|
哲学メモ147
必ず当たるおみくじ
そのおみくじにはこのような文が記されている。
「大吉。御覧のように、今日あなたはおみくじで大吉を出す。でも浮かれないで普段通りに過ごすように」
この予言は必ず的中する。なぜそうなるのだろうか。先ず文中の「あなた」が誰であるのかあらかじめ特定されていないこと、次に「今日」が何年何月何日と特定されていないことがある。もしも「あなた」の代わりに固有名が、「今日」の代わりに年月日が書いてあったとしたらこの予言が必ず当たるということはありえない。
では「おみくじを引く」という行為についてはどうだろう。そもそもおみくじを引かなければその文言を目にすることはない。そうなればその予言は外れることになるがそれは知りえないのである。引いたときだけ「あなたはおみくじを引く」という文を読むことになる。つまり必然的にこの予言は的中する。
この必然性は何かに似ていないか。たとえば宇宙論における人間原理に。なぜこの宇宙は人間のような知的生命体を生みだすような構造をしているのか。それは極小の確率の連鎖であるはずだ。そうであるなら人間の存在は奇跡中の奇跡である。そのような奇跡がなぜ起きたのか。このような驚きに対して人間原理は発想を逆転したようなことを言う。そもそも知的生命体が存在しなければそのような宇宙は観測されない。だからこの宇宙が知的生命体を生みだしたのは必然的なのである。
客観的な事実、出来事、現象こそが真実だという考えの人は人間原理も「必ず当たるおみくじ」もうさん臭く感じることだろう。だが、この原理は私の誕生と死の不可思議さを考えるときにヒントとなるような気がしてならない。
哲学的な思いつきを文章にまとめずに、思いついたまま、閃いたままをそのまま書きます。その背景や脈絡の説明なしにただ断片的に書く。読んでくださる方には不親切な書き方ですが、文章にまとめないことによってかえって断片は広がりをもちうるのではないか。各断片には後で言及するのに便利なように投稿順に通し番号を付けます。
Copyright(c) 2018 http://blogs.yahoo.tichan616 All Rights Reserved
|
全体表示
[ リスト ]




