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哲学メモ148
「今を生きる」ということ
「今を生きる」という言い方がある。映画の題名にもなり、もはや格言のようになっていると言ってもよい。しかし考えてみればこの格言は変ではないか。今しか生きることはできないのだからあたり前のことじゃないか。言うまでもなくわれわれは否応なく今を生きるしかない。できるものなら文字通り未来を生きてみろ、過去を生きてみろ。今しか生きられないじゃないか。ならばあえて「今を生きる」などと言う必要はないではないか。
しかしそう難癖をつけてみたものの、「今を生きる」という言い方で何を言わんとしているかは直感的に伝わってくる。すなわち、将来のことを思い煩うのではなく、また過去の思い出にふけるのではなく、今生きているこの瞬間を楽しみ悦べ、というほどの意味だろう。そう受け取ればこれはなかなか名言である。
だがもっと極端に解釈することもできる。通常、現在という瞬間は過去から連綿とつながり未来へと連綿と続いていくものとしてとらえられている。しかし今というこの瞬間が過去と未来から切断され、今という瞬間だけが現れている、そういう時間感覚を生きるという解釈である。
今という瞬間は過去から続いているのではなく、また未来へと続いていくのでもない。今しかない。そのようなギラギラした今という瞬間を生きるという経験。かのドストエフスキーはそのような経験をしたことがあるらしい。そのとき世界は異様に輝いて見えたという。「今を生きる」とは未来も過去もない今という時間のエッジに立つことなのだ。
これは異様な経験だ。日常の感覚では昨日から今日、今日から明日へと地続きで時間が流れていく実感がある。今この瞬間しかないとはどうしても考えられない。意識の流れのなかでは時間も同様に流れていく。だから目覚めている限り、過去と未来から分断されたものとして今この瞬間をとらえることはできない。だがいったん意識を失ったならばどうか。つまり眠っては目覚めるという経験のなかでは昨日と明日から分断された今日という世界を考えることはできるのではないか。
哲学的な思いつきを文章にまとめずに、思いついたまま、閃いたままをそのまま書きます。その背景や脈絡の説明なしにただ断片的に書く。読んでくださる方には不親切な書き方ですが、文章にまとめないことによってかえって断片は広がりをもちうるのではないか。各断片には後で言及するのに便利なように投稿順に通し番号を付けます。
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