉じ込められた 少年たちの

 救出に 「じつは 日本からの 応援も 大活躍していたんです」と 止めてくれ 今更

 それに 世界中が 協力したんだろ?

 さて 明日21日は オフクロの 命日だ

 21日(火) 6時起床 朝は 庭の水撒き その後 10時くらいまで 曇っていたが

 次第に 晴れて 暑くなってきた 10時半くらいに 墓所に着いたが そこは 回りに

 丸い小石が 敷き詰められた案配で それも 日光を 吸収して 一層 暑かった

 前に 来た時の ローソクが 溶けかけて 墓石に こびり付いている

 僅かばかりの 花を 供え 線香を 焚き 墓石に 水を掛け 手を合わせ 帰って来た

 三十年以上も昔 オフクロは死んだ 郷里に戻ってひと月後 私の息子の 顔も 知らない

 「一応 あなたの 旦那(つまり 父)に 負けない 程度の 秀才には 育ったよ(父は

 某師範学校に 4番で 合格したとか) 人間? それは どうかなぁー」 などと

 呟きかけてーー

 大分の人が 山口の2歳児を 30分で 発見・救出した 事件で 大分県は11月の県の

 功労者表彰に 加えることを 検討しているという 県には 50件以上の 推薦・要望が

 寄せられた とか 良い話だ お役所が それなりの ポストに 居た人を 推す などという

 「紋切型」 より ずっと いいのではないでしょうか

 19号台風は 当地の 西側を 21日に 過ぎて行き

 20号は 23日 夜半に東を 過ぎて 行った いまは 夜中の 1時半 起きたら 雨が

 降ったようす

 これだけが 台風の 余波だった?

 そして24日午前までは まだ 南からの 風だったのが 午後は ようやく いつもの

 西風に 変った まだ 時々 強すぎるくらいの 風 だが


                     つ づ く

 当地方も 数日前から 早朝は 随分 涼しく なりました

 残暑お見舞い 申し上げます 皆さま いま暫らくの 暑さは 辛抱の 上

 この夏を 乗り越え ましょう


 1945年 8月9日 午前11時2分 長崎市に 二発目の 原子爆弾が 投下されたのだ

 TVの 甲子園の 中継を 見ながら 時々 NHK綜合に 切り替えて みていた ちょうど

 11時に 長崎からの 中継が 始まった 見覚えの ある 平和公園 巨大なテントの

 下に 大勢の 人々  ことしは 国連事務総長の グテーレス氏が 国連代表として

 初めて 参加したし もちろん 立派なスピーチだった  しかし それ以上に 田上長崎市長の

 スピーチ(平和宣言)には 注目している そして 地元の一般代表の 挨拶も 毎年 立派

 一昨年だったか 年配のもと教師?の 女性の挨拶も 毅然とした気概に満ち 立派だった

 TVカメラは 容赦なく 政府を批判している最中の ABEの表情も 映し出す 今年もーー

 NHKの 中継にしては やるじゃないか これ 地元の スタッフの仕業か?なんてーー

 片目つぶったり パチパチ 瞬きして 落ち着かない 様子 まぁ こんなもんだ

 毎年 ヒロシマ以上に ナガサキの 原爆慰霊祭には 感銘を 受ける

  長崎には 何度も 行った 友人T氏が ここの大学を 出ていて 街中の 記念碑などにも

 詳しかったので 二人で 一泊二日の ケチケチ旅行 と 称して 出かけた

 長崎は 僅かな平地を(これが 町の 中心部) 除けば 坂に囲まれた 町だ

 そのナガサキの町を 端から端まで 歩かされたので 筋肉痛に なった 私だって

 陸上やテニスで 鍛えたつもりだったが 自転車で学校まで 片道20キロを 通勤して来る

 (彼は 車の免許を持っていなかった)友人の 健脚ぶりは 並みはずれており 恨めしかった

 車で 行ったんじゃ 却って 行動が 制約される という 彼の 言い分は 尤もだったし

 彼は 行く前に 何度か 地図と にらめっこ して ルートを 練り上げて いた それに

 したがって 私は いわば 「引きずり回された」のである なんちゃって まあ お任せだった

 T氏といえば 理科の教員だったのに 文章の上手いのに 驚いたことが ある

 学校内の 校友誌に 職員紹介のような 文章を 載せたのだが これが 実に 見事だった

 各人の人物を浮き上がらせる 皮肉とユーモアの混じったような それでいて 冷たくはなく

 エスプリの貫徹した 無類の文章だった

 同様に 彼は 談話の 名手でも あって ボソボソと 呟くように 話す その 中味は

 いつも 独特の 断面から 物事を 切り裂いて 見せる ような 芸を 感じさせた

  単に 「数学が得意」といった 頭の良い人は 多いだろうが 「感性」も 備わったという人は

 多くは ない

 彼のお父さんは 戦後暫らく 地方都市(人口約20万)で 個人編集新聞を 出されていたと

 いう ユニークな 人で 俳句・川柳・短歌の 腕も 相当なものだったという

 「小さい時に そういう 文化に 触れるって なんか あるよね」 とは 昨日の 彼の弁

 じつは 書きかけて 懐かしくなり 電話で 数年ぶりに 話した   娘さんが 大阪で 就職

 神戸の マンションに 引っ越した  奥さんは それでも? 最後は 横浜の

 マンションに 移りたかった というから これも すごい な と 「嫁さんさ こっそり 横浜の

 マンション いくつか 見に行ってたんだよ すごい なってー」 これは まだ 彼が

 こちら(九州)に 残って 学校勤めを 続けていた時だろう  結局 横浜に 移るのには

 どうしても 1千万くらい 足りない と 分かり 諦めた と

 長崎の「平和祈念祭」に ついて 書きだしたのに つい 話が 逸れて しまった

 極 最近に 再発見された 資料で 米・英が 原爆の 使用に ついて 互いの

 承認を 必要とする との 密約を 1943年には 結んでいたことが 判明した と

 さらに 1944年 7月には 原爆は 日本に対して 使用される ことが 確認されていたと

 ドイツは すでに 敗色濃厚で 使う必要もないという 判断だったと

 最近 YOU−TUBEで 前川喜平さんの 講演を よく 見て(聴いて)いる

 こんな人が 現場の教師だったら と つい思ってしまう まぁ 東大を 首席で 卒業?した

 ような 人がーー 願望だが  亡くなった I 先生は こんな 感じの 先生だった

 生徒を さげすまず 傷つけず 暖かく 優しくーー先生が 広島高師時代に 被爆されて

 居たことを 知ったのは 先生が 亡くなられた あとだった 畏友 Kも 「あの 先生だけは

 俺も 尊敬するなぁー」 と 言って いた

 11日の甲子園 公立の 三重・白山高と 愛知・愛工大名電の 試合 初出場の 白山は

 10−0の スコアで 敗れたが 6年前には 部員が 5人という 状態から スタートして

 61校の 頂点に 立った という 紹介も あってか 最後まで 観客席も 熱い声援で

 強く 印象に 残った これを 「判官贔屓」 とだけ 片づけては済むまい

 12日に 息子が 帰って来ると いう 30過ぎても 律儀に 戻って来るのは

 友人も こちらに 居るからだろうが まぁ 有難いと 喜んで おくか  カミサンには

 「車で 帰って 来ないと 足がない どこ行くにも 不便」 とか ボヤイていた と

 いうが ほとんど 私が アッシィー君 勤めてる 訳で まぁ そう言うなよ と

 ガソリン代 と 高速料金で 2万近くかかり おまけに 草臥れたんでは アホらしいダロ?

 昨12日 午後 4時40分 息子 帰る 途中少し渋滞したが なんとか 駅に 出迎え

 第一声は 「やぁ どうも ありがとう」 帰りに 大きな マーケットで お惣菜 と パンを 買う 

 「給料取ですから」と 息子が 支払って くれた

 12日 YOU−TUBEで 「知ってる つもり?」 の 勝 海舟 編 を見た(かなり 古い)

 海舟に ついては 学生時代から 少しは 本も読み ある程度は 知っていたが

 今回 彼の 30代 あるいは 晩年の 書 それも 日常の メモの ような 物まで 見て

 あらためて その 達筆に 舌を巻いた 当時 ひとかどの 人物は 大抵 この位な 字は

 書いていた と すれば   現代の 大抵の 書家など 到底 太刀打ち 出来ない

 「素人に 毛の生えた」という 表現が あるが それ以前 『全くの 素人』 レベルだ

 可能なら どんな風に 学んだのか 直に 訊いてみたい 現代人より 観察力 理解力

 ともに はるかに 上では なかろうか とにかく 自在で 線が生きている

 翁長雄志 沖縄県知事の逝去で 思い出した 学生時代 北関東の ちょっとした地方都市に

 いたのだが 下宿の 大家は 一緒に 間借りしていた 沖縄出身の 学生たちを 指して

 「あの人たちは ちょっと 違うからね」と 言っていた 差別以外の 何物でもないだろう

 辺野古が 問題に なっている 今も そうなのだろうか 

 12日 夜 NHKスペシャル「12万人の戦災孤児」(記憶によってー) は 衝撃的な
             (NHKスペシャル「戦災孤児 駅の子の戦い」が 本当か)
 番組だった 敗戦後 上野駅はじめ 全国の駅などに 身を寄せる他なかった 戦災孤児たち

  彼らは 戦争に負けた途端 我先に 自分のことしか 考えなくなった 大人たちに依って

 忌み嫌われ 水を飲んで 飢えをしのぐような 日々を 耐えたという

  TVには 実際そうして 生きていたという 経験者が 登場した

 ある人は 栄養失調が もとで 失明した そして いつも やさしく 寄り添って くれた

 「ハルチャン」という 男の子は ある日 列車に 飛び込んで 永久に去ってしまうのだ

 戦争中 あれほど 「一体化」を 強調してきた 国や大人たちが 敗戦を機に 豹変する

 日本政府は 有効な 対策を立てられず 2年後 GHQの強力な介入・指導に よって

 漸く 日本全国に 「収容所」が 設けられ 少しずつ 事態は改善に向かう ケッ 外圧かい

 結局 「国は いざと なったら 国民を 助けない」(高橋源一郎) という 冷徹な 事実

 この子たちの内で 成長した(出来た)人たちが ようやく 声を挙げた 結婚したが

 そんな 1年間を 過ごしたという 事実だけは どうしても 夫に 言えなかった という女性も

 これほど リアルな 番組は 久々に 見た気がした NHK かろうじて 生きていたか

 15日夜 NHK 8時半 「ノモンハン事件(責任なき戦争)」 だったか これも 出色の

 特集だった 「敵を知り、おのれを知る」ことなく 始まった ノモンハン事件 参謀本部も

 強力な指導力は 発揮できず 「現地軍に任せておけば なんとかなるだろう」 と これは

 まるで 植木 等 の 歌った 「スーダラ節」 の 文句だが 結局 そうでも言う他ない

 「無責任構造」の 中で 軍は 泥沼に 嵌まって いく

 現地の参謀の一部の 強硬論に 引きずられて いく そして そういう人が 責任は

 取らない 日大アメフト部 も ボクシング協会 も しかり 政府が そうだもの な

 つまり 日本の 社会構造は 少しも 変ってない ことに 改めて 驚くべきだ 違うか?

 15・16日と 雨が降った 15日は軽い 夕立程度だったが 16日は 午後3時ごろから

 1時間以上 かなり 強く 降った 久々のこと

 15日は 近くの町に 買い物に出かけ 途中 通りがかりに いつもの 韓国料理の店で

 (ただし 裏口で) キムチを 分けてもらった ここの オバチャンが 実は 私の 母親に

 ちょっと 似ている 若い頃は さぞかし 美人だったろう と 思う  私は ちっとも 母に

 似てない(残念!) 「白菜が 高くなり過ぎて ネギキムチしかないよ」 と 例によって

 大マケに まけてくれた 息子を 紹介したら 「若いねえ 32なんて 見えないよ」 と

 この オバチャンの 笑顔が 大好き なのだ こんど お菓子くらい 持って来なくちゃ

 15日 広島で 3日間行方不明だった 2歳の男の子 無事に見つかる 大分から 来た

 ボランティアの オジサンが 30分足らずで 発見 すごい このオジサン エライ・スゴイ

 独特の勘と経験に したがって 一人で 行動したからこその 結果 ということが 大事な点

 16日 10日 ほど前に カミサンと 行った 「街道カフェ Y」 に  息子と 庭で一服

 息子も 喜んでた 多種多様の 植物の ある庭を眺め 「植物も 好きなんだけどね

 メチャクチャ 好きと言う ほどでも ないのよね 動物の方が好きかな」 だそうだ

 いいから!ーーー人間の♀が 好きになったらどうだ (笑)

 戻って 一休みして カミサンと JAに 買い物に 息子との時間も あと 2日かーー

 4・5日前から 腰痛と右足のシビレが ぶり返し 機嫌悪し ああーー息子とケンカしそうだ

 それでも 澄ました?顔して 教室にだけは 顔を出す これが 出来なくなったらオサラバだ

 そう 覚悟している

                    つ づ く

 8月6日 ヒロシマ原爆の日 8時15分 黙禱

 なぜか ヒロシマの記念行事よりも ナガサキのそれに 毎年 感銘がーー

 しかし 今年の ヒロシマの 記念行事は 一歩踏み込んだ 印象も

 明日終わると 思い込んでいた 「テ・バク」が今日 終わって しまった そこで

 印象的な セリフに 充ちていた この ドラマから いくつかを メモった ただし

 ドラマの 終わりに 近付いてからのもので じつは 途中の 方が もっと 含蓄のある言葉が

 多かった


 「この国が 矛盾だらけ なのだ」 (策士 イ・インジャの ことば)

 「私は 民のために 立ち上がった」

 「いつか 必ず 民に とって この私が 百万倍 千万倍 必要な 人間で

                 あったことが 分かるだろう」

 「それが 王の道だ 我執と独断 そして 孤独だ」(ペク・テギルの師匠キム・チェゴンの言葉)

 「それぞれの 場所で その重みに 耐えるのが 人生だ」

 「民の心は 葦のように 又 風が吹き 揺れるかも 知れません」(ペク・テギルのことば)

 「民も 道を 知っています 私が 殿下を 退けて そこに 坐ったら 黙っては いません」

 「玉座に 坐った 王には 悲しむ 暇など ない」 (テ・ギルの弟 英祖のことば)

 「王の 上に 法は ない」

  このドラマに 出会ったことは 一つの 大きな 僥倖だった

 はじめ 私は この ドラマの 筋が 面白いのだと 勘違いしていた じつは こうした

 登場人物の 会話の 深遠さに 惹かれていたのだと 今になって 思い知った 次第

 短絡的に 教育的ではなく 相手が 幼くても 「まるで 謎かけ」の ような 会話

 主人公は 大人たちの ことばを 時に 回想しながら 成長する

 遊び人の両班 ペク・マングムの 息子 ペク・テギルは 王宮で 王・粛宗の 息子として

 生まれ 「永壽(ヨンス)」という 名も 持っていた しかし 王妃に 脅され 息子の命の

 危機を 感じた 母親の 側室(これがトンイに当たる)は 臣下に 命じて その子を 王宮の

 外に 逃がす 臣下は 夫であった マングムの 元に 子を それが テ・ギルと 呼ばれる

 マングムは それが 自分の子 だと 悟り 本気で世話する 父のことばの影響下に

 成長する マングムも どこかに 優しさや 真面目さを 残していたことも 救いだった

 やがて キム・ジェゴンという 剣の達人に 巡り会い 目覚めて いく テギル(大吉)

 もっと 早くから 時に 詩的 いや 哲学的でさえ あった この 物語の 登場人物の

 ことば や 会話を 注意深く 聴いておくべきだった まったく 後悔するのが 遅い男だ

 それに しても こんなドラマを生み出す 恐るべし 韓国ドラマ 恐るべし 韓国人民

 国策報道 NHKの 情報操作が 目にあまる ので もう いちいち 指摘するのも 

 アホらしく なってきた もっとも 偶には 「どんな風に情報操作しているか」と 意地悪な目で

 「批判的に見る」訓練になるかも 知れない あまり 「生産的」とは 思えないが

  それにしても 「大河ドラマ」も ひどい なぁ あれほど 余裕に満ちていた 慶喜が

 なに 徳川政権を 守る為 ? 余りにも急に 悪者に し過ぎだろう 見る気も なくなった

 そりゃ ABE 御推奨の 明治維新150年 の 記念? 大河だろうがーー

 鈴木亮平 や 瑛太も 困ってないかい? いや ただの 芸能人かな

 これからは 夜の 「オクニョ」 だけ見よう ようやく 筋にも 動きが 出てきて 登場人物の

 これからの 変化が  面白く なってきたーー

 5日の 甲子園野球の 入場行進に ついて どこか 不自然な その 様子について

 「学徒出陣」が モデルでは ないか と 指摘された方が あり 私も 同感なのだが

 (というか 私は 北朝鮮の 兵士を 連想したが)

 仔細に 見ていると 何チーム目かに なると ただ 普通に スタスタ歩いて来るチームも

 あり 数年前に 比べれば だいぶ 自由に なったな と 感じた  行進が 見事に

 揃っていて 立派だった などというのは 危険な思想だと 思っている バラバラくらいがいい

 「テ・バク」のあとの 韓ドラ 「帝王の娘・スベクヒャン」とか まだ3回しか 見てないが 初めは

 韓国にも B級映画 違った B級歴史ドラマ というものが あるのか と ガッカリしてたが

  少し 面白くなって来そうだ 今しばらく 見ているか と

 翁長沖縄県知事が 死去 NHK午後7時の ニュースだったと思う 驚いた

 8日 午後6時43分 という

 辞職の手続きは あらかじめの指示に依って 済ませてあったらしい  辺野古の基地

 移転 問題では 初心を 貫き 国と 激しく 対立 これから どうなる 辺野古ーー

 辺野古が 出来上がれば 本当に 普天間が 返って来るのか 不透明との 意見も

 しかしこんな時でも マスコミは 連日の猛暑と(しかも これが 最初に来る)

 関東直撃?台風 と 日本ボクシング協会の 話題かい? 〇ソ マスコミーー

 関東直撃の方は 東に 逸れ加減で 通過 息子の 住む さいたま など

 少し 雨が降った 程度と

 安室奈美恵さんの 翁長知事 追悼の 言葉に ネトウヨが 絡んでいるとか

 それなら 新幹線ナンチャラの 今井恵理子は どうなのだ 自民党はいい?

 どこまで 人の尊厳 の 分からない 連中かなぁーーー

                                   つ づ く

 無辜の 人民の犠牲の 上で 玉座に 就こうなどと 私は 考えない」

              (韓ドラ「テ・バク」 先王の 甥 密豊君(ミップングン)の ことば)

 ミップングンは 反乱軍の 首魁に 祭り上げられるが 黒幕の イ・インジャが 百姓を

 平気で 切り殺すのを 見て 自ら 投降する  王・ 英祖は ゆえに 彼を 赦す

 ここ3か月 楽しみに 見て来た 「テ・バク」が 来週 火曜で 終わる らしい

 古い韓国ドラマだが なかなか 興味深かった チャン・グンソクは ほんとに いい男だった

 日本なら 齋藤工 か 佐藤健 か というところか  それにしても 冒頭の ことば

 どこかの 国の 総理とやらに 聴かせたい ものだ

 8月3日(金) 朝9時少し前に 家を出た 義弟の 初盆が お寺との 調整が つかず

 この日に なった もう 陽は高く 車の中も とても 暑かった 寺まで 車で25分

 若い 坊さんが 真面目に 丁寧に お経を 上げてくれた 「仏説阿弥陀経」 ほか

 義弟は 今年の 4月はじめ 100キロほど 離れた 地方都市の 病院で 亡くなった

 3年ほど 植物状態だった 原因は脳梗塞だった

 亡くなった との 知らせを 受けて 葬儀には 100キロ先まで行った ほとんど 知人もなく

 寂しい 葬儀だった 春なのに 台風に近い 低気圧が 通過して 雨も風も 強い日だった

 さて この 初盆法事とは 別に この日は 私たち夫婦に とっても 記念すべき日だった

 それで どこへ 行こうか と 一旦家に 戻って ちょっと話し 家から 7キロほどの

 古い民家を 再生した 蕎麦屋に 行った 2年ぶり くらいか  いつもより 少し 贅沢な

 コースを 頼み 堪能した それから 帰り道 車で 3キロほど 戻った辺りで

 「まっすぐ帰る?」と カミサンが 言うので 「もう一軒くらい 寄っても いいよ」と 答えた

 「この間 TVに 出てたお店が あるのよ」と カミサン  ちょっと 個性的な 俳優が

 「古民家カフェ」を 紹介している 番組で 近くの店が 紹介されてた と いうのだ

 「たしか もうすぐよ ほら あれ」と 小さなのぼりが 立っていた 20メートルほど手前の

 駐車場に 車を 停めて 歩いて行くと 見覚えの ある 造りの 家だった 以前 何かの

 用事で この辺りを 通った時 立派な家だな と 記憶していた そこが カフェに

 なっていたのだ だから 出来て 数年だろう 屋根瓦を載せた 立派な門は 武家の屋敷と

 いうほどでは ないが 相当 裕福な 家 だった と 思われた 玄関だけは アルミサッシで

 改造されてたが 中は おそらく 昔の 土間の 名残か 10畳くらいの 広さのスペースが

 先ず あって テーブルが四つ その奥は 一段高くなっていた 柱や梁も 太くて 立派

 スピーカーが いくつか 置いてあって クラッシックが システムは 高価なものではなかったが

 無論 安物でもない 何より 棚に 置かれた 書籍類が 花の細密画だったり 趣味が

 良かった こんなところに 「ドストエフスキー」などは 似合うまい

 帰りに 外に出 あらためて 庭の あちこちを 見ると いろんな 植物が まぁ あるはあるは

 一度 店に 来た人が 次に来るときに 携えて 来てくれた とか 店に居たのは 四十くらいの

 感じのいい女性(私は こういうのに 弱い 笑) 何か 持って来るか

 じつは 8月1日の 医師の 説明で カミサンの 身体の 腫瘍の 性質が 判明

 一つは 悪性だった まだ 小さいので 今月末 手術する ベテランの看護師の カミサンも

 自分のこととなると 心細そうだった

 病院を出ながら 小さくためいきを つく 悄然とした カミサンの 背中 眺めて 「元気出せよ

 私が 毎日 訪ねて来るから あらぁー 来てくれたのね 会いたかったわぁー」 って

 言うんだぞ と言うと カミサン 「何言ってるの オカァチャン 会いたかったよぉー って

 言いながら 来るのよ」 ですと 女も だんだん 強くなる?

 息子は 「盆の 帰省 あとに ずらそうか?」 と 訊いて来たらしい 「とくに すること

 ないだろうし 其の儘で いいんじゃないの」と カミサン 答えたらしい 思い出した

 この 息子を 産んだ時も カミサン いつの間にか 必要な 物は バッグに 詰めて

 用意していた 私は それを 提げて 付いて行った だけ

 8月4日(土) 今日は アンネ・フランクが アムステルダムの 隠れ家で ゲシュタポに

 掴まった 日 とか 彼女は 収容所で 病気で 亡くなったが その 潜伏先に 置き忘れられ

 後に 発見された 日記で 後世に 知られることに なる

                         つ づ く

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